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プロローグ

 誰かが言った。

 平和な国ほど裏の世界は殺伐としている、と。

 それは間違いではない。日本などはまさに代表的な例の一つと言える。

 暴力団が絡んでいる程度ならばまだ優しい方で、時と場合によっては死体の山が積み上がる戦場にすら発展することもある。しかも恐ろしいことに、そうなったとしても決して表には報道されない。全てが揉み消される。

 銃刀法など表の法に縛られない深き闇を歩む者は、常に命の危険に晒されていると思って出歩くべきだ。やましいことをしている政治家なんかは誰に狙われてもおかしくないだろう。

 その命を狙う暗殺者が一般的な常識に当て嵌まる人間ならそこまで恐くはないのだが、裏の世界においてそんな甘い考えを持っていれば命取りになる。

 とある密輸を行っていた男は、二千メートルも彼方から狙撃され絶命した。

 とある大規模な犯罪組織は、たった一人の人間によって呆気なく壊滅させられた。

 とある戦争を仕掛けようとした小国は、機密情報を全て一夜とかからず奪われ没落した。

 常識では測れない人間たち。

〝超人〟〝異能者〟〝術士〟〝妖〟

 漫画や映画の中に登場しそうな非常人が、この世界には確かに存在しているのだ。


        †


 日本――東京某所。

 既に日付の境界線を跨いだ夜深くの時間帯に、都内にある私立高校のブレザーを纏った少年が静かな靴音を鳴らしてひた走っていた。

 そこが一般的な歩道ならちょっと夜遊びの過ぎる不良少年に思われたかもしれない。見回り中の警察官に呼び止められて補導され、さらに翌日学校からも注意される。下手すれば停学処分というコンボにまで発展しかねないから厄介だ。

 だが、そうじゃない。

 少年はそもそも、誰かに見つかって咎められるような場所を走ってなどいなかった。

 歩道の遥か頭上。数十メートルも離れた高層ビルと高層ビルの間を渡り飛んで・・・・・いたのだ。

 常識的に考えればそれだけで既に異常事態である。目撃者がいたならばUMAかなにかに見えたかもしれない。そしてさらに少年の異質さを際立たせているのは、彼の両手にそれぞれ握られている物体だった。

 右手には見事な反りをした明らかな凶器――日本刀を。

 左手は――丸々と恰幅よく太った中年男性の襟首を掴んでいた。

「んぎゃああああああっ!? おおお落ちる!? 落ちるぅ!? お、おおおいキサマ雇われ兵の分際で護衛対象をこんなぞんざいに扱ってタダで済むとぐえっ!? ぐるじぃ……」

「我慢してください、殻咲からざきさん。こうでもしないと敵からあなたを逃がせないんですよ」

 豚のように汚い悲鳴を上げる中年男に少年は上辺だけ丁寧に淡々と告げた。それから向かいの廃ビルの屋上に着地するや否や、なにかに気づいて暗天を見上げる。

「どうやらあなたを殺しに来たテロリストも、俺と同じ〝超人〟みたいですから」

 中年男は床に落とされ「グエッ」とヒキガエルを潰したような声を発した。

「おのれ、霧生家のボディーガードは優秀だと聞いたから雇ってみれば、こんな礼儀知らずの糞ガキを寄越すなど……この私を誰だと」

「悪徳政治家の殻咲隆史からざきたかしさんでしょ? 文句は後で聞きますからちょっと下がっててください。巻き込まれて死なれては困りますから」

 振り向きもせずに言って少年――霧生稜真きりゅうりょうまはその場で高く跳躍した。

 その先には夜闇に紛れて別の人間が落下していた。大きく振り被られた巨大な戦鎚が目に入る。柄と直角に作られた柄頭。その片側が平たい鎚に、もう片側が鉤爪のように尖った『ウォー・ハンマー』と呼ばれる武器だ。振り下ろされたそれは稜真の日本刀と空中で激しく衝突し火花と金属音を散らす。その光景を見た殻咲は情けなく悲鳴を上げて這うように逃げた。

 ぶつかり合った衝撃が稜真と敵を弾く。落下の速度や武器の重量を考えれば、物理学的に稜真の方がより遠くに吹っ飛ばされるだろう。だがそんな常識は通用しない。両者はほとんど僅差の距離だけ弾かれ、重たい得物を持ちながらも軽やかに屋上に着地した。

 月明かりが屋上を照らす。戦鎚を握った相手も高校生くらいの少年だった。背は高校生男子の平均より高く細身だが、その体が無駄なく鍛え上げられていることは服の上からでもわかる。

