三章 聖剣は簡単に使えない(2)
「ほら、席に着きなさい! 授業を始めるわよ!」
茉莉先生が教室に入ってきたのは、四階から突き落とされた上に狙撃された相楽が変な方向に首を曲げて戻ってきたすぐ後のことだった。
授業で使うのだろうか、茉莉先生はダンボールにしか見えない大きな箱を片手に五箱ずつ積み重ねていた。その合計十の箱を教壇の前に粗雑に並べていく。
「茉莉先生、それは?」
箱が開けられる前に稜真は訊ねた。事前の確認は必要だ。開けると取り返しがつかなくなる、なんて事態に陥ることは防がねばならない。
もっとも、それはボディーガードだった稜真の習慣みたいなものだ。今この場に置いて警戒するようなことは実際のところなにもなかった。
「ただの教材よ。教科書もなしに授業なんてできないでしょ? まだ文字が読めない人もいるだろうから、簡単な語学書も入れておいたわ。ちゃんと日本語に翻訳した、ね」
茉莉先生はそう言いながら三角定規を握ると――シュッ! たった一振りで十のダンボール箱を解体してみせた。箱の中には言われた通り、様々な本がどっさりと積まれていた。
これを片手に五箱ずつ……まるで熟練したウェイトレスのように涼しい顔で運んできた彼女は、今さら確認するまでもなく〝超人〟だ。
「各種一冊ずつ。ちゃんと人数分あるわ。取りに来なさい」
言われ、稜真たちは誰からともなく席を立って教材を受け取った。余裕で十冊以上。それを入れる大袋と、用途不明の白紙のカードを最後に貰った者から席に戻っていく。
「はい先生! このカードはなんデスヨ? 名札?」
全員が席に戻ってから夜倉侠加が元気よく挙手した。
「違うわ。それは今後のあなたたちにとってとても重要になるものよ。今日の授業のメインディッシュってところね」
解体したダンボールを教室の隅に移動させてから、茉莉先生は意味深な含み笑いを刻んで教壇に立った。
「今日は勇者召喚による恩恵について説明するわ」
茉莉先生は前置きとしてそう言うと――はらり。
唐突に、事前の確認もなにもなく、服をはだけた。
「「「――ッ!?」」」
予測不能な突然の奇行に勇者クラス全員が漏れなく驚愕する。元々の露出度も高い茉莉先生は胸元辺りの肌色が大変なことになっていた。
夏音が椅子を倒して立ち上がる。
「なんだかよくわかんないけど稜真くん浩平くん辻村くん! とにかく男子は外に出る!」
「あれ? ボクは?」
男子として呼んでもらえずしゅんとする大沢がそこにいた。
「待ちなさい! 退出はいいから、もっとよく見て」
「おっふ、露出狂の変態教師デスヨ!?」
「誰が露出狂の変態か!?」
「あうちっ!?」
茉莉先生の投げたチョークが侠加の眉間にクリティカルヒットした。
「……あ、もしかして、その痣ですか?」
緋彩がなにかに気づいたようだ。慌てて教室から出て行こうとしていた稜真たち男子もそこで足を止めた。
茉莉先生のふくよかに膨らんだ左胸には、稜真が昨日浴室で見つけた痣と全く同じ模様が刻まれていたのだ。
「そう。君たちの左胸にもあるはずよ。この五芒星の刻印が」
……。
沈黙する。勇者クラス全員が自分自身の痣には気づいていたが、他人にもそれがあることまでは知らなかった様子だった。
「それがなんだってんだ?」
問うたのは相楽だ。
「これは勇者召喚の時に刻まれる魔法の刻印。勇者の証と思っていいわ」
「ふむふむ、つまり争いを収める時に服をはだけて『この刻印が目に入らぬかーっ!! 我は勇者なるぞーっ!!』ってすればいいんデスネ? ヒイロっちがやると戦争すら終わりそうな気がシマスじゅるり……」
「やりませんよ!? 絶対にやりませんよ!?」
そんな露出魔的勇者は人々も願い下げだと稜真は思う。
「魔法の刻印ってことは、なにか効果があるんですね?」
「その通り。理解が早いと教える側も助かるわ、霧生稜真」
茉莉先生はニヒルに笑ってはだけた服装を正す。
「この刻印には五つの魔法が編みこまれているの。それが勇者召喚の恩恵よ」
異世界召喚物のフィクションでよくあるチート能力でも与えられるのだろうか? そう思ったが、稜真はすぐに否定する。〝超人〟〝異能者〟〝術士〟〝妖〟……力のない一般人ならともかく、召喚される人間はそういう非常人だ。チート能力なんて必要ない。それにもし馬鹿げた能力を人に与えられる魔法があるなら、そもそも勇者なんて召喚しなくていいのだ。
