1章『幼少期』若き王子の笑顔
14歳のとある夕暮れ。ルノン・ルスタークは仮眠を終えて目を覚ました。
窓の先を見ると、雪が降っていた。
それは冬の訪れを告げる雪。
本格的な寒さがやってくる前兆だった。
私はそんな雪に誘われるようにベットを離れる。
その途端に素足をひんやりとした感覚が襲った。
けれども私はその足を止めることはなかった。
雪に誘われるように窓を開き、テラスへと出る。
「う……」
思わず身震いをしてしまう。
全身を覆っていた熱が秒刻みに失われていく。
それでも私は戻ることはしなかった。
心の赴くままに、何かを求めるように
私はテラスへと足を踏み入れる。
「初雪か」
王都に降った今年はじめての雪。
その雪は王都をいつの間に銀世界へと変えていた。
雪はまだ止む気配はない。
明日にはさらに積雪もましていることだろう。
「このような日に、なぜ誕生会などせねばならぬのだ……いっその事中止になってしまえばいいのに」
ルノン・ルスターク第一王子は内心ではそう思っていた。
「誕生会などいつもの舞踏会と変わらぬではないか」
貴族たちを招いて踊ったり食べたり話したり、舞踏会はそんなものだ。
誕生会も主催者が違うだけで後のことは同じだ。
私に媚びを売るために話かけてくる。
どの人間もそうだ。
作り笑いに、本心ではない言葉。
私を盛り立てて盛り立てて、将来優遇してもらおうと考えている。
私はだから嫌いだ。
舞踏会も華やかなパーティーも全部大嫌いだ。
「本当に中止にならないかな……」
「残念ながらなりません」
私は思わず振り返った。
よく知る声が聞こえたから。
「シルエット? うぁーびっくりしたーいつからそこに?」
「ベットから起き上がられた後テラスで誕生会の事を口にしていた頃から」
彼女はシルエット・フラウニー。
私の身の回りの世話をしてくれている女中だ。
幼いころから身の回りの世話をしてくれていてルノンにとっては姉のような存在だった。
そんな彼女が黒と白のメイド服で窓の前からこちらを無表情で見つめていた。
彼女も相当寒いのか、全身をブルブルと震わせている。
しかし、表情にはその寒さを出してはいない。
「って事は全部聞かれてたわけか……」
「はい、残念ながら今日執り行われる成人を祝う誕生会は問題なく執り行われると
思われます。こんな事も想定して、雪を除雪する人間を国は雇っているのですから」
「そんな職業なければいいのに」
雪の降る時期に決まって現れるのが雪払いだ。
雪が積もったら払いのけ、積もったら払いのける。
一晩中繰り返し、雪を払うことで国から報酬を受け取るようになっている。
あまりに広範囲なので基本的にはグループで排除は行われる。
実際に見たことは無いが、体力と根気が必要になってきる仕事らしい。
「近年、雪払いの仕事を受ける人間が少なくなっていたことが問題視されていましたが
昨年、バーナード家当主、クロイスバーナード様によって奴隷たちが開放されました。
そのことによって問題視されていた人員不足も解決しました。平民たちもそのことを知って、安堵したそうです」
「よく知ってますね? そんなこと」
彼女はニヤリと誂うように笑った。
「ルノン様~メイドの耳は地獄耳とよく言うでしょう? 貴婦人の浮ついた噂や殿方の
遊戯にふける話など、本当に様々なことがメイドの耳に入ってくるのです。
例えばクロイスバーナード様のお話ですと……」
「待て待て、その話はまたあとで聞くことにするよ……そろそろ誕生日会も始まる時刻だ。
支度をせなばならぬし、何より今日はよく冷える。冬の訪れも感じたところだ
そろそろ中へ入ろう」
その後、衣服を着替え終えると足早に部屋を後にした。
楽器の音色が響き渡る王室のとある一隅。
シャンデリアが一際輝きを放つ一室に、大勢の人々の声があふれていた。
テーブルには白いシーツが敷かれ、上には豪勢な食器に
色とりどりな食べ物が並んでいる。
ドレスに身を包んだ初な少女たちは良い男を探すために目を泳がせ
落ち着きの見える貴婦人たちは互いにうわさ話を語ってデザートに手を伸ばす。
男たちは自己の利益のために多くの人間と会話をし、品定めを終えると標的に
作り笑いを浮かべる。
私はそんな舞踏会が大っ嫌いだった。
変化の無い、何も信じることの出来なくなっていくこの感覚が何よりも嫌いだった。
「成人を迎えられたルノン王子に我々からお祝いの品を用意いたしました。どうか
お受取りください」
頭をハゲ散らかした小太りの男。
男はそう言って宝石のついた指で小さな箱を手渡してこようとしてきた。
ここで断るのは礼儀に反すること、しかし実際は受けとりたくはなかった。
好意でもらえるものならなんの躊躇もなくもらうだろう。しかし彼らのそれは違う。
明確な目的があって彼らは物を差し出すのだ。
「これは?」
「南砂漠にあるルゴーラと呼ばれる鉱山で発掘された宝石でございます。
青色に輝くその光は人を魅了し女性を美しく見せる。そう言われています」
「お高いのでしょう? こんなものをもらってもよろしいのか?」
