四章 精霊の泉の大騒動(6)
夏音が、シェリルが、大沢が捕まった。
相楽は森の奥に吹っ飛ばされたきり戻ってこない。
「……みんなを、助けて」
夏音の振り絞った声が耳に届く。涙で濡らした彼女の瞳は後悔の感情が溢れていた。自分はどうなってもいいから周りのみんなを助けてくれ。そう懇願するだけの決心も痛いほど伝わってくる。
これと全く同じ光景を、稜真は以前に見たことがあった。
中学時代、通っていた学校が〝異能者〟の男をリーダーとする強盗団に占拠されたあの日。
直接人質に取られた者たちの中にいた、クラスメイトの少女も同じことを口にした。稜真は自分が〝超人〟であることを一般人にバラしてまで戦ったが、彼女だけ護ることができなかった。
――また、俺は護れないのか?
稜真だけ逃げようと思えば簡単だ。けれど、そんな選択肢は最初から持ち合わせていない。全てを切り捨てて自分だけ助かるなど、少なくとも護る側の者がやってはならないことだ。
夏音は〝超人〟で大沢は〝術士〟だが、かといって稜真の『護るべき人』に入らないわけがない。シェリルには絶対護ると約束すらしている。
――また護れない?
違う。
――今度こそ護る!
あんな光景はもう二度と見たくない。あの時と同じ展開にさせてはならない。稜真は〝超人〟で、ボディーガードだ。人を護るプロだ。
一体なんのために今まで力を培ってきた? ここでなにもできないようなら無力な一般人と変わらない。勇者などと呼ばれる資格なんてない。
だから、稜真は『剣』を抜く。
「――〈抜剣〉」
力ならばここにある。
引き出せないなど関係ない。今使えなければ意味がない。眠っているだけとわかっているのだから、無理矢理にでも呼び覚ませ。
己が魂を。
「――〈目覚めろ〉!!」
それは一瞬のできごとだった。
稜真の握ったギャグとしか思えないハリセンと輪ゴム鉄砲が強烈に輝いたのだ。その光は今まさに夏音たちを喰らわんとしていた魔物が怯むほどであり、恐らく遠くからでも認識できるほど広範囲に渡った。
ハリセンと輪ゴム鉄砲の形状が変質する。
そこに顕れたのは一振りの日本刀と、稜真が元の世界で愛用していた種類のオートマチック・ハンドガンだった。
――本当に覚醒した……?
できなきゃダメだと思っていたが、それでも心のどこかで無駄だろうと諦めていた。
日本刀に拳銃。
――なるほど、聖剣は自分が一番使い慣れた武器になるのか。
稜真は日本刀を一回だけ素振りし、次いで拳銃のマガジンに二十発の弾丸がフル装填されていること確認。弾丸が切れても大丈夫だ。聖剣は稜真の魂からできているのだから、弾丸も同じように魂やら生命力やらを削って補充できる。そう聖剣から伝わってくる。
力は手にした。
あとは一刻も早く皆を救出するだけだ。
「稜真くんの聖剣が……覚醒した……?」
「すごい、ボクにも力が伝わってくるよ」
魔物の根っこに絡め取られたまま夏音と大沢が驚嘆する。聖剣の輝きに怯んでいた魔物も正気づき、危険と判断したのか一斉に余っている蔓を稜真に殺到させた。
だが、今さらそんなものが通用する稜真ではない。聖剣が覚醒したところで稜真自身の身体に変化はなかったが、元々見切れていたものを切断することは容易だった。
何十本もの魔物の蔓を数瞬で斬り落とし、稜真は左手の拳銃を発砲した。狙いは夏音たちを捕らえている根っこ。銃弾が撃ち込まれた途端、根っこは風船のように爆ぜ飛んだ。
「ひゃっ!?」
「わっ!?」
落下した夏音と大沢はなんとか自分で受身を取り、気絶したシェリルは稜真が受け止めた。彼女の安否を確かめつつ、稜真は今しがた自分の成した所業を省みて生唾を飲む。
――これが聖剣……なんて切れ味と威力だ。
それに軽い。とはいえ確かな重さもある。まるで自分自身の手足のようだ、という表現そのままに稜真は感じていた。
――キエェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?
