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短編

ウェディング・カプリチオ

作者: 椎名 悠宇

 社交界デビューをして二年、伯爵令嬢として常に気品のある立ち振る舞いを実行してきたとアデーレは自負している。異性同性問わず誰からも好かれるように笑顔を作り、アデーレ・ディバイセンは社交界で一番注目をされる女性と呼ばれた。

 日ごろから手入れを絶やさない肌は絹のように滑らかで、柔らかなウェーブを描くプラチナブロンドの髪は艶やかである。空を映したような大きな瞳は見るものを引寄せ、薄紅色の唇を開かせ小鳥のような愛くるしい声を聞きたがる男性は数え切れず。

(――それなのに)

「数ある見合い用の肖像画を適当に引き当てたら、君が選ばれた」

 目の前にいる自分の夫となるはずのイヴァン・マイセンブルク公爵は、悪びれもせずに言葉を続けた。

「次々と舞い込んでくる見合い話に辟易していた。家の者がわざわざ私に肖像画を手渡す女性なら、公爵夫人として申し分ない女性ばかりなはずだ。それならば、誰を選んでも一緒だと思っていたんだ」

 アデーレは父が、自分が花嫁に選ばれたと嬉し涙を流しながら報告してきたことを思い出す。社交界でも「アデーレの美貌に骨抜きにされたに違いない」と羨望と若干の妬みを含みながら祝福された。

 しかし、当の本人はまるでカードのように適当に選んだだけと言う。

「分かりました。わたくしは、公爵夫人として相応しい完璧な振舞いをお見せしましょう。ただし――」

 アデーレの言葉は二人を呼びに来た司祭の訪れによって遮られた。

 父の「いくらなんでも結婚式真っ最中が初対面では可哀想であろう」という計らいの時間は、あっけなく終わりを告げる。

 イヴァンはアデーレへ言葉の続きを促すが、愛らしい唇をそっと微笑むだけである。そっと白いグローブを身に着けた腕を、イヴァンの左腕に巻きつけた。

「さあ、参りましょう。みなさまががお待ちだわ」

 有無を言わせない力強い言葉にイヴァンも不承不承といった体で頷く。ウェディングドレスを翻し、大勢の賓客の待つ教会へ歩みを進めると扉の外で待っていた侍従たちが列を成して着いてくる。

「君は変わっている」

「結婚式直前に、妻となる女に暴言を吐く男に言われたくはありません」

 ようやくアデーレが不機嫌なことに気づいた男は沈黙する。その隙にアデーレはベールの影からこっそりとイヴァンの様子を観察する。

 黒髪と同じ色をした瞳はオニキスのようだ。切れ長の瞳はやや困惑しているらしく、落ち着かない様子でアデーレと前方を何度も往復する。光沢のあるチャコールの燕尾服に隠れた腕は意外と逞しく、アデーレも安心して腕を預けられる。亡き父から公爵を譲り受ける前は、戦地にも赴いたことがあるという噂を聞いたことがあった。そのためか、同年代であるはずの兄達よりも精悍な印象を受ける。

 伯爵家に生まれたものとして、政略結婚が当たり前であるとは分かっていた。けれど、アデーレには絶対に叶えたい夢があった。

 教会の扉が開かれると同時に大きな鐘の音が鳴り響く。白い鳥たちが一斉の空へと羽ばたき大勢の拍手がアデーレたちを迎え入れる。

 静かに絨毯の上を並んで歩き祭壇の前まで進むと、司祭が声高らかに祝詞をあげる。

「――汝、この者を妻とし永遠に愛する事を誓いますか」

「はい」

 イヴァンの力強い宣言がなされる。

「汝、この者を夫とし永遠に愛する事を誓いますか」

「はい」

 アデーレの澄んだ声が響く。向かい合い、妻となったアデーレのベールを上げようと手を近づけたとき、小さな呟きがイヴァンの耳に届く。

「これは宣戦布告ですわ」

 司祭がくちづけの合図を送ると同時にアデーレは踵をあげ、目の前の男に自ら口付けた。勢いを付けられた口付けに男が驚いたように目を見開かせるのを見てアデーレは溜飲を下げる。

