第9話
「内田様」
「内田さまァ」
「んん、ああ、すみません」
「寝ちゃってました……」
土嚢みたいに重くなった身体を起こし、腕時計に目をやった。
午後七時十五分。ちょうど、三十分寝た計算になる。
「よかったら、飲んでください」
「ああ、すみません。いただきます」
差し出された紙コップを手に取り、勧められるままそれを飲んだ。
彼女は病院で見かけるいかにもって感じの手袋を両手にはめ、
「お加減はいかがですか? どこか痛みますか?」
と言いながら、純金の冠のように重いヘッドギアを慎重に取り外し、手袋をつけたまま素早くタブレット型コンピューターを操作している。
ぼうっと座ったまま、懸命に働く彼女の横顔を見る。
ああ、真っ白な白衣だったらどんなによかったことか……。
「内田様、以上で診察を終了いたします。お疲れ様でした」
「どうも、ありがとうございました」
「診察結果は後日、内田様のお宅へ郵送させて頂きますので」
「はい、わかりました」
僕は立ち上がり、不織布のスリッパから自分の靴に履き替えた。
「どうぞ」
彼女は扉をあけ、退出を促す。
「すみません」
僕は軽く頭をさげ通路へ出た。
通路は静かで、音や声がまったく聞こえない。
真夜中の病院さながらの雰囲気である。
彼女はむんッと胸を張り、たんたんと廊下を歩く。
僕の斜め前を、すたすたと歩いてゆく。
どうしよ、なにか話さないと……。
「野口さん」
「はい?」
彼女は歩度を緩める。
「本当に、こんな簡易的な検査で、その、なんていうか、本当の自分とやらが分かるものなんですか?」
「信じられないですよね」
「でも、本当なんですよ」
「ふうん、そーゆーもんなんですね」
「はい」
「内田様が生まれてから今までに見た膨大な夢の記憶をコンピューターが演算処理し、年代、種類、回数の三つに分類し、それを元に無意識の奥深くに眠る自己像を再構築します」
「なんか、すごく難しい話ですね」
「そう、ですね……」
「まあ大切なのは診察の過程よりも、診察結果の方なので」
彼女は出入口の前で足を止め、ぴんっと姿勢を正し、
「内田様、本日はお忙しいなか調査にご協力頂き、本当にありがとうございました」
と、深々と頭をさげた。
深緑色の髪が、さらさらと波打つように揺れる。
「いえいえ、どうせ暇だったんで……」
「それに、野口さんとも出会えたし」
僕はさりげなく、好意を持っていることをアピールしてみた。
野口さんの反応をうかがう……。
「ありがとうございます」
「私も内田様のようなお優しい方にお会いすることができて、本当に嬉しく思っております」
おお、おお、おお。
すばらしい反応だ。彼女も喜んでいる。
なるほど、これが両想いというやつか……。
「内田様、こちらお礼というほどのものではないのですが……」
「ああ、どうも、ありがとうございます」
僕は小さな紙袋を受け取った。
「袋の中に、お礼の品とあわせて私の携帯電話の番号が入っておりますので、もし何かございましたら遠慮なくご連絡ください」
「あ、はい」
「電話しまーす。ありがとうございましたー」
うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
ゲットォォォ。
野口さんの携帯番号ゲットォォォォ!
巨大な隕石が頭上に落下した。
大袈裟な表現ではなく、隕石衝突なみのインパクトだった。
嬉しくて、嬉しくて、僕は二段抜かしで階段をおりた。
やった、やった、やったぜぇぇぇぇ。
電話番号の入った紙袋を抱きながら走り、家路を急いだ。