シェリルを道の脇に寝かせると、今頃になって獲物を奪われたことを理解した魔物が奇声を上げた。
「稜真くん!?」
夏音が叫ぶ。蔓をあらかた切断された魔物の次の行動は決まっている。逃げるか、まだ戦う気なら最も強力な攻撃手段を取るはずだ。
花弁が光る。
あの強烈な光線が奔る。
斬! と。
稜真は光線を一刀両断した。
「うそっ!?」
「霧生くん、光線を斬っちゃった……」
驚く二人を余所に稜真は地を蹴り走る。満身創痍の魔物は迎え撃つこともできず、なけなしの蔓や根っこは稜真が刀を振るう度に刈り取られて散っていった。
「くたばれ、化け物」
高く飛び上がり、銃弾を魔物の口内にぶち込む。勇者の魂から作られた弾丸は魔物に呻く余裕すら与えず頭部を破裂させた。
巨大な毒々しい色の花弁が舞い散る。
が、魔物はまだ動いていた。植物は根っこから潰さないと何度だって再生する。
稜真は日本刀を閃かせ、根を、葉を、茎を半秒とかからず微塵に斬り裂いた。ドサドサと積み上がる魔物だったモノ。それを見詰めつつ、稜真は大沢に言う。
「大沢、念のためコレ燃やしといてくれ」
「え? あ、うん、わかったよ」
指示された大沢がすぐに術式を起動させ、炎上した魔物は呆気なく燃え尽きた。
魔物だった灰が風に流されていく。その様子をしばらく無言で眺めていると、やがて夏音が稜真に歩み寄ってきた。
「稜真くん、どうやって聖剣を覚醒させたの?」
腰に手をあてて訊ねる夏音。稜真は自分の聖剣を見詰め……静かに首を横に振った。
「正直、よくわからない。みんなを護りたい、助けたい。そう思っても打つ手が聖剣しかなくて、だったら無理やり起こしてやろうと一か八かで試してみたらなんかできた」
今なら行けると直感したわけではない。聖剣から呼びかけられたわけでもない。覚醒条件を分析するには明確な情報が不足し過ぎている。全てが感覚で、なんとなくとしか言いようがなかった。
「茉莉先生もそんな感じだったんでしょうね」
夏音は得心がいったように息を吐いた。大沢は顎を指で持ち上げるようにして思考し、う~ん、と唸る。仕草がいちいち可愛らしかった。男なのに。
「やっぱりピンチになったりとか、勇者らしく誰かを助けたいって心に反応するんじゃないかな?」
「それならあたしだってさっき思ってたわよ」
「だよね……」
考えが外れた大沢はガクッと肩を落とした。
「まあ、聖剣のことは後でいいわ」夏音が落としていた狙撃銃を拾って砂埃を払いつつ、「とにかく魔物は倒して、あたしたちは助かったんだからよしとしましょう」
「相楽はどっかにぶっ飛ばされたが……」
「浩平くんは頑丈だから大丈夫でしょ」
いろんな意味で信頼されている相楽だった。
「――ってああああッ! せっかくのティーセットがぐちゃぐちゃになってる!?」
放り捨てた狙撃銃のケースと中身のティーセットを見つけて拾いに行く夏音。
とその途中で、彼女はなにを思ったのか急に立ち止まった。躊躇うようなしばしの沈黙後、彼女は稜真たちに背中を向けたまま申し訳なさそうな口調で告げる。
「やっぱり、今回のことはどう考えてもあたしが軽率過ぎたわ。森に入るにしても、もっとよく調べて準備してからにするべきだった」
彼女は振り返り、目を伏せ、深々と頭を下げる。
「ごめんなさい」
夏音らしからぬ素直な謝罪に、稜真と大沢はなにも返せなかった。別に誰も彼女のことを恨んではいないと思うが、そうしないことにはけじめがつかないのだろう。
顔を上げた夏音が稜真を見る。
「稜真くん、その……助けてくれて、ありがと」
「あ、ああ……」
謝罪からのお礼。本当にあの横暴な夏音らしからない行為だ。実は偽者なのではないかと疑い始める稜真である。
「ぶっちゃけると、もうダメかなぁって思ってた。せめてあたしが巻き込んだ人だけでも助けて逃げてくれれば御の字だったわ。だけど、稜真くんは全部救ってくれた」
夏音は少し言いづらそうに視線を逸らし、
「その……か、かっこよかったわよ!」
言うや否や、バッと踵を返して放り捨てたケースの下へと猛烈な勢いでダッシュした。暴れるツーサイドアップの隙間から見えた彼女の耳は、心なしか赤くなっていた気がした。
「なんだあれ?」
「さあ? 龍泉寺さんだし、謝罪とお礼がよっぽど恥ずかしかったのかな?」
