1章『幼少期』見習い執事の稽古
「兄上! その本は私が読もうとしていたものです! 返してください」
多くの本が積み重なり置かれている部屋の一隅で少女の甲高い声が響いた。
声のする方向を向くと頬をふくらませた少女が立っていた。
父の紅蓮の髪を受け継いだ綺麗な赤色の瞳をした少女。
俺は呆れるように頭を掻いた。
「おいおい~本当にこの本読むきか?」
少女は頷いて言う。
「もちろん」
自信に満ち溢れた表情で頷く彼女を見ると、俺は手にとってい本を眺めた。
我が妹ながら、どうしてこんなものに興味があるのか理解しがたい。
「商いで成功する100の方法……こんなもん見て何が楽しいんだ? お前まだ5歳だろう? その歳の女の子なら普通絵本だろうに」
少女はつまらなさそうに言う。
「あんなもの読む価値なんてないわ。絵本なんて読んで楽しめるのは兄上かその辺にいるおこちゃまだけよ」
二歳年下の妹、リア・バーナード。
妹というのはこんなものなのだろうか。
最近では5歳児とは思えぬような知識のいる本や物事に関心を持つようになった。
俺ですら読んでも理解できないような本を理解し自分なりの意見すら持つようになってしまった。頭の良さもそうだが、剣術についても脅威を抱いている。
妹は5歳からすでに真剣を持つことが許されている。俺は7歳でようやく持てるように
なったというのに、この異常な成長スピードはなんなのだろうか。
7歳の冬、俺はそんな妹におそれを抱いていた。
「早く返してよ! お父様がかえってくる前には全部読んでおきたいんだから」
「はいはい……どうぞご勝手に」
俺はため息混じりに本を手渡した。
するとすぐに妹は本を開き、目を輝かせる。
「なんか俺だけ凡人な気がしてきた……」
そう小さくつぶやく、自然と部屋の中央にある手押し窓が目に止まった。
外はまだパラパラと雪がちらつている。
第一王子の成人を祝う舞踏会が終わり3日が経った今も、雪は振り続けていた。
馬車で外に遊びに行くことも叶わず、俺や妹は屋敷に閉じ込められているような
感覚に陥っていた。
さらに、雪の影響で父の帰りが遅れているのだ。
父はここ最近、国境付近の街に出向き、誰かを探している。
それが誰なのか俺は知らない。
母はその人が誰であるか知っているようだったが、俺には話してくれなかった。
俺が聞いても貴方が知るべきことでは無いことよ、そう言って頑なに情報を漏らさなかったのだ。それに、屋敷の周りを父の部下が守護するようにして配置され、屋敷を出るときには決まって護衛が付くようになった。今だって部屋のドアの前で二人の兵士が佇んでいる。
舞踏会の日にも数人の護衛が僕らを守っていた。
それは尋常ではないことで、俺の目にもそう映った。
けれど、毎日毎日同じ日々が続くと慣れてしまう。
最初の頃はどうして守られているのか気になったが
今では何も考えなくなってしまった。
この状態はもうかれこれ3ヶ月は続いているのだ。
人は慣れてしまうもの、俺も同様だった。
「あぁ……暇だ」
テーブルに両手を置いて脱力しながらそうもらした。
あれから小一時間が経つ、妹は相変わらず本を読むことに没頭していた。
この娘、将来商いでもする気なのだろうか。
「なぁー面白いか?」
「……」
反応が無い。
「おーい」
「……」
またしも反応がなかった。
俺なんて眼中にないようだ。
「暇だ……」
この家にある歴史系の本はすべて読み終えていた。
無論、読めぬ字もあったが、それは母上や父上に教えてもらい読み解いた。
他にも本は沢山あったが、歴史系の本以外には興味を引くものはなかった。
魔法の本があれば読んでみたいと思っていたが、何故かそれらのたぐいの本は
一切ここにはなかった。母になぜ無いのか聞くと、魔術の本は国の許された
人間にしか与えられないそうだ。
「あぁーもう……少し剣でも降ってくるか……」
俺は立ち上がり部屋の扉を押し開く。
同時に部屋の先から複数の窓がうつりこんでくる。
それは庭園を映し出し、稽古場の場所も見通すことができた。
稽古場は案の定雪で埋もれて跡形も無い。
俺はその光景を目にして一瞬脱力しならがも同時に溜息をこぼした。
「さすがに外での稽古は無理か……どうするか……」
しばらく考える。
腕組みをしながら考えて、周囲を見渡した。
広い廊下に結晶石が埋め込まれた床。
メラメラと燃えるロウソクの火とガタガタと外の風を受けて窓が音をあげていた。
二人の赤色の軍服を着た兵士たちは書斎の扉を守るように立っている。
