エピローグ
魔王の襲撃から数日が経過した。
フォルティス総合学園は被害の状況を確認し、既に復興作業に入っている。武芸部と魔法学部はあちこちで魔物との交戦があったにも関わらず、建物の被害はそれほどでもなかった。魔法工学部など全くの無傷だったため普段通りの授業が行われている。
最も酷かったのは本校舎、つまり勇者棟だった。
屋上テラスは見るも無残に崩れ去り、その丁度真下にあった勇者クラスもぺしゃんこになっていた。三階以下は無事だった部分も多いが、それでも完全に修繕されるまでは立ち入り禁止である。
稜真たちも復興作業に参加していた。〝超人〟〝異能者〟〝術士〟〝妖〟。こういう時にこそ非常人としての力を役立てるべきだろう。面倒臭いと言ってやる気なかった今枝來咲や獅子ヶ谷紗々も結局なんだかんだで手伝ってくれた。
そうして復興作業も一息つく頃、フォルティス総合学園では初の魔族戦での勝利を記念して祝祭が催されることとなった。
武芸部も魔法学部も魔法工学部も祭一色。どこに行っても色取り取りの料理が並び、自慢の歌唱力を披露している者もいれば、明るい楽曲の演奏でムードをさらに盛り上げている団体、勇者たちの活躍を描いたお芝居までやっている。
あの緋袴を着た女子は神凪緋彩役だろうか? 出鱈目な文言を唱えつつ、術は威力を押さえた火炎魔法で代用している。本人が見たら赤面してダッシュで逃げそうなお芝居だった。
他の学区の人々も巻き込んで、まるで一国全体でお祭り騒ぎを起こしているような勢いだ。いや騒ぎ過ぎだろうと思ったが、この学園の存在意義が証明されたようなものだから仕方ないのかもしれない。
当の勇者たちは各地から引っ張りだこ。最初は勇者クラスで集まって祭りを楽しむつもりだったが、あれよあれよと言う間に全員バラバラになってしまった。
龍泉寺夏音や夜倉侠加はノリノリでお呼ばれして行ったが、担ぎ上げられることが苦手な者は勇者を求めてゾンビのごとく彷徨う亡者から全力で身を隠さねばならない。
稜真はその一人だった。
「勇者リョウマはどこですかーっ?」「いたら返事してください!」「いなければ居場所を教えてくだーい!」「魔王を倒した勇者様―っ!」「わたしたちの演劇にリョウマ様ご本人を登場させていんですぅ!」「いやいや、勇者リョウマには剣術科主催の剣技大会に出場していただきたい!」「リョウマ様に是非とも我々奉公科メイド隊のご奉仕を!」
さっきからこんな調子である。剣技大会には興味あるが、今はそんな目立つところに出るわけにはいかない。というか奉公科なんてものまであるのか、この学園は。
稜真は修繕中の建物の陰に隠れながら場所を移動することにした。大きな通りに出る前はとりあえず物陰に隠れて周囲の様子を探る。
と――
「待ってくんろ勇者様ぁああああっ!」
「うわぁああああ来るなぁあああああっ!?」
目の前を相楽浩平とそのお世話係であるエリザベータが猛スピードで通過した。エリザベータが走る度にドシンドシンと地鳴りが発生している気がするのはきっと気のせいだろう。彼女は可憐な女の子なのだ。〝超人〟を追いかける脚力があっても可憐な女の子なのだ。
「ふぇええええええええん!? また勇者様に嫌われただぁあっ!?」
「いや違えよ!? エリザじゃねえよその後ろの奴らだ!?」
号泣しながらドシドシ走るエリザベータに相楽は必死の形相で弁解している。実際、だいぶ遅れて白魔法科の女子軍団がキャーキャー喚きながら相楽を追いかけて稜真の前を走り抜けて行った。
「……え? なんなの、アレ?」
人のことは言えないが、どうしてもそう呟かずにはいられなかった稜真である。
「勇者コウヘイ様は白魔法科の女の子たちの間で人気になっているみたいです。彼女たちが危ないところを颯爽と現れて助けてくれたそうで」
「へえ……」
隣に並んだ蒼銀ツインテールの少女の説明に稜真は少し感心した。あの騒動の中でテロリストだった相楽もしっかり誰かを護っていたのだ。
「――ってシェリル!? いつの間に!?」
「え? あの、ずっとここにいたので……」
見れば、稜真が隠れている物陰は白魔法科が出店しているクレープの屋台だった。相楽たちに気を取られて気づかなかった。
「あの、えっと……リョウマ様、クレープ食べますか?」
「あ、ああ、いただくよ」
頷くと、シェリルはせっせと丁寧にクレープを作り始めた。おたま一杯分の生地を鉄板で円形に伸ばすように広げ、ある程度焼けたら引っ繰り返して裏側も焼く。生クリームを落とし、果物を盛りつけて包み込む。
プロと比べても遜色ないクレープが完成した。シェリルから受け取り、一口齧ると程よい甘さが口内に広がる。普通に街でクレープ屋を出せば儲かりそうなレベルだ。
「シェリルは一人で店番しているのか?」
「はい。そんなに大変じゃないので、店番の担当は一人と決められています。もうすぐ交代の子が――」
ドサッ。
