五章 魔王の襲撃(2)
魔族の結界を破った稜真たちが森を抜けた時には、既に学園は凄惨な有様だった。
森の入口からでは魔法学部しか見えないが、多くの建物は崩れ、あちこちから壊滅的な炎と黒煙が吐き出されている。さらには複数体の花の魔物まで闊歩しており、人々のパニックは極限に達して悲鳴と怒号が飛び交っていた。
「酷い……」
あまりの光景に夏音が悲痛な声を漏らした。数日・数週間とはいえ、自分たちの過ごした場所が戦火に包まれる様子など誰だって見たくない。だが、これは現実だ。魔族の生み出した幻覚ではない。勇者たちは全員、悲しさと怒りが綯い交ぜになった顔をしてその光景を目に焼きつけなけばならなかった。
ただ一人を除いて。
「いえ、意外とそうでもないわ」
先頭に立って皆を引率していた茉莉先生だけが、冷静に状況を把握していた。
「結界の破壊にそう手間取りはしなかったけれど、それでも森を抜けるのにそこそこ時間がかかったはずよ。魔王が襲撃したにしては被害が少な過ぎる。私が倒した魔王なら、それだけ余裕があれば街の一つや二つくらい簡単に更地に変えるわ」
さらりととんでもないことを言う茉莉先生。
「殻咲さんが以前の魔王より劣っているってことですか?」
「それもあるでしょうけれど、一番の要因はここが――ッ!」
稜真の質問に答えていた途中で茉莉先生は表情を険しくする。こちらに気づいた魔物の一体が奇声を発して襲いかかってきたのだ。
「よく見てなさい」
茉莉先生はそう告げるや迫り来る魔物に突撃し、一瞬でその巨体を細切れに分解した。両手に二本の大剣を携えた初代勇者は、魔物の残骸を踏みつけて後輩勇者たちを見る。
「この魔物は根っこの生え際を叩けば死滅するわ。聖剣がなくても君たちなら簡単に倒せるはずよ」
切り刻まれた魔物に動く気配はない。流石は幾度となく様々な魔物と戦った経験を持つ勇者である。魔物の急所を熟知している。
弱点さえわかれば勇者クラスの猛者が苦戦することもあるまい。あの魔物の行動パターンは稜真たちも実際に戦って把握しているのだ。戦わなかったBチームにも情報は共有してある。
「ここからは手分けするわ。君たちは人命救助を第一に、人々の避難誘導、魔物の駆逐、親玉の捜索をお願い。ただし、霧生稜真以外は魔王を発見しても戦っちゃダメよ。聖剣を使えない君たちじゃ厳しい戦いになるだろうから」
茉莉先生は勇者クラス一同を見回しながら指示を出し、釘も刺した。『勝てない』と言わない辺り正直だが、聖剣の有無が魔族戦にどう影響するかは全員が先程思い知っている。
「霧生だけ聖剣覚醒しやがって……おい、本当にどうやったのかわかんねえのか?」
「さっき言った通りだ。俺にもよくわからないんだよ」
半裸の相楽が詰め寄ってくるも、稜真は聖剣についてわかることは全て道中で話した。今その点を考察しても時間の無駄にしかならない。
「なにかを自分の手で成し遂げたい強い気持ち。私の時と似ているところはそこね。案外その気持ちこそが核心部分なのかもしれないけれど、今は余計なことは考えないで。もしそうならなにを思っても『聖剣を覚醒させる』って雑念が混じってしまうわ」
「そうね。下手なこと考えながら戦える相手でもないわ。とにかく今は一人でも多く助けることを考えましょう」
茉莉先生に夏音が同意し、皆も頷いた。
「魔王か魔人を見つけたら私に知らせなさい。方法は問わないわ。決して無茶はしないように。――散開!」
茉莉先生の号令で稜真たちはそれぞれ思う方向へと駆け出した。
†
魔法学部。白魔法科の学舎付近。
――納得いかねえ。
相楽浩平は学舎の屋根と屋根を飛び越えながら武芸部を目指していた。魔物と戦うにしても武器が欲しいからだ。たとえ〝超人〟仕様じゃなくてもないよりはマシだろう。
最高の武器は手元にあるが、ピコピコハンマーのままでは使い物にならない。霧生稜真の聖剣のように武器として覚醒していないのなら、その辺の植木を振り回した方が役に立つ。
そこが悔しい。
――くそが!
心の中で悪態をつく。
――霧生にできて、オレにできねえってこたぁないはずだ!
