三章 魔王の遺産(3)
急勾配の大迷宮入口を滑落しながら稜真は体勢を整える。
真っ暗で長い長いスロープを滑り続け、どこまで落ちるのだろうかと不安が過った時、視界の奥に一つの光点が見えた。
出口から吐き捨てられるように落とされるが、体勢を整えていたおかげで綺麗に着地できた。
「これが大迷宮の中、か」
立ち上がり、周囲を見回す。
そこは石の壁で囲まれた殺風景な通路だった。
大人五人が横に並んで歩けるほどの幅はある。暗くはなく、石壁の継ぎ目に生えた苔が光を発しているため意外にも明るい。
分岐点はなさそうだが、前後どちらにもひたすらに伸びている。稜真の視力でも奥まで見えないとなると、大迷宮と言われるだけあってかなり広いのだろう。
「……坂になってるのか」
さっきみたいに滑り落ちるほどではないが、この通路も確かに傾斜している。となると、地下へ向かう方が恐らく正解のルートだろう。
「よっと」
天井の穴から相楽が落ちてきた。稜真同様に〝超人〟なだけあって問題なく着地を決める。
「チッ、霧生が一番乗りかよ」
「僅かな差だろ。それより俺たちが先に落ちてよかった。他のみんなを受け止め――」
「ひゃああああっ!? どいてどいてぇえっ!?」
むにっと。
次に天井から落下してきた夏音が、まだ受け止める準備のできていなかった稜真たちに激突。柔らかいなにかが稜真の顔面に押しつけられる。
それが夏音の大きくも小さくもない胸だと気づくと、この後に起こるだろう展開が予想できてしまい稜真は静かに覚悟を決めるのだった。
「……すまん」
「~~~~~~~ッ!?」
顔を真っ赤にした夏音がバチン! と景気のいい音を奏でて稜真の頬に平手を一発。不慮の事故とはいえ、これで許されるのなら甘んじて罰を受け入れる稜真である。
と――
「ふごっ、むごごごっ」
「ひゃん!?」
変な呻き声がしたかと思えば、夏音の体がビクリと跳ねた。見ると、稜真と一緒に体当たりをくらった相楽が文字通りの意味で夏音の尻に敷かれていた。
バチン! バチン! ズドン!
「ちょ、落ち着け龍泉寺!? 聖剣はやばいって霧生は平手一発だったのに!?」
「うるさいわね!? お嫁に行けなくなったら浩平くんを殺してなかったことにするわ!?」
「理不尽だろ!? だいたいてめぇお嫁に行くような可愛らしいタマかよ!?」
「あぁ!?」
広くはない通路で鬼ごっこを始める相楽と夏音。そんな二人を傍目に溜め息を吐きつつ、稜真は続いて落ちてきた大沢と緋彩をそれぞれ片腕でキャッチした。
「あ、ありがとう、霧生くん」
「助かりましたぁ」
その後の手助けは不要だった。〝超人〟と遜色ない身体能力を持つ〝妖〟の紗々と辻村は自力で着地し、そもそも滑落すらしていなかった〝異能者〟の今枝と侠加は普通に降りてきた。
「みんな無事ね? フフフ、これが大迷宮、いきなりやってくれるじゃないの」
夏音は怪しく笑う。さっきのラッキースケベによる精神的ダメージは割と大きいようだった。
「――って相楽くんどうしたの!? 既にボロボロになってるけど!?」
「名誉の負傷だ。気にするな、大沢」
「入っていきなり通路の途中とはな。で、夏音、どっちに進む?」
「そうね。坂道になってるみたいだし、普通に考えたら下るのが正解じゃないかしら?」
「あの、帰りはどうしましょう? 天井の穴は閉まってしまいましたし」
「上れば帰れる? にゃ?」
「侠加ちゃん的にはそんな単純じゃあないと思うね。上って出られる場所があるならそっから入った方が安全に決まってますよ」
「……」
「とにかく進もう。幸いこの辺に罠はなさそう――」
稜真が改めて警戒しつつ周囲を見回した、その時だった。
ガコン! と。
なにかが作動する音がした。
続いて通路の上り側の奥から、ゴロゴロと巨大ななにかが転がってくるような音も聞こえてくる。