稜真の背後でなにかが低い位置から落下した音が聞こえた。
振り向けば、シェリルと交代しに来たのだろう白魔法科の女子生徒が、稜真を見て口をあわあわさせているところだった。落下音は彼女の手持ちのバッグか。
「……」
「……」
「……ゆ」
「……ゆ?」
すうっと大きく息を吸い込む女子生徒。
なんとなく、嫌な予感がした。
「勇者リョウマ様いたぁああああああああああああああああああああっ!?」
学区全体に響くような大声で感激を表現する女子生徒に稜真の顔が真っ青になった。そういえばこの女子生徒、さっきまで稜真を追いかけ回していた一人だ。
「勇者リョウマ様だって!?」「どこどこ!?」「あのクレープ屋よ!?」「リョウマ様わたしたちの演劇に!」「剣術大会に!」「メイド隊全隊員に告ぐ! 勇者リョウマを発見! 意識を奪ってでもご奉仕するのよ!」
各所から様々な思惑を秘めた生徒たちが現れ、稜真を視認するや猛烈な勢いで突撃してきた。
「やっべ!?」
「ふぇ?」
稜真は反射的にシェリルの手を掴んでダッシュした。勢いのまま彼女を抱き寄せ、お姫様のように抱っこして建物の屋根へと飛び移る。
「りょりょりょリョウマ様はわわわっ!?」
「悪いシェリル! つい連れて来てしまった!」
あの場に残すとなんとなく厄介なことになりそうな予感もしたが、別に彼女を巻き込む必要性は皆無だった。稜真にお姫様抱っこされたシェリルは耳まで真っ赤にして目をぐるぐると回している。悪いことをした。
そしてここに来て逃走ルートをミスった。屋根から屋根へと飛び渡っていく稜真は非常に目立つのだ。稜真を追いかける人数が先程の三倍近くまで膨れ上がっている。
「どっかに隠れるか……」
人気のない屋上を見つけ、そこに着地してシェリルを下ろす。〝超人〟の速度で引っ張り回された彼女は、へなへなと腰砕けになってぺたんと座り込んだ。
「うわ、大丈夫かシェリル?」
「ふぁい、らいじょうぶれす。……リョウマ様に、お姫様抱っこ……えへへ♪」
ダメだ。全然大丈夫じゃない。彼女の意識はどこか遠い世界へと旅立っている。早くなんとかしないと……。
「なにやってるのよ、稜真くん?」
呆れ切った声が耳に突き刺さった。屋上の端。そこから赤みがかった茶髪をツーサイドアップに結ったセーラー服の少女が歩み寄って来た。
龍泉寺夏音。稜真と同じ勇者クラスのメンバーである。
「夏音、なんでここに?」
「ちょっと疲れたから抜けて来たのよ。それより稜真くんこそ、こんな人気のない場所にシェリルさん連れ込んで、どんなイヤらしいことするつもりだったの?」
「そんなつもりは微塵もない!」
人を強姦魔みたいに言わないでもらいたい。
「まあいいわ。お邪魔虫になりそうだから、あたしは退散するわね」
「いや、邪魔とかそんなん全くないんだが……」
稜真は逃げて来ただけで、この屋上でなにかをするつもりなんてこれっぽっちも考えてない。せいぜい、目を回しているシェリルを介抱するくらいだ。
それでもいらぬ気を遣って立ち去ろうとする夏音は、ふと思い出したように振り返った。
「あ、そだ。稜真くん、一つ聞いていいかしら?」
「ん?」
夏音は悪戯っ子みたいな笑みを口元に浮かべ、問う。
「この世界、どう?」
と。
「どうって……曖昧過ぎるだろ?」
漠然とした質問。なにが『どう』なのかさっぱりだが、稜真の予測だと『向こうの世界と比べてどう?』ということになる。
そしてその予測は正解だったらしく、微笑む夏音は澄み切った青空を見上げた。屋上風に乱れるツーサードアップを手で直しながら、彼女は口を開く。
「あたしは楽しいわ。稜真くんや、勇者クラスのみんなに出会えて、自分を隠さず押し込めず好き勝手に馬鹿ができる」
好き勝手にやったらダメだろう、と稜真は心の中でツッコミを入れた。茉莉先生に説教されるのはこりごりである。
「窮屈だった向こうの世界にいるより、『自分』っていうものを感じられるわ」
「……そうだな」
その点なら稜真も同感だった。この世界にも『裏』ってものはあるだろうが、それでも稜真たち勇者は表側の存在になっている。ずっと憧れていたものがこの世界では手に入る。
「向こうの世界に帰る手掛かりはあったけど、なんかもう、今さらって感じだな」
魔族から次元を渡る術を聞き出せば帰ることは可能かもしれない。だが、わざわざこの世界よりも殺伐としたあちらに戻る意味があるのか、稜真にはわからなくなっていた。
戻らないと決めたなら、この世界で最初に立てた目標は消滅する。
次の目標は……もう探す必要もない。
魔族はいずれまた襲ってくる。だったら、奴らからこの世界を護ることが勇者である自分の使命になる。
その時がいつになるかはわからない。
となれば、夏音のように全力でこの世界を楽しむしかないだろう。
「これからもよろしくね、稜真くん」
「こっちこそ、よろしくな」
この異世界にある学園の勇者クラスが、今の稜真の居場所なのだから。




