五章 魔王の襲撃(5)
殻咲が纏っていたオーラが消えていないことに稜真は気づいた。
「なんだ?」
消えないだけならまだいい。残留する物だと思える。だが、殻咲が死んだことで勢いが増していては別だ。
殻咲は確かに死んだ。稜真がこの手で確実に心臓を貫いた。魔王になったと言っても不死ではないはずだ。前の魔王が舞太刀茉莉に討たれていることがその証明になる。
となれば、殻咲の死がなにかのトリガーとなった可能性だ。
「気をつけるんじゃ、勇者リョウマよ」
ぐぐもった声がかけられた。それは崩れた屋上テラスの瓦礫に突き刺さった槍の辺りから聞こえ――
ボゴン!
「ひゃあっ!?」
瓦礫を押し退けて筋骨隆々とした巨漢の老人が飛び出してきた。学園長を救助すべく、その細腕で必死に瓦礫を撤去していたシェリルが悲鳴を上げて腰を抜かす。
「おっと、驚かせてしまったのう」
「はわわ……」
そんなシェリルに学園長は手を差し伸べて立ち上がらせた。
「学園長、大丈夫ですか?」
「うむ。あのくらいじゃくたばらんわい」
強がりでもなんでもなく、豪快に笑う学園長の体は掠り傷程度だった。瓦礫に埋もれるほど吹っ飛ばされたのになんて頑丈な体だ。彼も実は〝超人〟ではなかろうか?
「儂のことより敵を見よ、勇者リョウマ」
「――ッ!?」
言われた瞬間に稜真は飛び退いた。一瞬前までいた場所に黒い塊が降り注ぎ、強烈な爆発であらゆる瓦礫を四方八方へと吹き飛ばした。
殻咲が纏っていた魔王のオーラだ。
見れば、左胸から血を流す殻咲の体がふわりと浮き上がっていた。オーラが濃霧のように周囲に漂い、次第に殻咲を中心に渦を巻いていく。
黒い竜巻と化したオーラの風圧に稜真たちは腕で顔を庇う。だがそれ自体が攻撃というわけではなく、竜巻は勢いを失わないまま中心の殻咲に収束する。力なく垂れ下がっていた殻咲の足が、手が、胴体が、頭がオーラに包み込まれていく。
卵に似た形の黒い浮遊物体が完成するまで二秒とかからなかった。
「なんだアレは? 卵? いや、繭か?」
正体がまるでわからない。稜真の直感は早くなんとかせねばと警鐘を鳴らしている。が、下手に攻撃を加えてもいいのだろうか? 手を出せば稜真もあの中に取り込まれてしまいそうな禍々しさに突撃する意思が揺らぐ。
試しに銃で撃ってみる。その瞬間に大爆発でも起これば稜真たちは死んでいたかもしれないが、そんなことはなく銃弾はオーラの殻に弾かれただけで終わった。
次は日本刀で斬りつけようと構えたその時――ヒラリ。卵の頂点からバナナの皮が剥けるようにぺろんと殻が開いた。
その様子を見て稜真は悟る。
アレは卵でも繭でもない。
蕾だ。
「プヒャッ! ゲヒャヒャ!」
狂ったような下卑た嗤いが、睡蓮のような花弁の中心から放たれた。
そこには醜く歪みに歪んだ、かろうじて原型を留めている殻咲の顔面があった。命を失ったはずなのに瞼が開かれ、破壊の意思を宿した赤い瞳が爛々と輝いている。
「殻咲さん、ついに弁護できないくらい人外に……」
あまりの醜悪さに吐きそうになるも、稜真は堪えて武器を構える。これはアレだろう。ラスボスの二段階目。稜真の好きなRPGをここまで忠実に再現してくれなくてもよかったのにと思う。
「ゲヒャヒャ! 壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す!!」
呪詛のように同じ言葉を連呼する殻咲。奴が口を開くたびに禍々しい邪気が肌を刺す。圧倒的な魔力に膝をつきそうになる。
「ふむ、ようやく前の魔王らしさが出てきたのう」
稜真でも堪え難い苦痛の中だというのに、学園長は魔力にあてられて今にも気を失いそうなシェリルを背後に庇いながら堂々と仁王立ちしていた。
「前の魔王ってこんなに狂ってたんですか?」
「否。らしいというのはあの姿じゃ。儂らが倒した魔王は『睡蓮花の魔王』と呼ばれておっての。最終的に人型からあのような怪物の姿になっておった」
学園長の口振りは『魔王は同時に複数存在する』と言っているように聞こえる。今思えば、魔人ベルンハードも自分たちの主以外に魔王がいることを前提とした話し方だった。それも、恐らく別の次元に。
事はこの世界だけの話ではないのか?