「わたくしを愛していると言わせてみせますわ。覚悟なさいませ、旦那様」


◆◆◆


 結婚式の夜となればすることは決まっていた。薄手のナイトウェアに身を包んだアデーレはまるで天使のように美しく、思わず触れたくなる色香を持っている。

「どういうことですの……!?」

 しかし、今その顔は悪魔のように目を吊り上げ寝息を立てる夫を睨みつけていた。

「起きてくださいませ旦那様」

 肩を揺さぶるとうっすらと瞼を開くイヴァンが物憂げな表情でじっとアデーレを見上げるが、すぐにそれは閉ざされる。

「なんてこと。わたくしの計画が」

 初夜で手を出されそうになったら、「お止めくださいませ。わたくしは自分を愛してくださる方以外とはそういうことはできませんの」とツンと澄まして言うつもりだったアデーレは完全に出鼻を挫かれる状態となる。苛立ち紛れにポスッと枕をイヴァンに叩きつけると、再度その瞳が面倒くさそうに開かれる。

「……眠い」

 逞しい腕がアデーレの細い腰に巻きつきそのまま押し倒される。身体が寝台に縫われ身動きがとれなくなり、アデーレは小さな悲鳴をあげる。しかしイヴァンはそのまま何をするでもなく瞼を閉じた。

「わたくしは抱き枕じゃなくってよ!?」

 顔を赤く染めて抗議をするが、イヴァンはすでに夢の国へと旅立っている。邪魔な腕を外そうにもアデーレのやわな力ではどうにもできなかった。

「作戦失敗だわ……。こうなったら次の手を考えるしかありませんわ」

 決意を胸に秘め、アデーレは大人しくその腕の中に抱かれることにする。存外に心地の良いイヴァンの身体の温もりが妙に腹立たしく感じた。


◆◆◆


「旦那様、いってらっしゃいませ」

 にこりと微笑むアデーレを、夫は目を瞬かせてじっと見る。

「……早起きだな」

 まだ夜も明けない頃だというのに、しっかりとドレスに身を包みきちんと化粧も施されている。どこから見ても優雅な公爵夫人は、早くから登城しようとする夫を見送りに来ていた。

「妻として、夫を見送るのは当然のことですわ」

 そっと手のひらをイヴァンの頬に当て、祈るように口ずさむ。

「お気をつけて、旦那様」

「――出立前の口付けはしてもらえないのか?」

「はいっ!?」

 動揺して裏返った声をあげたアデーレに、イヴァンはククッと面白がるような笑い声をあげる。初めてみた夫の笑い顔にアデーレは沈黙した。

「まあ良い、次回に取っておこう。では行ってくる」

 伴を連れ、玄関から出ていく夫の後ろ姿をぼんやりと見つめる。そしてそれが見えなくなった途端にガクリと崩れ落ちた。

「きゃあ奥様!?」

 使用人の悲鳴が上がりアデーレを慌てて支え、その腕にしがみつく。視界がぐるぐると回り今にも倒れそうだった。

「すぐに医者を!」

「あ……いいえ。単なる寝不足……部屋へ」

 担ぎあげられ自室へ戻ったアデーレは、寸前まで眠っていた寝台へと再び倒れこむ。

 朝の早い夫の目覚めに合わせ、イヴァンの食事中に急いで身支度を整え完璧な姿を見せたアデーレだったが実はとても朝に弱かった。

「奥様お化粧を落とさないと」

「……起きたらするわ」

 化粧を落とさず眠るなど、今までのアデーレだったらあり得ないことだ。しかし美容の精神に勝る眠気がアデーレを襲い、結局その日はイヴァンが帰ってくる直前までぐっすりと休む羽目になった。


