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一章 ようこそ異世界学園へ(5)

 学園長室。

 それがどこにあるのか稜真は当然のことながら知らなかった。ただ流されるように皆の輪に加わってついていくこと約三分。同じ建物内一階の、入口から向かって左奥にある一室がそうだった。金箔の装飾の施された扉からして豪華さが一線を画している。

 隣は職員室だと道中に大沢が教えてくれた。とはいえこの建物――フォルティス総合学園の本学舎、または洒落で『勇者棟』と呼ばれているらしい――は通常授業とは関係ない多目的な用途に使用され、各学部学科の職員室はそれぞれの学部棟にある。つまりそこは勇者クラスのための職員室だそうだ。

 中に人の気配はない。勇者クラスは一人目の勇者が召喚されてたった二週間であるため、未だ教師の手配が完了せず担任すらいないらしい。

 ならこれまでどうしていたのか?

 学園長自ら時間を作ってこの世界のことを教えてくれたり、他の学部学科を見学したりしていたそうだ。大沢はその時にあの妖精と仲良くなったのだとか。

「みんな、覚悟はいいかしら?」

 扉を開ける前に夏音が確認を取った。その配慮をさっき勇者クラスに入る時にもやってほしかったが、言い出すと面倒なので稜真は黙ることにした。

「オッケー。じゃあ、行くわよ」

 皆が静かに頷いたのを認めると、夏音は慎重に扉を少しだけ開け――わざと大きな音を立てて警官隊のような勢いで突入した。

「学園長! ちょっと話があるわ! あたしたちの召喚についてよ!」

 ノックくらいしろよ、と思ったが、ここは稜真たちにとってある意味で敵地。スタートから勢いで制することで相手のペースにさせない意図があった。あったと思う。たぶん。

 まずは眼球運動だけで部屋の構造を把握する。

 無駄にスペースのある大部屋。分厚い本がぎっしりと詰まった本棚が片面の壁に並べられている。逆の壁にも大きな棚があり、そこには数え切れないほどの勲章やらトロフィーやらが飾られている。出入口になるのはこの扉と窓だけだろう。

 広々とした高価そうな木造机が入口の正面に鎮座し、その向こうで一人の老人が後ろ手を組んで窓の外を眺めていた。

「勇者カノンか。そんなに声を荒げて、穏やかではないの」

 老人は振り向かずに言う。背中が広い、と稜真は老人を第一印象でそう思った。紺の紳士服を纏っていてもわかる筋肉の隆起した体躯。曲がっていない腰。大樹のように静かな佇まい。勇者クラス全員で襲いかかっても軽くいなされそうな威厳がその背中から感じられた。

「あたしたちはこの世界に召喚される前、元の世界で同じような死に方をしてることが判明したの。これってどういうことかしらね?」

 夏音は老人――学園長の威厳に全く臆することなくズカズカと机の前まで歩み寄った。学園長も脅しつける夏音に心乱したりはせず、落ち着いた雰囲気のまま振り返った。

「さあの。儂はお前さんらの世界の状況を把握しとるわけではないからのぅ」

 僅かに白髪の残った禿頭に精悍な顔つきをした老人である。たっぷりと蓄えられた髭を手で擦る様子は、惚けているのかいないのか判断が難しい。

「そういう意味じゃないわよ! この世界で勇者召喚を行えば、あたしたちの世界で誰かが死ぬ。違う?」

「ふむ、勇者召喚の仕組みについて知りたいということじゃな?」

「そうよ。後ろ暗いところまで全部ね」

「あいわかった。じゃがその前に……」

 学園長の精悍な顔つきにしては穏やかな瞳が稜真を捉えた。

「知らぬ顔がおる。先に挨拶を済ませておきたいが、構わんかな?」

「……それもそうね。できるだけ手短にお願いするわ」

 夏音は大人しく引き下がった。大声で捲し立ててもこの老人には無駄だと悟ったのだろう。

 勇者クラスの皆が道を開けるように広がり、稜真と学園長が一対一で向かい合う形になる。

「フォルティス総合学園の学園長をしておるグランヴィル・ガレス・ル・オルブライトじゃ」

「霧生稜真です」

 威厳たっぷりに名乗る学園長に稜真も動じず丁寧に返した。これまで何人もの要人の警護を経験してきた稜真にとっては慣れたものである。流石にここで偽名を名乗る意味はない。

