三章 魔王の遺産(8)
意味がわからなかった。
あれだけ苦労して大迷宮を攻略したのに、目の前の茉莉先生はまるでずっと待っていたかのようにそこに現れた。
「なんで茉莉先生がここに? 俺たちより先に大迷宮に入ってたんですか?」
稜真が問うと、茉莉先生はなんでもないかのように微笑み、親指で後ろの扉を差した。
「この奥に関係者用の転移魔法陣があるのよ」
「「「は?」」」
素っ頓狂な声を揃える稜真たち。転移魔法陣などというショートカットがあるなんて聞いていない。
茉莉先生はわざと教えなかったのだ。
恐らく、大迷宮がどんなものか身を持って経験させるために。
「あまり無茶させないでくださいよ。死ぬかと思ったじゃないですか」
「ごめんなさいね。でも、あなたたちならクリアできると信じていたわ」
茉莉先生は愉快そうに目を細め、稜真たちの後方へと視線を向けた。
「ほら、他のみんなも到着したみたいよ」
振り向くと、正規のルートを通ってきたらしい夏音たち六人が満身創痍な様子で大広間へと入ってくるところだった。
茉莉先生を見つけた夏音たちがぎょっと目を見開き、速足で稜真たちの下へと歩み寄って来る。
「ちょっと稜真くん、どういうことよこれ?」
「いや、俺もまだよくわかってないっていうか」
「まさか茉莉ねぇが大迷宮のラスボスってわけじゃねえだろうな……?」
「茉莉先生、でしょ?」
相楽が警戒するように身構えるが、茉莉先生は微笑んでそう訂正するだけで肯定も否定もしなかった。ゴーレムだけでも大変だったのに、もしそうなら嫌すぎる。
「話は奥でするわ。ついて来なさい」
茉莉先生はそれだけ言って踵を返した。稜真たちは顔を見合わせ、ここで立ち往生しても仕方ないと意見を合致させて彼女の後を追いかける。
扉をくぐると、そこはこれまでの大迷宮とは打って変わったこじんまりとした部屋だった。
いや、違う。
「怪盗ノーフェイスが狙っている魔王の遺産は、これよ」
小さく感じたのは、部屋の中心にどんと置かれてある巨大な漆黒のクリスタルが大幅に容積を食っているからだ。
稜真はまるで花弁のように全方位に柱を突き出しているそれを見上げる。
「これが『睡蓮の黒水晶』……」
黒く透き通っていて神秘的なのに、凄まじく禍々しいオーラを感じる。魔王となった殻咲隆史と近い――否、全く同じと言っていいだろう。
だが、殻咲よりも格段に力は強い。それだけ魔王の魔力が濃縮されているということだ。
「いやでけえよ!? こんなもんどうやって盗むつもりなんだ!?」
「チッチッチ、甘いよサガラっち。『盗む』と言ったからには自由の女神だろうが富士山だろうが盗んでしまうのが怪盗デスヨ」
愕然とする相楽に、侠加が腹の立つドヤ顔で指を振ってみせた。
「あれは『睡蓮花の魔王』にトドメを刺した後だったわ。奴の魔力が暴走しちゃって、流星のように世界中に散らばったのよ。各地で結晶化していたそれらをどうにか集めたのが、これってわけ」
茉莉先生が三角定規で花弁をコンコンと小突く。今は一つの結晶のように思えるが、同じ魔力からできたものなら融合でもしたのだろう。
「こんなやべぇもん、処分しちまった方がいいんじゃねえか?」
今枝も花弁の一つに触れようとしたが、ギリギリで危険だと判断したらしく手を引いた。
「それができたらやっているわ。できないからわざわざこんなダンジョンまで作って厳重に封印しているのよ」
「もし壊したりしたら、その、どうなってしまうのでしょうか?」
恐る恐る訊ねた緋彩に、茉莉先生は黒水晶を見上げ――
「魔力の大爆発が起こるわね」
あっけらかんとそう答えた。
「物理的に吹き飛ぶのは学園の一部くらいでしょうけれど、魔王の魔力がウイルスのように拡散して自治州内どころか周辺諸国まで汚染していくわ。そうなると聖剣を覚醒させた勇者以外の全ての生き物が魔物と化すわね、きっと」
動植物だけでなく人間も、ということだ。それだけは絶対に防がねばならない。今にして思えば、魔人ベルンハードが殻咲を使って学園を襲ったのも、この『魔王の遺産』を目的の一つにしていた可能性がある。