「一つ目の恩恵は『環境適応』。言葉だけでわかるわね? いくら同じように見えてもここは異世界、地球じゃない。空気の成分一つ違っているだけで私たちの体にどんな影響があるか知れたもんじゃないの」
「予防接種……みたいなもんか。この世界に固有の病原体があるなら、ウチらに免疫はねえからな」
理解した今枝が気だるそうに頬杖をつく。その解答例を使うなら、この世界に生まれる人間と最低限同じだけの免疫力の代わりを魔法で補っている、ということだ。
茉莉先生は黒板にチョークで『恩恵1 環境適応』と書き、
「二つ目の恩恵はもうみんなとっくに経験していること――『言意理解』」
その横に『恩恵2 言意理解』と続けた。
「この大陸は言語とか通貨とか、ある程度の物は統一されているけれど、もちろんそれも日本とは全然違う。特に言語はコミュニケーションをする上で必要不可欠だから、私たち勇者は最初から意思疎通ができるように魔法で調整されているわけ」
「ああ、それで俺たちにはこの世界の言葉が日本語に聞こえるんですね」
「そういうこと」
当初は精神感応系の異能や術式が働いていると思って納得していたが、間違ってはいなかったようだ。一つ思い違いを挙げるならば、場に働いていたのではなく稜真自身に魔法がかけられていたことになる。
「こっちが喋った場合も同じね。相手には相手の知っている言語に聞こえるわ。これは勇者だけじゃなく、大陸間の交渉でよく使われる割とポピュラーな魔法よ」
寧ろこんな便利な魔法があるなら使わない方がおかしい。最初の『環境適応』も未踏領域の探索などに使えそうだと思ったが、既存の環境にしか設定できないのなら勇者以外には微妙だ。免疫力の低い子供などには重宝するだろうが。
「三つ目の恩恵は『身体強化』」
茉莉先生が次の恩恵を黒板に記述する。
「まあ、これは正直オマケみたいなものよ。元の世界より若干動き易くて頑丈になる程度の白魔法だから、元々身体能力の高い〝超人〟や〝妖〟にはピンと来ないでしょうね。それ以外の人はどんな感じ?」
自分も〝超人〟だからイマイチ理解していないのだろう、茉莉先生は勇者クラスの面々を見回した。
「そうですね……私はこちらに来てから体の調子がよくなったような気もします」
「侠加ちゃん的には向こうより断然体が軽くなったと思うデスヨ」
「ボクも、体力上がったかなって感じていました」
「そういやウチ、召喚されたばかりの頃にどっかの夏音のせいで思いっ切り階段から落ちたんだけど、大した怪我もなかったな」
〝超人〟でも〝妖〟でもない者が口々に身体の変化を報告するが――
「ぶっちゃけ微妙ってことがよくわかったわね」
「まあ、ないよりはいいんじゃないか?」
稜真や夏音からしてみれば微妙だろう。他にわかったことと言えば、まだ稜真が断定できていない勇者クラスの面子の異常性がある程度絞られたってことくらいだ。
「四つ目、これはかなり重要な恩恵になるわ。『魂魄接続』って言ってわかるかな? 君たちの魂を復元された肉体に定着させるための魔法よ」
黒板に『恩恵4 魂魄接続』が追加される。
「魂の定着だぁ? どういうこった?」
「……わたしたちの体、本物じゃない。にゃ」
意味不明そうに顔を顰める相楽に、獅子ヶ谷紗々がむくっと首から上だけを起こして言った。
夏音が顎に手をやって引き継ぐ。
「いくら魂の記憶から復元された体でも、所詮は偽物の器でしかない。だから放っておくと魂はいずれ乖離するってことかしら?」
「正解よ。それを防ぐための魔法が四つ目の恩恵。うん、このクラス、優秀な子が多くてホント助かるわぁ」
チラリと相楽を見た茉莉先生。その視線に気づいた相楽は不貞腐れたようにそっぽを向いた。先輩勇者と後輩勇者。先生と生徒。どうもこの二人はそれ以外の関係があるように思える。
「さて、ここまででなにか質問はあるかな?」
勇者召喚の恩恵は黒板に書かれている通り。『環境適応』『言意理解』『身体強化』『魂魄接続』……オマケ一つを除けばこの世界で生きていくには最低限必要な恩恵ばかりだ。全部が無理やり感のある漢字四文字なのはたぶん茉莉先生の趣味だと思う。
「質問がないようなら、今回の授業のメインに入るわ」
茉莉先生は勿体ぶるように少し溜めを作り、言う。
「勇者に与えられた最後の恩恵――『聖剣創造』の実習にね」