「おい、手下A。悪いことは言わねえ、死にたくなけりゃ大人しくそこのクソ政治家の首を寄越せ」

 脅しのつもりか、戦鎚使いの少年は巨大な得物を軽々と肩に担いでドスの利いた声で告げた。無論、その程度で怯むようなら裏の世界で護衛など務まらない。特に稜真の実家――霧生家はその業界の名家である。一度受けた任務は相手がなんであろうと完遂しなければならない。

 故に返事は一つ。

「断る。それにこっちはテロリストを見逃すつもりなんてないぞ。お前の仲間はとっくに全員捕まったそうだ」

「……そうか。なら、あいつらの頑張りを無駄にしねえためにオレだけでも成功させねえとな!」

 一瞬だけ悲しそうに目を伏せた戦鎚使いの少年だったが、すぐにギラついた狩人の視線で稜真を睨み強く床を蹴った。

 十メートル近く離れていた距離は一鼓動と経たず縮まり、再び刀と鎚が激しく衝突する。衝撃は爆風となって荒れ狂い、鼓膜を打ち破らんばかりの戟音が絶え間なく続く。打ち外した戦鎚は屋上の床に大穴を穿ち、空振った日本刀は触れてもないのに落下防止用の柵を切断した。

「大人しくミンチになりやがれ!」

「なるわけないだろう!」

 戦鎚の大回転をかわして稜真は敵の懐に踏み込み、喉を狙って刃を振るう。しかし戦鎚使いの少年は大振りを空振った隙も武器の重量もないように軽い動きで後ろに退避した。

 確実に入るかと思われた一撃だったが、稜真は驚かない。最初に武器を交えた時から相手の強さは理解している。かわされることは寧ろ想定内だ。

 戦鎚使いの少年が後ろに跳び始める頃にはもう、稜真の左手には一丁の拳銃が握られていた。

 銃声が轟く。片手、それも利き腕ではない方でトリガーを引いたにも関わらず、射出された弾丸は戦鎚使いの少年の鼻先に寸分違わず吸い込まれ――

「チッ」

 舌打ちと共に打ち返された・・・・・・

 常人離れした技術は弾丸を砕くことなくペントハウスの壁に減り込ませる。丁度その真横にいた殻咲があまりの恐怖で顔を真っ青にしてブルッブル震えていた。アレは失禁しているかもしれない。

「お、おおおおおい護衛っ!? ちゃんと私を守れこの役立たずがっ!?」

「わかってますよ」

 殻咲の喚きに稜真は律儀にも返事をしながら接敵する。刀を振るい、銃弾を放ち、手数の多さで間断なく攻める。戦鎚使いの少年も防戦一方では終わらず、隙とも言えない隙を突いて戦鎚を振るった。度重なる金属音。犠牲になっているのは戦っている本人たちより戦場となった廃ビルだった。

 たった二人の人間が争っているだけで今にも解体されそうな廃ビル。

 もはや人間対人間の戦闘という領域ではなかった。

「こ、この、化け物どもがっ!?」

 殻咲が毒づいた。裏の世界にいながらも一応常人である彼が稜真たち〝超人〟をそう見ても不思議はない。別に間違ってはいないと稜真自身も思っているほどだ。

「強いな、お前」

 何度目かの衝突で、不意に戦鎚使いの少年が不敵に笑った。

「オレを相手にして十秒以上持った奴はてめえが初めてだぜ。いいねぇ、面白い」

「そいつはどうも」

 狂戦的な賞賛に稜真は淡泊に返した。そして磁石が弾かれるように互いに距離を取る。

「だが、面白くねえ」

 戦鎚使いの少年はドブの中を泳ぐボウフラでも見るような目で殻咲を睨んだ。

「なんでお前みたいな奴があんなゴミのボディーガードなんてやってんだ?」

「まあ、仕事だからな」

「あのクソを放っておけばこの国は滅ぶぜ?」

 とても穏やかじゃないことを言いながら、テロリストは少し会話をするつもりなのか戦鎚の柄頭を床に立てた。

「知ってんだろ? あの屑がこれからなにをやらかすつもりなのか。今なにをやってんのか。オレたちはそれを止めてえんだ」

「……」

 もちろん稜真は知っている。ボディーガードとして護衛対象の情報を深入りしない程度には調べ上げた。とはいえ殻咲は政治家だ。たとえ調べなくても表の世界ですらそれなりに知れ渡っている情報もある。

「正直に言うと、俺も馬鹿げてるとは思っている」

「だろ! やっぱそう思うよな!」

 戦鎚使いの少年は気の合う仲間を見つけたように声に喜びを含ませた。


「このグローバルな時代に鎖国するとか馬鹿だよな!」


 ついでに言えば税率の跳ね上げから軍事化まである。一体なにを思ってそんな案を口にしたのか稜真にはさっぱりわからない。テレビで理由を述べていたがまったく頭に入って来なかった。どうしてこんな男が政治家になれたのか甚だ疑問である。