「うむ、勇者リョウマじゃな」

「『勇者』だなんて呼ばれるほど大層な者じゃないですよ」

「否。謙遜することはない。勇者召喚で呼ばれる者が凡人であるはずがないのじゃ。皆、必ず英傑の器を秘めておる。力だけではなく、心にも」

 握った拳で自分の左胸をトントンと軽く叩く学園長。その分厚い胸板には銃弾を叩き込んでも跳ね返されるような気がした。

「その辺りを詳しく聞かせてもらえるかしら? あたしたちの世界から英雄になれる存在を勇者として召喚するために、トラックに轢かせて一度殺している。これがあたしたちの仮説だけれど、どこか間違っているかしら?」

 なんとなく探偵気取りで推理を述べる夏音に、学園長は丸太のように太い腕をがっしと組んで瞑目し、しばし逡巡してから口を開く。

「……否、と言いたいが、勇者カノンよ。まず一つ確認させてもらってもよいかの?」

「なにかしら?」

「『とらっく』とはなんじゃ?」

「……」

「……」

「……あー」

 夏音の勝ち誇っていた笑みがみるみる無表情になっていく。死んだ魚みたく覇気を失った目が稜真を、それから勇者クラスの面々を見回した。どういうこと? とその目が訊いている。

「う~ん、トラックを知らないんじゃ……」

「意図的にトラックで轢かせる、なんて芸当はできないと思うデスヨ」

 大沢と侠加が苦微笑する。この世界――リベルタースには『トラック』などという科学の結晶たる貨物自動車は存在しないのだろう。勇者クラス全員が小さく溜息をつく。

 学園長が心配そうに眉を顰めた。

「どうかしたかの、勇者カノンや?」

「ごめんなさい、学園長。もういいわ。今の一言で違うってことがよくわかったから」

 夏音は素直に頭を下げて謝罪した。トラックを知らない異世界人がトラックで人を、それも別世界にいる人間を狙って殺すことはできない。一見それっぽい理屈だが――

「待ちな、夏音。知らずに、という線もあるんじゃないか?」

 今枝の言う通りだ。別に知らなくたっていい。『手近にあって操作し易く且つぶつければ致死量の大打撃を与えられる物質』という認識だけでも充分だ。

 その『知らずに』が『トラックを』の場合だったらの話であるが。

「あの、やっぱり私にはこの世界の人が悪意を持って勇者召喚しているとは思えません。少し短気な人もいますが、みんないい人ですよ」

 神凪緋彩が悲しげな顔をして大きな胸の前で祈るように手を組んだ。それだ。最悪、そもそも『人を殺していること』すら『知らずに』勇者召喚が行われている可能性がある。

「ヒイロっちは天使だねぇ」

「見て見ぬ振りでもしてるんじゃないの?」

「ボクにはそんな風には見えなかったけど」

「おいおい、本気で無自覚だったらやべえぞ」

「でも俺ら八人全員の死因がトラックだからな。無意識の偶然とも言えないだろ」

「……にゃ、眠い」

「……」

 学園長を放置して小声でディスカッションする稜真たち。一部会話に加わっていない者がいた件については言及しないことにした。

「はいはい! 侠加ちゃん的には死因を操作できるんだと思います!」

「あり得るわね。トラックを知らなくても事故死ってすればそれっぽく」

「なにノートだよ!? 死神でも出るのか!?」

「異世界があったんだし、死神とか冥界とかあってもボクは驚かないかな」

「なんにしても、これ以上の犠牲を出さねえためにはウチらが止めるしかねえか」

「あの、ですからこの世界の人を悪く考えるのは」

「……すぅ」

「……」

 ぐっだぐだだった。

 さっきまで不思議そうに太い首を傾げていた学園長は、今では生徒の自主性を見守る優しい先生の笑顔でうんうんと頷いている。なにを納得したのか知らないが、自分たちを悪者扱いする議論を止めるつもりはないようだった。

 学園長には(・・・・・)