――いや、今はそんなことより目の前の敵だ。
茉莉先生が未だに現れないことが気がかりだが、きっとこの場にいないベルンハードの相手をしているのだろう。ベルンハードの幻惑魔法は厄介だ。茉莉先生の加勢は期待しない方がいい。
となると――
「殻咲さんが真の魔王に覚醒したって言うのなら、やっぱり止められるのは俺だけか」
聖剣を持つ勇者は他に稜真しかいないのだ。
†
「これも想定の範囲だったってわけ?」
魔王カラザキの豹変に一瞬焦りそうになった舞太刀茉莉だが、魔王の力の程度を感じ取って落ち着きを失わずに済んだ。
あの力は茉莉が倒した魔王のほんの一部に過ぎない。爪の垢程度……と言うと流石に過小評価になるが、今から茉莉が駆けつければ然したる被害も出さずに葬ることだってできるだろう。
ベルンハードが素直に行かせてくれたら、の話になるが。
「魔王の魔力には負の想念が詰まっています。殺せ殺せ殺せ。壊せ壊せ壊せ。己の意志で力を制御しなければ、常にそのような呪詛めいた言葉を脳内に聞かされ続けることになります。カラザキ様はその声が聞こえなくなるほど壊れてしまったようでしたがねぇ」
「それとあの状態になんの関係があるって言うの?」
「負の想念――つまり、魔力には意思が宿っているのですよ。魔王の残留思念とも言うべき強い意思が。カラザキ様がお亡くなりになられたことで、その意思が肉体を乗っ取ったのでしょう。実験でも、マウスが死亡と同時に豹変するケースは何度かありましてね」
ベルンハードはこれを見越していた。たとえこうならなくとも、この襲撃自体が実験の一環であるためデータのサンプリングを行っている彼には有意義な結果だろう。
ならば、これ以上魔族に余計なデータを集めさせるわけにはいかない。
だが――
「さて、勇者マツリ。あなたが私の下へ来たことは好都合でした。私ではまだあなたに勝てませんが、しばらく身動きを封じることくらいなら可能なので」
「――ッ!?」
視界が急に真っ暗になった。右も左も上も下もわからない虚無の空間。自分の体だけが不思議と明るく見える。
異空間に飛ばされたわけではない。これは幻惑魔法だ。ベルンハード自身、それを得意とすると言っていた。
「幻だとわかっていても、振り払うことはそう容易くないですよ?」
どこからかベルンハードの声が響く。途端、茉莉の周囲を取り囲むように巨大な大蛇の群れが出現した。
大蛇の一体の頭に、ベルンハードが嫌らしい笑みを浮かべて立っている。
「くくく。あなたなしで、彼らはこの危機を乗り越えられますかねぇ?」
あれは幻か? 本体か?
幻だろう。
本物は……後ろ。茉莉の背後から手刀を振り下ろしている気配に向けて聖剣を振るう。すると舌打ちが聞こえ、気配がすっと遠ざかった。五感を狂わせるタイプの幻術には勘で挑む。なんなら目は閉じていた方がいいかもしれない。
「この危機を乗り越えられるか、ですって?。馬鹿ね。ここをどこだと思っているの? 勇者のために、魔族と戦うために創られた学園よ」
茉莉は神経を研ぎ澄ませながら、凛然とした態度で近くにいるだろうベルンハードへと言い放つ。
「この程度が危機になるほど、彼らは弱くないわ」




