四章 精霊の泉の大騒動(2)
「ピクニックに行きましょう!」
午前中の授業が終わり、昼食を済ませた勇者たちが教室で適当に駄弁っていた時だった。ズバン! と勢いよく扉が開かれ、現れた龍泉寺夏音が自信に満ち満ちた表情で意味不明なことを言い出した。
一斉にそちらを振り向いた稜真たちは――
「やっぱりこの世界の魔法使いに聖剣を見せてもダメだったな」
「あ、ボクもフロリーヌに訊いてみたけど、なんにもわからないって」
「聞いてくれ、霧生、大沢。オレの召喚者あんななりでめっちゃ手先が器用でよ」
全力で見なかったことにした。
「無視すんなやコラァアアアアアアアッ!?」
怒り狂った夏音が聖剣という名の水鉄砲を乱射。直撃コースだった水を稜真がすっと体を逸らして避けると、そこにいた相楽の顔面に見事命中した。
「あ、悪い、相楽」
「ヘッ、別に水ぶっかけられたくらいじゃ痛くも痒くも」
「唐辛子を擦り込んであるわ」
「ぎゃああああああああ目がぁあああああああああッ!?」
「相楽!?」
「なんて酷いことを!?」
一発命中したことで満足したのか、顔を両手で押さえてのたうち回る相楽を見る夏音は妙に肌がツヤツヤしていた。こうなってくるともう黙祷を捧げるしかない稜真と大沢である。
「んで夏音、またなんか碌でもないことを思いついたのか?」
興味なさそうに自分の席で頬杖をついた今枝が一応といった呈で訊ねた。
「碌でもないとは失礼ね。ピクニックよ。ピクニック」
「……にゃ? どうしてピクニック?」
聖剣をカードに戻してぷっくりと頬を膨らます夏音に、相変わらず机でぐったりしたまま猫又少女・獅子ヶ谷紗々が小首を傾げた。
夏音はその質問を待っていたかのように上機嫌になって教壇に立つ。
「あたしたちって勇者でしょ?」
「そうだな。この世界ではそういうことになってるな」
定義上の意味で同意した稜真が相槌を打った。
「で、勇者なら教室でくっちゃべってなんかいないで、もっと勇者らしいことをするべきだと思うわけ。魔王がいないからってダラダラやってるだけじゃマズいわ。そのせいであたしたちが勇者じゃなくなったら、この世界における存在意義の根本が消滅するのと同じよ」
「ふんふん、まあ一理あるデスヨ」
「昨日もご迷惑をおかけしただけですし」
侠加と緋彩が納得したようにうんうんと頷く。特に昨日のご迷惑の原因である緋彩は黒真珠みたいな瞳にやる気の光を灯していた。
「というわけで、ピクニックに行きましょう!」
「んん? いきなり意味わかんなくなっちゃったけど、アタシがお馬鹿さんだからデスカ?」
「あの、過程が見えないのですが……?」
目を点にした侠加と緋彩が頭に何個も疑問符を浮かべた。二人だけじゃなく稜真たち全員が理解できていなかった。
夏音は構わず続ける。
「魔法学部の裏手に深い森があるのはみんな知っているわね?」
「いや知らねえ」
「その森の奥に精霊の住む綺麗な泉があるらしいのよ」
「だから知らねえって」
唐辛子水から復帰した相楽の知らない発言は華麗にスルーされた。稜真だって知らない。魔法学部には初日にちょっと足を運んだだけなのだ。
「精霊魔法科の実習地の一つだね。フロリーヌから聞いた話だと、なんかすごい精霊も住んでるらしいよ」
お世話係から聞いたことを思い出しながら、大沢。
「そこがどうかしたの?」
「うん、それがね。ちょっと小耳に挟んだんだけど、その泉の近くに得体の知れない謎生物が出現したって話があったのよ」
夏音の『小耳に挟む』は範囲が広過ぎて小耳どころじゃない。本気を出せばこの学区全域を網羅することも可能なのだ。
「その謎生物を俺たちで捕まえようと?」
「その通りよ、稜真くん。危険だったら退治することも考慮しないとね」
「最初からそう言えよ。なんでピクニックなんだ?」
「綺麗な泉を眺めながらティータイムするからに決まってるじゃない。寧ろそっちがメインよ」
「勇者らしさとはなんだったのか……」
果てしなく遠回りした無駄な会話のせいでどっと疲れが押し寄せてくる稜真だった。正直乗り気ではないが、夏音がこの調子では強制参加は免れないだろうと諦める。今枝なんてとっくにそんなムードだ。
「で、謎生物ってのは具体的にはどんなのなんだ? 俺たちにとってこの世界は謎生物ばかりだぞ? それと泉までの道はわかってるのか?」
どうせ参加させられるならできるだけ疑問は埋めておく。情報もなしに突っ込んで遭難とかしたら洒落にならない。
「ふふん、その点は心配ないわ。ちゃんと案内人を用意しているからね。――入ってきなさい」
準備万端というように胸を張った夏音は教室の扉に向かって呼びかけた。全員がそちらに注目する中、開けっ放しの扉からは――
「……」
「……」
「……」
「……入ってこないな」
教室の外に誰かがいることは気配でわかる。人数は一人。戸惑っているのか臆しているのか、一向に自分から姿を現そうとしない。
「あーもう! なにやってんのよ!」
痺れを切らした夏音がズカズカと教室から出て行くと、なにやら聞き覚えのある声の悲鳴が上がり――案内役は引きずられるようにして勇者クラスの床を踏むことになった。