◆◆◆


「まあご覧になって旦那様。こんなにバラが鮮やかに咲いていますわ」

 夫の休暇を利用して少し遠出をしたアデーレたちは、大輪のバラが咲く庭園へと遊びに来ていた。

 嬉しそうに微笑みながらバラを見つめる妻を見ながらイヴァンが注意をうながす。

「あまり近づくな、棘で怪我をする」

「ご心配なさらず。わたくしこれでも実家ではたまにバラの手入れもしておりましたの」

 ディバイセン家の見事なバラ園は社交界でも有名だ。使用人たちが止めるのも聞かず、剪定を手伝った頃が懐かしく感じる。

「旦那様は赤いバラの花言葉をご存知?」

「愛情だろう」

「あら、男性でもさすがにこれくらいはご存知なのね。わたくしだったら、あなたに白バラを贈るわ」

 白バラを手折り夫へと手渡すと、意地の悪い笑みがイヴァンの顔に広がる。

「意味は処女だったか?」

「違いま……違わなくはないけれど! 恋の吐息という意味です!」

 頬を染めてふいっと顔を背けると、顔の脇に黄色いバラが差し出される。おずおずとそれを手に取ると、無表情のイヴァンに見下ろされる。

「俺が君に渡すならこれだな」

「黄色……。友情という意味で――痛っ」

 バラの棘がアデーレの人差し指を刺し、ぷっくりと血が膨れ上がる。痛みに顔をしかめると、指を大きな手が慌てたように取った。

「……!」

 声を上げる前に指がイヴァンの唇に吸われ、生暖かい感触に奇妙な感覚を覚える。舐めとるように指をぺろりと舌を這わし、夫の瞳がちらりと顔を赤くするアデーレを見つめた。

「も、もう結構ですわっ!」

 腕を無理やり引き戻すが、イヴァンの手は離れずそのまま指が絡まる。硬直するアデーレを気にせず囁かれる。

「あまり無茶はしないでくれ。心配で目が離せない」

「……はい」

 素直に頷くアデーレの頭の上に顎を乗せ、イヴァンがため息を着いたのがわかった。そのまま、長い時間抱きしめられるほど近い距離で過ごした。


◆◆◆


 公爵夫人の仕事として、サロンを開かねばならない。屋敷の中の一角で、優雅な所作で微笑むアデーレにドレスに身を包んだ女性たちが集う。

 普段は新進気鋭の画家や政治について、はては夫の愚痴などを言い合うちょっとしたお喋りの場は、今かつてない戦場と化していた。

「マイセンブルク公爵夫人がとても羨ましいわ」

 ブルネットの髪を結い上げ、切れ長の瞳を妖艶に潤ませる女性がソファにしだれかかれ微笑む。

「サンドラー伯爵夫人。わたくしの旦那様ことをお褒めいただき光栄ですわ」

「ええ本当に。あの素敵な逞しい胸板に抱かれて眠るなんて、羨ましい」

 なぜ伯爵夫人が夫の胸板が逞しいなどと知っているのか――と聞くのは憚れた。アデーレは完璧な笑顔のままで受け流す。しかし伯爵夫人は挑戦的な目を絶やさずアデーレへ送り続けるおかげで、他の参加者たちは顔を青ざめおろおろと視線を巡らせている。

 アデーレは仕方なく一息吐くと、笑顔はそのまま冷たい視線を送った。

「サンドラー伯爵夫人。わたくしは結婚を誓った相手のみと添い遂げるのが理想なの。旦那様にもそれを望みますが、気がうつってしまうのは致し方ないことだわ」

「私もそう思うわ」

「けれどそれは杞憂だと思っているの。だって、わたくしの夫となれる名誉を手にできるのよ? それを捨ててまで他の女性に行くなんて考えられないわ」

 伯爵夫人の顔色が変わるのにアデーレは気付く。これ以上追い詰めるのも可哀想だという気が一瞬だけするが、続ける。

「わたくし以上に美しいと自信がある女性がいるなら話は別ですけれど、ね。どう思います? サンドラー伯爵夫人」

「……マイセンブルク公爵夫人以上に美しい女性なんて、いませんわ」

「ありがとうございます」

 満面の笑みを浮かべたアデーレとは正反対に、伯爵夫人は悔しげな表情で俯いた。


「なにか怒っているのか?」

「怒っている? そう見えますの?」

「見えるから聞いている」

「ご自分の胸に手を当てて考えたらいかがですか」

 律儀に本当に胸に手を当てたイヴァンだったが、頭を振って探るようにアデーレの瞳を見つめる。

「まったく心当たりがなかった」

「まあ白々しい! サンドラー伯爵夫人のこと、知らないとは言わせませんわ」

 サロンの出来事を夫に端的に伝えると、なぜかイヴァンは嬉しそうな表情に変えた途端アデーレを抱き寄せた。

「つまり嫉妬だな」

「違いますわ。サロンでこのわたくしを侮辱した彼女が忌々しいだけです!」

「でも俺は本当に彼女とはなんでもない。というより、サンドラー伯爵は俺の友人だ。たしかに会ったことはあるが、友人の妻に手を出すほど落ちぶれてはいない。――それより俺の胸板の感触はどうだ?」