「それに最近、二週間くらい前からか、オレたちみたいな若い〝超人〟や〝異能者〟たちが不自然に死んでいる。邪魔者になりそうな連中をこいつらが片っ端から消してんじゃねえのか?」

「いや、そっちの真相は知らないが、殻咲さんのふざけた案は通るわけないんだ。なのにこうやってテロ起こしてるお前らも充分アホだろ」

「……言ってくれるじゃねえか。てめえこそアホだ。そこで丸まってブヒブヒ鳴いてる豚に守る価値があるなら言ってみろ! 十文字程度なら聞いてやるよ!」

「おい豚を馬鹿にするな」

「そうだな、悪い。豚はなんも悪くねえ。豚に失礼だった」

「キサマらさっきから言いたい放題だな!? くそっ!?」

 腰抜けだった殻咲はなんとか立ち上がると、悪態を吐き捨てて転びそうになりながらも屋上から逃げ去った。

 残された〝超人〟二人はただその様子を見ているだけで動こうとしなかった。稜真はテロリストの最後の一人を牽制するつもりだったが、戦鎚使いの少年も慌てて追いかけようとはせず落ち着いた風体で仁王立ちしている。

「……いいのか? 追わなくて?」

 疑問に思い、訊ねる。すると戦鎚使いの少年は鼻で笑った。

「どうせ追わせちゃくれんだろ? それに先にてめえと決着をつけたい気分になった」

「戦闘狂か?」

「そうかもなッ!」

 唐突な疾走からの空間ごと薙ぎ払うような大スイング。稜真はかろうじて刀の腹で戦鎚を受け流したが、横っ腹に強烈な蹴りを叩き込まれた。

「――ッ」

 吹っ飛びながらも左手の拳銃で反撃。連射された弾丸は一発だけ戦鎚使いの少年の頬を掠めて残りは弾かれた。

 蹴られた勢いを殺し切れず、稜真の体は柵を越えて空中に投げ出される。数十メートルの高度。眼下には深夜の大通りが広がっていた。

 見上げれば戦鎚使いの少年が廃ビルの屋上から飛び降りて追撃をかけていた。稜真は即座に銃を捨てて小型のワイヤー射出機を取り出した。向かいのビルの窓にワイヤーを放ってフックし、ターザンのように空中を移動する。

 狙いを外された戦鎚使いの少年もそのまま落下することはなく、反対側のビルの壁に戦鎚を減り込ませて空中で一時停止。すぐに壁を蹴って稜真へ襲いかかる。

 同じく稜真も壁を蹴って飛ぶ。交差した瞬間に火花が散り、そしてまた壁を蹴り、大通りに着地するまで熾烈な空中戦を繰り返した。

 深夜とは言え不自然なくらい車の通らない静謐な大通りで向かい合う。

相楽浩平さがらこうへい

 ポツリと、しかし対面に聞こえるように戦鎚使いの少年は呟いた。

「オレの名だ。手下A、てめえの名を教えろ」

「テロリストが名乗るなよ……まあいいか」

 本来は他人、それも敵に軽々しく本名を教えるものではない。〝術士〟や〝妖〟の中には名前を使って呪いをかけたりする者もいるからだ。

 が、相楽浩平と名乗った戦鎚使いの少年は〝術士〟でも〝妖〟でもない。それでもなるべく敵に余計な情報を与えることは良策と言い難いが、向こうが馬鹿正直に名乗ってこちらが名乗らないのは失礼だ。なにより稜真自身も相楽を好敵手だと認識していたこともある。

「霧生稜真だ。短い間だがよろしくな」

 だから名乗った。それにこれは殺し合いだ。どちらが勝とうが負けようが、お互いが邂逅することはもう二度とない。

「霧生か。死ぬまで覚えておくぜ」

「俺は自信ないが……まあ、なるべく忘れないようにする」

「ムカつく野郎だ。次で決着をつけようぜ」

「そうだな」

 稜真と戦鎚使いの少年――相楽浩平は互いに示し合せたかのように同時に地面を蹴る。そしてお互いが最後の激突をしようとしたその時だった。


 ブルォオオオオオオオオオン!! と。


 腹の底を揺らすような低いエンジン音が静かな通りに響き渡った。

 視線だけで振り向く。目と鼻の先に大型トラックが突っ込んで来ていた。

「「――ッ!?」」

 稜真と相楽は目を見開いた。これほど接近されるまでなぜ気づけなかったのか? そんな疑問が浮かぶ。だが答えを探すような余裕は残されていなかった。

「死ね化け物どもがぁあッ!?」

「殻咲……ッ!?」

 運転席に見知ったゲス顔を見つけた時にはもう遅く――


 引き裂かれるような衝撃と共に、稜真の視界は暗転した。


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