「となると、怪盗ノーフェイスはその爆発を起こすつもりなんじゃないか?」
「なるほどね。怪盗ノーフェイスが魔人族側なら充分にあり得る話よ」
「ちょっとリョウマっちカノンっち! 怪盗が獲物を破壊するなんてあり得ないことデスヨ!?」
「そりゃてめえの美学だろうが侠加!」
「どっちだろうと防ぐしかねえってわけだろ? ハッ、やってやろうぜ! リベンジだ!」
「あはは、相楽くん、間違っても自分で壊さないでね?」
「微力ながら魔術で封印を強化しておきますね」
「にゃ。めんどくさいことになりそう」
「……」
怪盗ノーフェイスには一度ここにいる全員が出し抜かれている。誰もが相楽ほどではないにしろ、やられたからにはやり返すつもりでいるようだった。
「ところで、茉莉先生がここまで来た転移魔法陣って?」
と、大沢が周囲をキョロキョロしながら訊ねた。
「水晶の裏よ。学園長室の隠し部屋に繋がっているわ」
「あはは、よかった。大迷宮を逆走しろって言われたらどうしようかと」
ほっと息を吐く大沢。稜真も再びあの殺意の高い大迷宮を逆攻略しろなんて言われたら断固拒否である。
茉莉先生の後に続いて黒水晶の裏に回ると、そこの床には確かに直径二メートルほどの魔法陣が淡い輝きを放っていた。
大沢が魔法陣を真っ直ぐ見詰める。
「この転移魔法陣って、誰でも使えるんですか?」
「それは無理よ。魔法陣に登録されている人間以外には反応しないようになっているわ。今は私とガレス、それと魔法陣の設計者の三人だけね」
「ボクたちも登録してもらうことってできますか? 水晶を守るためにまた大迷宮の入口から来るのはちょっと……」
「大沢くんの言う通りね。登録してもらわないと、もう一度危険でめんどくさいルートを通らないといけなくなるじゃない。そんなの絶対嫌よ」
夏音が同意し、稜真たち勇者クラスの面々は力強く頷いた。
「そうね。登録は私でもできるから、一人ずつ魔法陣の上に立ちなさい」
苦笑する茉莉先生に促され、言われた通りまずは稜真から魔法陣の上に立つ。茉莉先生が魔法陣の縁をなにやら指でなぞると、輝きが少し強くなり、やがて元に戻った。それで登録できたということらしい。なんとも地味である。
他の勇者たちも一人ずつ登録してもらい、魔法陣を使って一旦学園へと戻ることにした。
本当に学園長室の隠し部屋――本棚の裏へと繋がっており、ぞろぞろと出てきた勇者たちになにも知らされてなかったらしい学園長がぎょっとしていた。
「あとの問題は、ノーフェイスがいつ仕掛けてくるかだな」
稜真たちは学園長室の中央に集合し、例の予告状を再確認する。学園長が「あの、ちょっと、君たち……?」とか言っているが、今はスルーで問題ない。
【異世界より召喚されし者に告ぐ
白き月の光が闇に染まる頃
義勇の学び舎に眠る魔王の遺産を頂きに惨状する
見事これを退けたならば
蒼の秘宝をあるべき場所に返すと約束しよう
怪盗ノーフェイス】
魔王の遺産はたった今この目で見てきた。
残る謎は二行目だ。
「白き月の光が闇に染まる頃、だよな。茉莉ね……茉莉先生はなにか知らねえか?」
「ええ、知っているわよ」
「「「!?」」」
相楽の問いに茉莉先生は簡単にそう答えると、天を指差すようにして勇者たちを見回した。
「この世界の月が自分で発光していることには気づいているわね?」
稜真たちは頷く。稜真がそのことに気づいたのは、ルルンの街で怪盗ノーフェイスの潜入経路を割り出していた時だ。あの時も『月』が関連しており、よく観察したことでなんとなくそうじゃないかと思っていた。
「それは月が魔力を帯びているからよ。その魔力が環境によって一日だけ変色する時があるの。周期は年単位。赤、青、緑、金、そして黒って具合にね」
ごくり、と誰かが生唾を飲む。
「黒い月になるのは――丁度、今夜よ」
これにて三章は終わりとなります。
例によって更新作品がローテに入りますので、次回がいつになるかわかりませんが、どうか気長にお待ちいただければ嬉しいです。




