第23話
午後四時十五分。
――おかしい。
約束は確かに四時のはずだ。
携帯を手にとり電話帳から、「野口あゆみ」を探し選択する。
いや、電話はまだやめておこう。
少しも待てない器の小さな男だと思われてしまう。
僕は携帯を床にころがし、ベランダへ出た。
駅から家までは、くぬぎ通りを真っ直ぐ普通に歩けば五分もかからない。
歩くペースの遅い人でも、十五分ってところだ。
見渡すかぎり、あゆみの姿は確認できない……。
赤い乗用車が一台、洗濯物を取り込む主婦が一人、それに夏空を悠々と飛翔するカラスが四羽、ただそれだけである。他に動いているものはない。
まあ、そのうち来るだろう……。
僕は部屋へもどり、ベッドに体を横たえた。
あゆみは今日、会社に戻らずそのまま家に帰ると言っていた。
休日訪問の場合、会社で直帰が認められているらしい。
つまり僕の予想した計画通りにいけば、内田家宿泊になる可能性がある、ということだ。
無論、うまくいけばの話だが……。
言うまでもなく、そのための準備も当然してある。抜かりはない。
髪の毛は一昨日、吉祥寺の有名カリスマ美容師にカットしてもらったし、乳首のまわりの毛をはじめ、体中のムダ毛も処理してある。
デートといえば勿論身なりも大事なわけで、わざわざ原宿界隈まで足を運び、あゆみに相応しい洋服をこしらえた。
加えて言えば、ユニクロで新しい下着も買ったし、筋肉トレーニングも今日のために一日も欠かさずに行ってきた。
もちろん身だしなみも重要なのだが、おもてなしの心はまたそれ以上に大切なことである。
仕事を終えた平日の夜、三日間かけてこの部屋を大掃除し、全体的に模様を替えてみた。
カーテンをはじめソファー、クッション、絨毯、玄関マット、枕カバー、シーツなど、従来の暗い色合いから、女性が好むロマンチックな淡い色のものに買い替えておいた。
居心地の良さも必須だが、晩餐の準備も決して忘れてはならない。
お酒もとりあえず一通りの種類を揃えてある。
なにしろ、あゆみの好みが全くわからないときてる。
ごめんなさい私○○は飲めないの、なんてことをさらっと言わせないために、あらゆるジャンルのアルコールを近所の森田酒店で買い揃えておいた。
ここはケチるところではないと、そう僕は判断したのだ。
論ずるまでもなく、食事も大切なおもてなしの要素なのだが、なるほど僕は料理が大の苦手である。というより、独り暮しをはじめてからまともに何かを料理した覚えがない。
したがって、変に見栄を張ってあゆみの前で失敗するよりも、ここは無難に出前を取るのが賢い選択といえる。
和風、洋風、中華風、どんな好みにも即対応できるよう、多種多様なチラシを用意してある。
準備に余念が無い僕だが、とりわけ時間を費やしたのが夜の準備、これである。 性行為こそ最大の目的であり、目がくらむようなこれまでの準備もつまるところ、そのための先行投資に過ぎない。
僕は想定されるあらゆる状況、どんな場面にも対応できるよう、様々なジャンルのエロ動画をインターネットで拾い集め、徹夜で視聴し勉強した。
やはり、奥が深い……。
きのこみたいな大人の玩具を裏通販で買おうとしたのだが、初めての実践でいきなり使うのはさすがにまずい、という考えに至りしかたなく断念した。
結局のところ、極薄コンドームしか買っていない。
たかが女ひとりを家に泊めるだけなのに、と嗤われるかもしれないが、僕にとっては初体験なわけで、このくらいの準備はして当然なのだと思う。
――にしても。
遅いな、あゆみ。
僕は身体を起こし、再びベランダへ足を向けた。
マウンテンバイクに乗った少年が一人、マイクロバスが一台、あとは先刻の風景と変わるところはない。
ぼくは熟れた柿みたいに赤々しい太陽が、遠い西の空へ沈んでいくさまをぼんやりと眺めながら、ひとりあゆみのことを想った。
どうしたんだろう……。
電車が遅れているのだろうか。
よし、電話してみるか。
――いや。
もう少し待ってみよう。
すぐそこまで来ているかもしれない……。