「そこまで!」


 開けっ放しになっていた扉の方から、パン! と両掌を打ち合わす乾いた音が響いた。

「トラックについては全くの偶然。もしくは別の要因になるわ」

 全員が議論をやめてそちらを振り向く。そこには二十代半ばと思われる女性が凛然とした様子で腕を組んでいた。

 燃えるような赤い髪にスラリとした長身。美人だが化粧っ気は全くなく、胸元や太股を大胆に露出させた動き易そうな服装をしている。腰に佩いている二本の得物は剣かと思いきや、なぜか教師用の大きな三角定規だ。形のいい唇は余裕のある笑みを刻んでおり、得も知れない眼光を放つ真紅の瞳が稜真たちを見定めるように向けられていた。

 赤髪赤眼のため稜真は一目で気づかなかったが、この女性も……。

「おお、来たか! 待っておったぞ!」

 学園長が嬉しそうに両腕を大きく広げて女性の下へと歩いていく。女性の表情も凛としたそれから十年来の友人に会うような穏やかな微笑みにシフトした。

「久し振りね、ガレス」

「ふむ、ちょっと見ぬ間にいい女になったの。当時はまだ齢十五の小娘だったというに。それがこう、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでずいぶんと儂好みにあ痛っ!?」

 セクハラ発言をする学園長を女性は三角定規で容赦なくしばき倒した。

「生徒の前よ、学園長。口を慎まないと本性のエロジジイがバレるわ。さっきも神凪緋彩のオッパイ見ながら嬉しそうにしてたでしょ?」

「え?」

 不安げに眉をハの字にした緋彩が胸を腕で隠して侠加の後ろに隠れた。あの笑顔はそれか。

「お、お主がバラしとるではないか……」

 頭を押さえる学園長は涙目だった。女性が現れる前までの威厳や覇気がどっかに吹っ飛んでしまっている。その様子に唖然としていた勇者クラスの面々で、逸早く声を発するまで回復したのは夏音だった。

「誰? この人、髪と目の色はアレだけど」

「日本人……だよな?」

 続けて覚醒した稜真も女性の美人顔をマジマジと見詰めた。日本人かどうかは定かではないが、その顔の造形は明らかにアジア系のものである。それでも稜真はこの女性を日本人だと確信していた。

 なぜなら勇者クラスは全員、どういうわけか日本人だからだ。

「おお、そうじゃ。紹介せねばな。彼女は――」

「待って、ガレス。自己紹介くらい自分でするから」

 学園長が実にいい笑顔で女性を紹介しようとしたが、すっと伸ばされた白い腕に制された。女性は一歩前に出ると、これから悪戯でも仕掛けるように僅かに目を細め、


「私は舞太刀茉莉まいたちまつり。かつて魔王を倒した勇者にして、今日から君たち勇者クラスの担任よ」


「「「なっ!?」」」

 爆弾のような驚愕台詞を投下した。

 身のこなしから只者ではないと稜真は察していたが、まさかこうもあっさりと初代勇者――この世界に召喚された大先輩に会えるとは思わなかった。というより、神話か伝説のような遥か遠くの存在だと思っていた。

 だがよく考えれば、魔王が討伐されて十年と聞いた。現存していても不思議はない。

「やはり正体を明かす時は気持ちがいいわね。これでお酒でもあれば最高なんだけど」

 皆の驚く顔を満足そうに眺めるかつての勇者。稜真も含め、勇者クラス一同は半信半疑な様子だった。特に夏音は柳眉を吊り上げて初代勇者――舞太刀茉莉を睥睨する。

「嘘ね。初代勇者は死んだんじゃなかったの?」

「こらこら、人を勝手に殺さないの。見ての通りかつての勇者も、『勇者の仲間』も健在よ。このエロジジイだってその一人だし」

「あの、儂、学園長……」

 舞太刀茉莉はコツンコツンと三角定規で学園長の禿頭を小突きながら苦笑する。学園長はもう完全に腰が引けていた。

「あなたが本当に初代勇者なら、なんであたしたちがこの世界に喚ばれたのよ? 勇者がいなくなったからこの世界は躍起になって勇者召喚してたんじゃないの?」

 最もな意見だった。稜真自身、同じ見解で納得していたところもある。

「そうね、その辺りも含めて話の続きは教室でするとしましょう」

 舞太刀茉莉はまた凛々しく笑うと――くるっ。無駄のない綺麗な動きで踵を返した。


九人目・・・を交えて、ね」


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