霧生稜真と相楽浩平に〝超人〟としての優劣はほとんどない。稜真の方が俊敏さは上だが、単純なパワーは相楽が優っている。聖剣の覚醒に足りないものがあるとすれば、それはやはり精神的な――『心』の問題だ。
稜真は誰かを護りたいと願った。ボディーガードをしていた奴らしい想いだ。相楽にも同じくらい強く思える人がいるだろうか? 真っ先に思い浮かぶのは姉貴分の舞太刀茉莉だが、彼女は相楽に護られるほど弱くないし、出会ってから一度も『護ってあげたい』などと思ったことはない。相楽は寧ろ護られる側だったのだ。
ならば顔も知らない学園の有象無象を一人残らず本気で救いたいか?
救えるなら救う。助けられるなら助ける。
できるなら。方法があるなら。どう言い繕っても結局そうなってしまう。視界に映る人々しか救えないことは相楽も十二分に理解している。霧生稜真だってそうだろう。
――オレの聖剣は、どうすれば覚醒する?
どうすれば、霧生稜真や舞太刀茉莉と同じステージに立てる?
魔族を、下衆に磨きのかかった殻咲をぶちのめしたい気持ちは相楽にだってある。寧ろあーいう糞野郎を叩き潰すことがテロリストに堕ちた相楽の人生だったと言っても過言ではない。中でも殻咲は過去最大級の屑だった。
聖剣を持たねば戦う資格すらないのか?
相楽は勇者としてこの世界に召喚されたのに……。
「ひゃああああああああああああああああああああああああッ!?」
近くから悲鳴が上がった。相楽は足を止めて悲鳴が聞こえた方を向く。建物に囲まれた袋小路で数人の白魔法科の女子生徒が魔物に追い詰められていた。
「あれは、エリザか?」
女子生徒の中には相楽の見知った顔もあった。相楽をこの世界に召喚した大柄な少女だ。彼女の他にも吹けば飛びそうなか細い少女たちが固まって震えている。
魔族は、殻咲は、あんな戦えなさそうな人間まで無差別に襲っているのか。
無性に苛立つ。
「くそっ、やっぱ余計なこと考えてる場合じゃねえな!」
相楽は視界に映る人々しか救えないことを理解している。
だからこそ、映ったなら全員救う。
「もう聖剣なんてどうでもいい! エリザたちを助けたら殻咲はオレが殴る!!」
怒りを声に孕ませ、相楽は少女たちを襲おうとしている魔物へと突貫した。
†
魔法学部。第一正門を抜けた先。
「リョウマ様、ありがとうございます。私の我が儘を聞いていただいて」
「いや、それはいいんだ」
霧生稜真はシェリルを背負った状態で勇者棟へと続く道を疾走していた。茉莉先生の号令で皆が散開した後、彼女は稜真を引き止めて自分も一緒に連れて行ってほしいと頼み込んだのだ。
「シェリルを護るって約束したからな。一人で残すよりは俺の傍にいた方が安全だ」
「はい! 全力でリョウマ様をサポートします!」
稜真の背中でシェリルはぎゅっと拳を握った。できれば後ろで大人しく隠れていてほしいが、彼女は頑なに『自分も戦う』と言って聞かなかった。同行を許可してしまった以上、彼女の戦闘への参加を認めないわけにはいかない。稜真の与り知らぬところで魔物に襲われるよりはずっといい。
三日前の彼女からは想像できない勇気だ。森で魔物と戦い、魔王と対峙し、勇者たちの戦いを見たことで彼女の心になにかしらの変化があったのかもしれない。
普通は怖気づくだろう。深いトラウマを刻まれ、二度と杖を持つこともできなくなってしまうことだってあり得た。
強い娘だ、と稜真は思った。友人を泣かせた相楽に怒鳴った時もそうだ。表面上は人見知りでオドオドしていようと、彼女の芯は鋼のように強く固い。
魔族と戦うために勇者を召喚した義務を、召喚してしまった責任を彼女は全うしようとしている。
ならば稜真も召喚された者の、命を救われた者の責務を果たそう。
相手が知り合いだろうと、もはや別人。
〝勇者〟リョウマは〝魔王〟カラザキを討つ!
「リョウマ様! あそこ! 勇者棟の上です!」
「ああ、見えてるよ」
位置からして屋上テラスだろう。殻咲の纏っていた暗黒のオーラが煙のように噴き出ている。シェリルに見える距離で稜真が気づかないはずがない。殻咲の丸々と太った肉団子のような体もはっきりと視認している。
その殻咲と対峙する一つの人影も。
「……誰かが戦っているな」
それが誰かは言葉にしてから気づいた。稜真は一度しか会っていないが、たった三日前だ。あの鍛え抜かれた体躯を忘れるはずがない。
魔王と戦っている人物は――学園長だ。