 逞しい胸板がアデーレの頬にあたり、思わず耳を澄ますと心臓の鼓動が聞こえる。通常よりも早く脈打つ音が聞こえ、アデーレは顔を上げた。

「心音が早いですわ」

「……まあ、そうだろうな」

 やんわりと手のひらで頭を押さえられ、再度逞しい胸板に顔をぴったりとつける。ついでとばかりに腰に腕を回してみると、イヴァンは驚いたように身体をぴくりと動かす。

「あなたはわたくしのものよ?」

「知っている」

 穏やかな声色は思ったよりも近くで聞こえた。こめかみに短い口付けが落とされるのをアデーレは黙って受け入れた。


◆◆◆


 嫁いで一ヶ月経ったころ、アデーレは大事なことに気付く。

「まだ旦那様と夜をともにしていないわ」

 初夜のときは拒むつもりであったが、さすがに一ヶ月も手を出されないとは何ごとだろう。跡継ぎを生むのも立派な公爵夫人としての務めである以上、ある程度時期がきたら許すべきだろうと思っていたアデーレは拍子抜けする。

「どうすれば良いと思います? あなただって早く跡継ぎを見たいでしょう」

 長年公爵家に務めるという老執事に問いかけると、主人と同じような無表情のままぴくりと眉を動かした。

「お言葉ですが、奥様が普通にお誘いすれば旦那様は喜ばれると思います」

「普通に……? つまり、どういうことなのかしら?」

 経験などない彼女にとって、そもそも普通の誘い方すら分からなかった。

「けれど毎日寝台は一緒にしているのよ。……やっぱり、政略結婚では愛を育むなんて無理なのかしら」

「いえそれは旦那様の鋼の精神力が――ああ、いえ。私めが言うことではないですな」

 老執事の言葉を聞いていないアデーレが悩むように俯くと、馴染みになった年若い使用人が声を上げる。

「あの奥様! これなんていかがでしょうか!?」

「あら、これはなに?」

 少女が差し出したものを見て興味深そうにアデーレが覗きこむ。

「はい! これは最近城下町で流行っているロマンス小説です。恋人が浮気をしたと勘違いした男が嫉妬に狂って恋人を押し倒――」

「これ止めんか! 奥様になんてものを」

「それよ」

 慌てて使用人を止める老執事だったが、なにごとか閃いたかのようにアデーレは顔をぱっと上げた。花が開くような愛らしい笑みだったが、老執事には嫌な予感しかなかった。

「そういうわけで、次代の跡継ぎのためにご協力して頂けますわよね?」

 主人の妻のお願いという名の命令に、否と言える人物は屋敷にはいなかった。



「止めてくださいませ、わたくしには愛する人が」

「そんなことを仰らずに。僕と一緒に愛の楽園へ」

「……なにをやっているんだお前たちは」

 自室の寝台の上で棒読みな演技を繰り広げるアデーレたちを見下ろしたイヴァンは、腕を伸ばし妻の身体を寝台から下ろし腕の中に閉じ込める。

 そして冷たい目で、アデーレを押し倒していた男へと向けた。

「なにしに来た、サンドラー伯爵」

「ははは。先日は僕の妻が彼女に失礼なことを言ったみたいで、その償いをしに来たんだよ。ちょっと夫婦喧嘩中で妻を怒らせてしまってね」

「その夫婦喧嘩の内容は」

「僕が君の奥さんを美人だと褒め称えたら拗ねちゃったみたいで――ってうわっ」

 枕を思い切り友人へとぶつけたイヴァンに追い立てられ、伯爵は慌てて部屋から退出する――直前でもう一度顔を出して笑う。

「妬いた?」

「出て行け!」

 今度こそ本当に出て行った伯爵の後ろ姿をため息混じりで見送る。

 アデーレはそんな夫の背中を指でつまむとイヴァンが振り返る。

「続きはありませんの?」

「は?」

「……おかしいですわね、このあとの話では」

