第10話
「内田様」
「内田さまァ」
「んん、ああ、すみません」
「寝ちゃってました……」
男はぼそぼそと呟きながら目をこすり、むくっと身体を起こした。
私は、冷たい水の入った紙コップを差し出した。
「よかったら、飲んでください」
「ああ、すみません。いただきます」
よしッ。
使い捨ての手袋を両手にはめ、さっそく仕事に取り掛かった。
ここまでくれば、あとは誰にだってできる簡単な作業だ。
「お加減はいかがですか? どこか痛みますか?」
会社から支給されたマニュアル通りのセリフを吐き、三流のSF映画で使用する小道具みたいなヘッドギアを外し、タブレット端末に情報を入力していく。
言うまでもないことだが、もちろんフリである。
そもそも、インターネットに接続すらしていない。
「内田様、以上で診察を終了いたします。お疲れ様でした」
「どうも、ありがとうございました」
「診察結果は後日、内田様のお宅へ郵送させて頂きますので」
「はい、わかりました」
扉を開け、かるく頭をさげる。
「どうぞ」
「すみません」
ああ、疲れた。
足が痛い、首も痛い、頭もガンガンする。
今日はもう帰ろう。
残りの仕事は明日の朝礼前にやろう。
私は出口を目指し、黙々と足を動かした。
今日は本当に長い一日だった。
この男に出会わなければ、私は今頃まだどこかの駅前で勧誘業務に就いていたことだろう。
認めたくないけど、私はこの冴えない男に助けられたことになる……。
「野口さん」
「はいッ?」
びっくりした。
そういえば、後ろにいたんだっけ。
歩調をゆるめ、男のペースに合わせる。
「本当に、こんな簡易的な検査で、その、なんていうか、本当の自分とやらが分かるものなんですか?」
「信じられないですよね」
「でも、本当なんですよ」
「ふうん、そーゆーもんなんですね」
「はい」
「内田様が生まれてから今までに見た膨大な夢の記憶をコンピューターが演算処理し、年代、種類、回数の三つに分類し、それを元に無意識の奥深くに眠る自己像を再構築します」
私はマニュアルQ&A.1-3の文章を抜粋し、暗唱してみせた。
言葉を探しているのだろうか、男は無言のまま両目を細める。
「なんか、すごく難しい話ですね」
「そう、ですね……」
「まあ大切なのは診察の過程よりも、診察結果の方なので」
話を適当に切り上げ、出口の前で足をとめた。
ちょうど、男と向かい合う恰好となった。
仰々しく、深々と頭をさげる。
「内田様、本日はお忙しいなか調査にご協力頂き、本当にありがとうございました」
これでいい。これで……。
いろいろあったけど、おおむね計画の通りだわ。
「いえいえ、どうせ暇だったんで……」
「それに、野口さんとも出会えたし」
っは? 今なんつった?
出会えたし、っえ?
なんかむかつく、この男……。
「ありがとうございます」
「私も内田様のようなお優しい方にお会いすることができて、本当に嬉しく思っております」
リップサービス、リップサービス。
まあ、一部は本心だけどね。
あ、そういうえば、粗品!
「内田様、こちらお礼というほどのものではないのですが……」
「ああ、どうも、ありがとうございます」
あぶない、あぶない。
危うく、大切な布石を打ち損じるところだったわ。
男は、なんだろう、という表情を浮かべ紙袋を見つめている。
「袋の中に、お礼の品とあわせて私の携帯電話の番号が入っておりますので、もし何かございましたら遠慮なくご連絡ください」
「あ、はい」
「電話しまーす。ありがとうございましたー」
言うが早いか男は背を向け、ホップステップ階段をおりてゆく。
ふふふっ、喜んでる喜んでる。
まったく、わかりやすい男だなあ。
会社から支給された携帯電話の番号なのに、初めてラブレターをもらった中学生みたいに顔を赤くしちゃって。
ふふ、ふふふっ、馬鹿な男。
あんたが素直に百万払えば、この醜いゲームは終了するの。ねえ、簡単な話でしょ?
私はもと来た方へ引き返しながら、とりとめのない空想をもてあそんだ。
そう、なにもかも、全ては来週のため。