五章 魔王の力と覚醒の謎(1)
勇者棟の保健室。
ダンジョンに放置され疲弊した紗々を運び込んだ夏音は、肌をチクチク刺すような嫌な気配に窓の外を振り向いた。
「なに、これ?」
思わず身震いする。さっきまで見えていた星空は暗雲に閉ざされており、紫色の瘴気のようなものが地面から噴き出している。
この嫌な感じには覚えがある。
「魔王の力……」
魔族が新たなる魔王として連れてきた日本の悪徳政治家――殻咲隆史が纏っていた力に酷似しているのだ。
「怪盗ノーフェイスがなにかしたのでしょうか?」
一緒に付き添っていた緋彩も不安そうに眉をハの字にしていた。紗々がずっとはみはみ草のフロアに閉じ込められていたということは、稜真たちと護衛任務に就いた方は偽物だったことになる。
とっくに戦闘は始まっているはずだ。相楽と辻村は応援に向かったが、このタイミングだと恐らく間に合ってはいない。
「ちょっと様子を見てくるわ。緋彩さんは紗々ちゃんをお願い」
「わ、わかりました」
こくりと頷く緋彩にこの場は任せ、夏音は覚醒状態の聖剣である狙撃銃を担いで保健室を飛び出した。
†
『ディープムーン』と名づけられた青真珠は、かつて舞太刀茉莉がルルンの湖に住んでいた魔獣を討伐した際に、その腹の中から出てきたとされる宝石だ。
『睡蓮の黒水晶』は、討伐した魔王の魔力が結晶化して現在も残り続けているもの。
果たして偶然か、意図されたものだったのか、衝突した二つの宝石は互いに砕けて混ざり合い――一匹の恐ろしく禍々しい龍へと姿を変えた。
「いやそんなケミストリーあっていいんデスヨ!?」
「魔法のある世界だ。なにがあっても不思議はねえが……」
黒紫色の鱗に覆われた大蛇のようなドラゴンを見上げ、侠加と今枝は顔を引き攣らせていた。今は生まれたばかりなのかまだ大人しいが、こんな魔物が暴れ始めたらいくら頑丈なダンジョンでも崩壊してしまう。
「ノーフェイス! お前の目的はこれだったのか!」
稜真はノーフェイスを問い詰める。彼女が魔族の手先なら、この結果はまんまと計画を成功させてしまったことになる。
「……違う」
だが、ノーフェイスは首を横に振った。
「……私の目的は、危険な魔石を人知れない場所で処理すること」
「なんだって?」
思わず稜真は聞き返した。
ノーフェイスは観念したように短く息を吐くと、その綺麗な黒い瞳で稜真たちを見据える。
「……青真珠も黒水晶も、彼の大戦での産物。今までは放置してもよかった。でも、魔族が再び現れ、この地を襲撃したと聞いた。だから、奴らに奪われる前に私が奪うことにした」
魔族の協力者じゃなかった、ということか。嘘をついているようには見えないが、そもそも無表情で感情が読めない。
「いや、てめえが魔族なんじゃねえのかよ? 悪いが、ウチにはてめえが人間には見えねえんだが?」
「クルっちの目は節穴? どう見ても美人さんデスヨ!」
「黙れ侠加」
人間に見えないことはないと稜真も思うが……刑事の勘なのだろう。今枝にカマをかけている様子はなく、確信を持っている目をしている。
「……確かに私は人間ではない。だが、魔族でもない」
ノーフェイスが隠さず肯定すると――黒髪を手で掻き分け、片耳を晒した。
長く尖った耳を。
「エルフ!? 見て見てリョウマっちクルっちエルフさんデスヨあれ!! 流石異世界実在したんですねヒャッフー!!」
「黙れ侠加!?」
テンション爆上げする侠加に今枝は念動力でげんこつを落とした。ここでエルフが出て来るのは意外だったが、だからと言ってなにかが解決するとは思えない。
寧ろ余計に謎が増えた。
「青真珠はともかく、エルフがどうして黒水晶を知っていたんだ? わざわざそんなことをする意味は?」
「……話をしている暇はない」
ノーフェイスが大蛇を見上げる。
次の瞬間、血色の目が爛々と輝き、鼓膜を突き破りそうな咆哮が轟いた。
「ぐっ」
咄嗟に耳を塞ぐ稜真たちの目の前で、大蛇は悪魔のような翼を羽ばたかせて飛翔。ダンジョンの天井をその巨体で突き破った。
「おわぁあああッ!? ドラゴンが逃げちゃったデスヨ!?」
「崩れるぞ!? 早く転移陣に駆け込め!?」
「もう無駄だ!? 落石で陣が削れて機能していない!?」
気絶している大沢を抱えて転移陣に飛び込んだ稜真だったが、陣は既に光を失っており地上へと運んでくれることはなかった。
「クルっちってあっちの世界じゃ高層ビル引っこ抜いてぶん回してたよね! だから念動力でダンジョンごとどかーんって」
「できねえよ!? あんときゃウチ専用のブースターがあったんだ!?」
なんのことだか稜真にはわからないが、専用のブースターとやらがあれば可能なのだろう。その代わりになるものがどこかにあれば――
と、今枝の制服のポケットから強烈な輝きが放たれた。
「この光は……」
今枝はそのポケットから、一枚のカードを取り出した。