稜真にはよくわからない夏音心である。でも大沢の予想には超納得した。
と――
「……ん」
道の脇に寝かせていたシェリルが小さく呻いた。瞼が痙攣し、ゆっくりとお持ち上がる。
「あ、シェリルさん気がついたみたいだね」
大沢が安堵の笑顔で覗き込むと、シェリルのぼんやりとしていた青い瞳がはっきり意識を取り戻した。
「ゆ、勇者ヒカリ様!? えっと、私……ッ!? あ、あの、魔物は!?」
気絶する直前までのことを思い出したらしい。シェリルは飛び起きてはわはわと落ち着きなく周囲を見回した。
「あは、魔物なら霧生くんが倒してくれたよ」
「リョウマ様が……?」
キョロキョロしていたシェリルが稜真に視線を固定する。稜真は穏やかに微笑み、両手に握っていた日本刀と拳銃を見せた。
「ああ、もう大丈夫だ。この通り、聖剣も覚醒したしな」
「え? 聖剣が……? す、すごいです! リョウマ様すごいです! 勇者マツリ様は聖剣覚醒まで数ヶ月かかったと聞いてましたのに」
初耳だった。初代勇者だからなんの情報もなかったからかもしれないが、それでも稜真は昨日の今日で覚醒させたのだ。実はかなりの偉業ではないかと思えてきた。
「でも気を抜いちゃダメよ。魔物がアレ一匹とは限らないんだから」
散らかした物を回収してきた夏音は、恥ずかしさは吹っ切れたのかいつも通りだった。
「そ、そうですね、勇者カノン様。――あ、皆さん手当てを」
「シェリルさんが先よ。一番ボロボロじゃない」
「えっ……?」
夏音に言われてシェリルはようやく自分の状態に気づいたようだ。魔法学部の青い制服も白いマントも襤褸のごとくズタボロで、綺麗だった肌は擦り傷や切り傷や痣だらけである。あと少しだが下着まで見えていた。
「ひえっ」
かぁああああっと高速で赤面して下着が見えている部分を手で隠す涙目のシェリルだった。
「あ、もしかして自分に白魔法って使えないのか?」
「いえ、そんなことはないですが……」
白魔法は利他の魔法と聞いていたからもしかしてと稜真は思ったが、そんなことはないようで安心した。
「勇者様を差し置いてわたしなんかが先にだなんてはわわわ……」
シェリルが戸惑いの目で稜真を見てきた。仕方ないのでここは勇者権限で命令することにしよう。
「俺たちは大したことないから、シェリルは先に自分の怪我を治し――」
ゾワッ。
なにか不吉な感覚が稜真の背中に走った。
まるで背後から拳銃で狙われているような、肌が粟立つ嫌な気配。
「稜真くん?」
言葉が途中で止まった稜真を不審に思ったらしい夏音が眉を顰めた。
――夏音は気づいていない? じゃあ俺の気のせいか?
いや違う。気のせいだと思っても気配は消えない。殺意に似たおぞましさが稜真だけをターゲットにして絡みつく。
――どこだ? 誰だ?
まさか二体目の魔物が?
その可能性を考え、稜真を〝超人〟の感覚を跳ね上げて周囲を探る。
探る。探る。探る。
「!」
発見した。
道から外れ、薄暗くなった森の奥。そこから稜真たちを見詰める丸っこい人影がいた。
「なっ!?」
人影の全容を見て稜真は驚愕した。贅沢に膨らんだ腹に低い背丈。街中を歩いていたら問答無用で職質されそうな下卑た笑みを浮かべるそいつを、稜真は忘れるわけがない。
――殻……咲……?
向こうの世界で最後に護衛した悪徳政治家――殻咲隆史がそこにいた。
――馬鹿な!? なんで!?
稜真と相楽をトラックで轢いた犯人が奴だ。可能性としては、稜真たちと同じように勇者召喚でこちらの世界に来てしまったことが挙げられる。
だが、奴に勇者としての素質があるとは思えない。勇者は確かにどういうわけか日本人だが、全員が歳若い非常人だ。裏世界に関わっているとはいえ、常人で中年でついでに悪党な殻咲が勇者として呼ばれるはずがない。
その殻咲らしき人影が、のそりと踵を返す。
――逃げる? それとも誘っている?
「稜真くん? どうしたのよ?」
夏音たちには見えていないことも気になる。
なにかの罠だとしても、確かめてみるしかないだろう。
「夏音、大沢、シェリルを頼む」
「え? ちょっと待ちなさい稜真くん!? どこに――」
夏音の静止を振り切り、稜真は道を外れて森の奥へと駆けていった。