 ぶつぶつとロマンス小説の続きを口の中で語るアデーレだったが、自分をじっと見下ろす視線に気付きふと首を上に向けた。

 射抜くような視線がアデーレを見下ろし、バラ園で感じたようにぞくりとする。

 イヴァンが手を伸ばし、背中と膝の裏を抱えてアデーレの身体を持ち上げる。荒々しい抱え方の割に、優しげな動作で寝台に降ろされる。ミシ、とわずかに寝台が軋む音がしてアデーレの身体の上に夫が覆いかぶさる。

「あの……旦那様?」

 しかしその問いに答えることなくイヴァンの腕が細いアデーレの手首を掴みあげ頭上で一括りにされる。

「気に食わない」

「……申し訳ございません。旦那様を騙すような出過ぎた真似を――」

「そっちじゃない。俺でさえ君を組み敷いたことがないというのに、あいつに先を越されたのがだ」

「妬いてらっしゃるの?」

「そうだ」

 間髪入れずに肯定されてアデーレは驚きに目を見開いた。真剣な瞳がいつのまにか触れ合うほどに間近にあると気づいた時にはすでに、唇が温かいもので包まれる。思わず声を上げようとしてかすかに開いた口から滑りこむように何かが入ってくる。掴まれた手首を指で撫でられ声を上げる妻に、満足そうにイヴァンが目を細めた。

 長い口付けが終わり、頬を朱に染めぼんやりと夫を見つめたアデーレが恥ずかしがりながら毛布に顔を埋めた。

「……わたくし、夢がありますの」

「なんだ?」

「政略結婚をしても、その相手と恋をしたいとずっと思っておりました」

「なら話は早い。俺は君に恋をしている。あとは君が俺を好きになれば良い話だ」

 ぱちりと目を瞬かせ、アデーレは信じられないといった表情を見せる。

「え、だって適当にわたくしを選んだと」

「確かに写真を適当に引いたのは事実だ。しかしその中に社交界の花と呼ばれる君がいたとはまったくの想定外だった。どれだけ俺が喜んだか君は知らないだろう」

「そんなこと言わなかったではありませんか!」

 一度たりとも愛を語られたことなどアデーレの記憶にはなく夫を睨むと、イヴァンこそ不審そうな顔をした。

「結婚式のときだって、適当に引き当てたこと、誰を選んでも一緒だと思っていたと過去形で語っただろう。それに黄色いバラも渡した」

「黄色いバラの花言葉は友情や嫉妬でしょう」

 眉を潜めたイヴァンは、はあ、と嘆息した。

「バラに詳しい君なら知っていると思っていたんだ。あれの他の意味は――君に恋をする、だ」

 君に恋をしている、だから黄色いバラを送りたい。イヴァンの気持ちをここでようやくアデーレにも理解が出来た。

「でも、なぜわたくしに手を出さずにいらっしゃったの?」

「結婚式のときに怒っているようだったからな。……嫌われたくなかった」

「……旦那様、言葉が足りないと言われませんこと?」

「良く知ってるな。態度で示すほうが性に合っている――が、そういえば君は言って欲しい言葉があったな」

 そして、結婚してから三度目の口付けが落とされる。

「愛している、アデーレ」


 ――二年後。

「ああ、そうだわ」

 側に控える老執事にアデーレは耳打ちする。一瞬驚いた表情を見せた老執事は破顔し、頷いた。

 その夜、マイセンブルク公爵家に大輪のピンクのバラが届けられる。帰宅すると同時にそれを見た、花言葉に詳しい公爵は目を見開いてから愛しい妻の元へと駆け込んだ。

 美しい妻を、お腹に障りがないように抱きかかえた公爵の笑い声が屋敷中に響き渡った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ピンクのバラの花言葉も記述があったほうがいいと思います。
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