腰には剣が収められ、胸には父の隊である証獅子の文様が刻まれている。
俺はそんな二人を見て思いついた。
同時に俺は二人の兵士にとあることを訪ね、それを確認すると一人の兵士を連れて俺は通路を進み始める。
兵士はどこか面倒そうな表情を見せたが、何も言わずついてきた。
俺はそんな兵士と共に何本かある通路を曲がって、とある扉の前にたどり着く。
そこは屋敷の中でもよく客人が通される客間で、基本的には
父の仕事の関係者が利用していた。
俺はそんな客間の扉を小さな手で押し開くと中の人物に声を上げた。
「ローランドさん~ローランドさんいますか~?」
綺麗に整頓された書類の束。テーブルの上には他にも羽ペンや本などが並び、その中でも書類の束は幾弾にも重ねられテーブルに座る者の姿を覆い隠していた。その束の先から声が上がる。
「ん? その声はアルイス君かな?」
「はい」
「やはりそうか~で、なんの用かな?」
「えっと、実は稽古をローランドさんにつけてもらおうと思って来たのですが……やっぱり無理ですよね」
見るからに忙しそうだ。
父のいない間、父から隊長代理を任されているローランドさんは父の分まで
仕事をこなし書類管理を任されていた。
だが、この書類の量は多すぎる。
何かあったのだろうか。
「いや~君には悪いんだが、今はこちらの仕事で手一杯でね。本当に厄介だよ、昔保護した奴隷たちの施設がこの雪で倒壊しただの食料が足りないだの、税金が高いなんて訴えもある。私は武官であって、国政には介入出来ないというに、まぁーこのままこの訴えを無下にすることもできないから、ひと通り目を通してまとめた物をこれから提出するんだけどね……あぁ、本当になんで私がこんな事を……」
2年前、父上とローランドさんは国を蝕んでいた奴隷商人たちを検挙し、大勢の奴隷たちを開放した。しかし、そのほとんどは身寄りのない者だった。後に、施設が作られ奴隷たちは生きるために必要な仕事や場所を与えられたのだ。しかし、その多くは土地を離れ、ひっそりと何処かで暮らしているのだと言う。しかしそれでもその施設に住まう奴隷の数は500人を超えるほど多い。
「大変そうですね」
「本当に大変だよ……彼らとそれに、隊長宛の仕事も厄介だよ。いくら処理しても次の日にはその倍の数が送られて来るんだから……だから管理職とは面倒なんだ」
愚痴をこぼしながらうなだれる声が聞こえた。しかしその姿を見えない。
「なんかすみません。こんな忙しい中、稽古なんて」
「稽古か……私は無理だが、君の相手にちょうどいい人材なら紹介できると思うよ?」
「僕にちょうどいい?」
「あぁ、君よりは二歳位年上だが、君の剣の実力に近い人物だよ」
「僕より2歳年上? そんな子いるんですか? そもそもそんな若い兵士僕は見たことが……」
屋敷の中でそんな若い兵士は実際見たことがなかった。
兵士の基本年齢は20代より上だ一番若くて22歳だ
9歳の兵士なんて見たことも聞いたことも無い。
「あぁ、彼は兵士ではないよ。この屋敷の見習い執事だよ」
「執事? なんでまた執事が剣なんか……」
「君は知らないだろうけど、実はこの屋敷に仕える執事全員が剣を扱えるんだよ。この屋敷の執事になる条件に剣技は必須なんて項目もあるぐらいで毎年何人もの候補者が全国から集められ、試験を受けるんだ。その中でもなかなかの好成績で試験に合格したのが今話している9歳の彼だよ。無論見習いとして合格したわけだけど、毎晩執事たちに鍛えられてるとかいないとか、まぁー私も一度彼の剣技を見たことがあってちょうど君ぐらいの技術は持っていたよ。どうだい?興味あるかい?」
そういえばうちの執事はどこか俊敏で、良い体をしている。
本を投げつけるとすべてを掴み回収してしまうし、木刀が手からスッポ抜けてしまった
時は可憐にそれを躱していた。
そういえば執事長が昔父上と何故か稽古をしていた事があった。
いや、あれは稽古というより本当の試合みたいな空気が漂っていたような気がする。
今思えばおかしなところばかりだ。武闘派の貴族には武闘派の執事
ということなのだろうか。
俺はそんなことを思いながらローランドの言葉に頷いた。
「稽古の相手をしてくれる人がいるならしたいです。それが執事でも兵士でも僕はなんでもかまいません」
「そうか、なら、今から私が紹介状を書こう。私が書いた紹介状を執事長に渡せばわかってくれるだろう」
それからしばらくしてローランドが書類の山から姿を表し、くまのできた瞼をまばたかせながら小さな紙を手渡してきた。
俺はそれを受け取り執事長の元へと向かった。