「これは、まさか……」
嫌な予感に稜真は冷や汗を掻く。限られた幅の通路。球状の物体が転がるには都合のいい傾斜。もうそれ以外この音の原因を考えられなくなる。
「なんていうか、ベタね」
「ああ、ベタだな」
同じ考えに至ったらしい夏音と相楽が通路の奥を見上げる。そこから、まるで撃ち出したパチンコ玉のような勢いで丸い大岩が転がってきた。
誰かがごくりと生唾を飲んだ。
「これでこそ大迷宮ね♪ それみんな逃げるわよ!」
「なんで楽しそうなんだ夏音てめぇ!?」
「アハハハ、流石の侠加ちゃんでもこんなベッタベタな罠は初体験デスヨ!」
「眠い。にゃ」
「なんか余裕そうだけど、ボクはあんなのに潰されたら普通に死ぬからね!?」
「ひーん!? 私もですぅ!?」
「喋ってないで走るんだ! どこかにこの罠を回避できるところがあるはず!」
稜真たちは一目散にダッシュする。高速で走行するトラックに轢かれるよりはマシだろうが、だからと言ってあんなものを受けてなどいられない。
だが、一人だけその場を微動だにしない者がいた。
「……」
辻村だ。
「辻村くん!?」
「おい、なにしてんだ辻村!?」
大沢と相楽が振り返って声を荒げる。
辻村はじっと転がり迫る大岩を見詰め――
「……」
額に二本の角を生やし、周囲に青白い人魂のような炎を浮かべた。
鬼化したのだ。ということは、辻村は大岩を受け止める、いや、破壊するつもりのようだ。
稜真たちはハッとする。
「そうか、別にお約束通り逃げなくていいんだ」
「だな。オレらならあんな岩くらいぶっ壊せる」
「いっけーっ! 辻村くん!」
稜真たちの声援を背に、辻村は片足を引き、体を横向きに構え、タイミングよく転がる大岩に拳を打ち込む。
ちゅどぉおおおおおおん!!
大岩が大爆発した。
「「「ぎゃああああああああああああっ!?」」」
発生した爆風が稜真たちを吹っ飛ばす。轟音と衝撃と高熱と爆光が同時に襲いかかってきたが、距離があったためダメージは少ない。
「ば、爆発したぞあの岩!?」
「壊したらこうなるっていうの!?」
「それより辻村くんが爆発に巻き込まれて」
むくり、と。
爆煙の中から立ち上がる人影。心配していた大沢がほっと息をつく。
「よかった無事――」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロぺちっ。
「「「辻村ぁあああああああああああッ!?」」」
転がってきた二つ目の大岩に辻村は呆気なく轢き潰されてしまった。
破壊すれば爆発。破壊しても次から次へと転がってくるのだとすれば、迎え撃つという選択肢はおのずと消える。
「マジで逃げるわよみんな!?」
「でも辻村さんが!?」
走り始める夏音に顔を青くした緋彩が訴えるが、稜真も今回は夏音に賛成だ。
「今は逃げよう。鬼化した辻村はあの程度でどうにかなるわけないから」
そう言って稜真は緋彩をお姫様抱っこする。
「ふぇあ!? りょ、稜真さん!?」
「悪い。ちょっと我慢してくれ」
本気で逃げるとなると身体能力で劣る〝術士〟を自分で走らせるわけにはいかないのだ。
「相楽! 大沢を頼む!」
「ずりぃぞ霧生! オレも神凪がよかったぜ」
「さ、相楽くん、ボクそんなに重くないよ?」
「そういうことじゃなくてだな」
瞳を潤ませる大沢に相楽はたじろぐも、すぐに小脇に抱えるようにしてダッシュした。
「ウチの力で少し岩を止めておく。その間に安全な場所を探すぞ」
「少しと言わずずっとクルっちが止めとけば万事解決すると思うデスヨ」
「てめぇが壁に変身して受け止めてもいいんだぞ、侠加」
「喧嘩してる場合か!?」
なんやかんや喚きながらも、稜真たちは大迷宮の奥へ奥へと進んでいく。
それが本当に正しい道なのかもわからないまま――。