「構いません。これは我々の陛下を想う気持ちですので、どうかもらってくださいませ」
ふくよかな顔に不摂生がもたらすニキビやデキモノが顔中にある男は
そう言って笑った。
気に食わない。第一印象から嫌いなタイプだとはわかっていたけれど
ここまで見えすぎた笑みを浮かべられると吐き気まで催してしまう。
どうせこの後、親戚だの商売だのの話をしてくるのだろう。
案の定、私のよみはあたっていた。
男の娘を紹介されたのだ。男の容姿とは違って美人ではあるが私の心をつかむほどの
ものではなかった。軽い社交辞令をした後、私は二人から離れる。
「私にはこんなもの必要ない。これを宝石商に売って、売れた価格をすべて
孤児院に寄付してくれ。頼むぞシルエット」
壁添で佇んでいたシルエットにそう言って手渡した。
「本当によろしいのですか?」
「構わないさ。私が持っていてもなんの役にもたたないだろうからね」
「わかりました。明日早朝に使いをやることにします」
「頼んだよ」
「お任せください」
シルエットに宝石を預けた後、私は会場から抜け出す算段を立てていた。
そんな頃合いに不意を付くかのようにして声をかけられたのだ。
優しげな美しい声。
誰もが振り向いてしまいそうになる美貌。
先ほど見た雪のように真っ白な白銀の髪。
それは今まで見た誰よりも美しく、誰よりも気品にあふれていた。
本当に綺麗な女性。
「初めまして、私はクレイシア・バーナードと申します。
ご挨拶だけでもと思い、声をかけました」
20代半ばの美しい女性がそういった。
その名には聞き覚えがあった。
いつもクロイスが話題に出す女性だ。
あの男が骨抜きされる女性とはどんな人物なのか
一度は見てみたかったが、こんなに突然出会えるとは思わなかった。
なぜなら、クロイスの妻は社交界を嫌い、滅多に姿を表さないからだ。
しかし、あの男には勿体無いほどの美人だ。
私が生まれるのが10年早く生まれていればきっと彼女の美貌に
胸射抜かれていただろう。絶世の美女とはこのような人物の事を言うのだろう。
ルノンは一礼すると笑みを浮かべた。
「いつもクロイス殿にはお世話になっております。かねてより私も
あなたに一度合ってみたかった。本当に今日はあえて良かった。
毎日のように貴方のことを自慢するあのひとの気持が少しだけ分かった
気がします。本当に類まれなる美貌をお持ちのようだ。」
クレイシアは微笑みを返すと、小さくお辞儀をする。
「いえいえ、こちらこそお世話になっております。うちの夫は
人に教える才能がありませんから、むちゃくちゃな事を言う時もあるでしょう
ご苦労されているのではないですか?」
ルノンはゴクリと息を飲んだ。
確かにクロイスは教えることは得意ではなかった。
感覚で感触で、五感で感じさせるような教育法だった。
時々何を言っているのか理解出来ない時もある。
しかし、不思議と彼の指導どうりにやれば剣が上達するのだ。
意味が理解できないがなぜが上達してしまう。
本当にわけの分からない指導の仕方だった。
でも苦に思った事はなかった。
奴の教え方は大雑把だがしかし楽しいものでもあったからだ。
「いいえ、ご主人は本当にいい剣士だと思います」
「そうですか」
どこか嬉しそうにクレイシアは笑った。
それからは他愛もない話で盛り上がった。
ひと通り話すと、最後に息子を紹介してきた。
クレイシアと同じ白銀の髪に薄青色瞳。
お下げ頭の可愛らしい顔つきをした少年。
ちょうど、7歳になる弟の歳くらいか。
「君がアルイス・バーナードか」
すると、少年はどこか緊張した面持ちで口を開いた。
「はい、ルノン様」
目を合わそうとしないその仕草はまだ子供らしく、愛おしいく思えた。
まるで自分の弟の面影を重ねるようルノンは少年を見据えた。
「君は今年で確か7歳になったんだよね?」
「はい、でもなぜそのことを?」
「君の父上からよく聞かされていたからね~君のことは」
「そ、そうなんですか……」
「君のことはよく知っている。三歳の頃から剣を始め、今では真剣を持たせてもらえる
ほどに成長したとか、君の父上もかなり誇らしげに君の自慢話をしていたよ。
私の稽古そっちのけでね」
冗談交じりに言ったつもりが少年は申し訳無さそうな顔で誤ってきた。
「すみません」
「謝ることはない。私もあの者の話は好きなのでな、楽しく効かせてもらっているよ」
「本当ですか?」
「あぁ、ソナタの父はよい師匠であり、良い友だからな」
その言葉を聞いて少年は僅かに笑った。
「そういえば私には弟がいるのだが、もしよければ……」
弟の事を紹介しようとした時、不意に背後から声が上がる。
それは耳打ちをするような形で伝えられてきた。
「弟君が明日……」
「なんだと!? なぜこんなに急に」
「わかりません。国王陛下の命令です」
「わかった。理由は父上から直接聞く」
初老の執事服を着た老人にそう言うとルノンは親子に一礼しその場を足早に後にした。
その日降った雪は一晩中振り続け、街の交通を麻痺させるほどの積雪を記録。
それはルスターク王国歴452年、冬の出来事であった。