青みがかった銀色の髪をツインテールに結った、白魔法科の大人しそうな少女。
「うえぇ、リョウマさまぁ……」
涙目全開のシェリルがそこにいた。
「彼女は事情を話すと快く案内役を承諾してくれたわ」
「嘘つけ!? 絶対強引に連行してきたよなそれ!?」
稜真は慌てて夏音からシェリルを引き剥がした。小動物のように震え上がったシェリルは人見知りする子供みたいに稜真の背中に隠れる。まさかこんなにも早く彼女を護衛する日が来るとは思わなかった。
「本当は精霊魔法科のお世話係に頼もうと思ってたのだけど、都合よく捕まえ易そうなシェリルさんを見つけたから彼女にお願いしたってわけ」
「今捕まえ易そうって言った!? 絶対言った!?」
シェリルがどんくさいとでも言われているようでなんか嫌だが、鷹が兎を狩るように一瞬で捕獲されるシーンを鮮明に思い描けてしまうから困る。
「だったら自分のお世話係に頼めよ。お前の言うことならなんでも聞きそ……すみません」
夏音が女子とは思えないくらい嫌そうに歪めた顔で睨んできたので稜真は思わず謝ってしまった。
今枝がわかりやすくため息をつく。
「なんでもいいが、今から行くのか? 午後の授業はどうすんのさ?」
「午後は世界史と語学でしょ? 正直どうでもいいから勇者権限で自習にしてもらったわ」
「わーお、流石カノンっち。職権乱用に躊躇いがないデスヨ」
カラコロと愉快に笑う侠加は元より大賛成といった調子だった。
「……にゃ。みんなで行くの?」
「そうよ、だから紗々ちゃんも起きて。……あっ、でも十人で固まって行くのもなんかアレよね。勇者のパーティってだいたい四~六人くらいだし。うん、チームに分けて競争したら面白そうね」
思いつきが段々とエスカレートしていく。たぶん夏音の中ではダンジョン攻略的なノリなのだろう。異世界で森とくれば稜真も気持ちはわからないでもない。
「あの、夏音さん。そうなるとチームごとに案内役が必要になると思うのですが」
「あ、そうよね。う~ん、じゃあちょっと待ってて」
緋彩に言われ、なにかを思いついた夏音はダッシュで教室後方まで駆けて掃除用具入れを開けた。そこから大型の狙撃銃を掴み取ると、やはりダッシュで教室から出て行った。
「……なんであんなところに狙撃銃が……?」
たぶん深入りしてはならないことだ。一体誰を捕縛してくるのか知らないが、慌しいことこの上ない。もう少し落ち着いてほしいと思う稜真である。
騒がしさの元凶がいなくなったことで一気に静まり返った勇者クラス。稜真は未だ背中で震えるお世話係にできるだけ優しく声をかけた。
「シェリル、嫌なら断っていいんだぞ? 俺から夏音に言っとくから」
「あ、いえ、違うんです。嫌というわけではないのですが」
シェリルは稜真の背中からひょこっと顔だけ出して教室内を見回し――
「ゆ、勇者様たちの教室に私なんかが足を踏み入れてしまってはわわわわわ……」
また一段と震え始めるのだった。とても彼女らしい怯え方だった。
「たっだいまー!」
と狙撃銃を背負った夏音が威勢よく戻ってきたのは、それから十分ほど経ってからだった。
「ヘンタイ以外のお世話係全員の教室に指令状を撃ち込んできたわ」
「は? ちょっと待て龍泉寺、てめえマジで銃撃してきたのかよ?」
相楽が訝しむと、夏音は不思議そうに首を傾げる。
「ええ、そうだけど? 武芸部から拝借してたこの狙撃銃でバキュンと一発。矢文ならぬ弾文?」
「危ねえなオイ!?」
夏音なら人に当ててしまうようなヘマはしないだろうが、連絡の度に毎度銃撃されては魔法学部も堪ったものじゃない。通信機を早めに設置してもらうべき。この世界になければ率先して開発すべきだ。
「そんなわけで、あとは黙ってても一人か二人は向こうからやってくると思――」
ガシャァアアアアン!!
「ヒカリ様と森林浴デートできるって本当ですのよ勇者カノン!?」
「「「はっや!?」」」
暴風のごとく四階の窓ガラスを体で砕き割って突入してきたのは、大沢のお世話係である金髪少女――精霊魔法科のフロリーヌ・ド・ベルモンドだった。
「てか普通に入ってこい!?」
風の精霊魔法で空を飛んできたのだろう。勇者クラスに文字通り体当たりした彼女はガラスの破片が頭に刺さってぴゅーっと血を噴き出していた。
「どうなんですのよ勇者カノン!? まさかここにいる殿方の誰かがもうデート相手になっててたりしませんわよね!? そんなのお姉さん許しませんのよ!?」
「お、落ち着いてフロリーヌさん!? 大丈夫だから!? 大丈夫だからセーラー服の襟掴むのやめてくれないかしら!?」
「ヒカリ様の貞操はこのわたくしが全力で死守ですのよぉおっ!?」
「どうでもいいからまず手当てしようよフロリーヌ!?」
興奮しきったお世話係のフロリーヌが貧血で倒れるまで、主人である大沢が必死になって宥めていた。これではどっちがどの立場かさっぱりわからない。
「大沢のお世話係ってすげーな」
「ああ、本当にな。シェリルでよかったって本気で思う瞬間だ」
稜真たち外野はただただ唖然とするしかなった。




