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御馳走を前に、どうして我慢などできるでしょう?

ちょっと長いですが、話数を減らしたかったので……


それでは、どうぞ。



 「い、いただきます!」


 目の前には、温かな湯気を立ち上らせる鳥肉のシチューと、チーズの乗った蒸かした芋。一般基準からみれば質素なその食卓も、スラにとっては光輝くご馳走だった。


 皿ごと食べそうな勢いで食物を胃に収めていくスラを、ジャックもオオカミも呆気にとられながら見つめる。


 「……えーと、その、ごめんね?こんなのしか用意できなくて。普段、自分の為にご飯なんか作らないから」


 「ふぁにほほっしゃんはふ(何を仰います)!ごんはぼひほう、はひへへはひはんた(こんなご馳走初めて食べました)!」


 「……口を空にしてから話せ。汚いだろう」


 オオカミに窘められ、スラは慌てて口の中の物を噛み砕き、胃の中へと流し込んだ。


 「すっごく美味しいです!本当に、こんなに美味しい物がこの世にあったなんて、知りませんでした!」


 ありったけの心を込めて、スラはジャックの手料理を褒め称えた。世辞などではない。本当に、スラはこんなに美味しい物を食べたのは初めてだった。


 スラは、奴隷だった。奴隷である前のことは、あまり覚えていない。何となく、父と母と暮らしていたような気がするが、なにせスラがまだ小さい頃のことだったし、そんな記憶はその先の辛く苦しい記憶によって塗りつぶされてしまった。幸福であった記憶など皆無で、そんな生活であったから、スラの食べてきた物も残飯や腐りかけの食物ばかりだった。それに――


 (僕の為の、ご飯……)


 誰かが、自分の為に作ってくれた料理を食べるのは、初めてのことだった。


 胸の中を温かな何かが埋めて息苦しくなって、じん、と目頭が熱くなる。でも泣くと怒られるから、スラは顔を俯けて再びシチューをかき込んだ。


 シチューは温かくて美味しくて、スラのお腹と心を優しく満たしてくれた。




 涙を滲ませながらシチューを貪るスラに、『番犬』たちは憐れむような視線を向ける。そして、ジャックはほとんど手を付けていないシチューの皿を、オオカミは生肉の塊が乗った皿を


 「「良ければ、これも」」


 同時にスラへと差し出した。


 「……私の真似をするな」


 「真似?はっ!笑わせんな。何で僕が犬ごときの真似をしなくちゃいけないんだよ。大体、人間は生の鳥肉なんて食べないから。お腹壊すから」


 「貴様のような我儘で他人への配慮という言葉を知らぬ者が、これほど繊細な行動を自分の頭で考えられるはずがあるまい。それと、すでに何百万回と言っているが、私はオオカミだ!!」


 「おい、こら、僕を鈍感みたいに言うな!僕が配慮しないのはお前だけだから。お前限定だから!っていうか、生肉出しちゃう時点で配慮が足りてないのはお前の方だからな!」


 「ふん。そうやってすぐに人の上げ足ばかり取りおって……これだから――」


 「あ、あの!!」


 室内に雷が落ちそうな程険悪なムードになった所で、スラのアルトの声が一人と一匹の間に割って入った。


 丁度、向かい合う『番犬』たちの間に座っていたスラは、両側から剣呑な光を宿したままの視線を受ける形になってしまい、ビクリと震える。感動で潤んでいた目が、今度は純粋な恐怖で潤んでしまう。


 そんなスラの怯えた様子に、ジャックとオオカミは慌てて剣呑な空気を納めると、明るい声で話題を振った。


 「――とにかく、口に合ったみたいでよかったよ。それで、君の探し物なんだけど――」


 「その前に、聞かなければならぬ事があるだろう」


 オオカミの言葉に、スラとジャックが首を傾げた。


 「幼子よ、名前は何と言う?」


 「あっ!」とジャックが大きな声を出すと、オオカミは呆れたようにため息をついた。けれど、スラも名前を名乗っていないことを忘れていたので、他人事ではない。


 「僕は、スラといいます」


 慌ててスラが名乗れば、オオカミは少し不思議そうに「スラ?」と復唱した。


 「スラ、ね――よし、じゃあ改めて。僕はジャック。さっきので本当だって分かってもらえたと思うけど不老不死だ。どんな怪我をしても死なないし、病気にもかからない。食べなくても死なないから、最近はほとんど何も食べてなくて――材料さえあれば、もっと手の込んだ料理も作れるよ。っていうか、今度絶対作ってあげるから。こんなもんだと思われるのは、心外だからね。で、そっちの犬が、シュナイザー。同居犬で――」

 「ちょっと待て!貴様、どさくさに紛れてスラに嘘を吹きこむな!」


 「えー嘘じゃないしー」

 「棒読みではないか!第一、『シュナイザー』とは貴様が昔飼っていた犬の名前だろうが!いいか、スラ、こやつの言う事など、信じてはならない!口を開けば嘘やら文句やら世迷事ばかりペラペラと……」


 「では、オオカミさんの、お名前は?」


 スラの当然の問いに、しかしオオカミは言葉を詰まらせる。


 「ないんだよ、そいつ」


 戸惑うスラに、答えたのはジャックだった。


 「本当はデルサトがつけるべきだったんだけど、あの人いい加減だから……なんか毎日名前が変わってね……結局どれが本当の名前か決めないまま、あの人旅にでちゃってさ」


 当時を思い出しているのか、ジャックは遠くを虚ろな目で見つめ、オオカミはピンと立っていた耳を垂らし俯いてしまう。


 ……どうやら伝承でのデルサトと、本人とでは人格に大きな差があるらしい、と二人の様子からスラは察した。そして、そこを深く突っ込むと二人の傷を抉ることになると理解し、デルサトの名を禁句リストにしっかりと書きとめておいた。


 (でも、どうしようか……)


 ジャックのように「シュナイザー」と呼べば、確実に食われる気がする。しかし「オオカミさん」だと何だか味気ないし、長い。


 「……では、ナイシュさんと、呼んでもいいですか?」


 「シュナイザー」をちょっと捩っただけの名だったが、それを聞き、オオカミの顔がぱっと晴れた。雲一つない晴れっぷりだった。


 「う、うむ。スラがそう呼びたいのであれば、そう呼ぶがいい」


 言葉は心を悟られないように平静を装っているが、残念ながら彼の尾は素直だった。ちぎれんばかりにブンブン振っている。きっと、無意識なんだろうな、とスラは思った。


 ナイシュの反対側ではジャックが今にも噴き出しそうになっていて、スラは視線で「絶対に笑わないでください」と釘を刺す。それに「分かってるよ」とジャックも視線で返してくるが、彼の口角は今にも決壊しそうなほどピクピクと痙攣している。


 (……うん。話を進めよう)


 自分よりずいぶん歳上であるはずの青年とオオカミは、しかし精神的にはまだまだ子どものようだ、とスラは判断し、自分が大人にならなければという使命感を覚えたのだった。


 「……それで、ナイシュさん。僕の探し物についてなんですが……」


 スラが切り出せば、ナイシュは目的を思い出したのか佇まいを正し、スラを真っ直ぐに見た。


 「ソレから話は聞いた。しかし、私も人間にはここ最近会っていない。スラが8年ぶりの人間だ」


 ぎゅっと、スラは拳を握った。


 「スラが寝ている間に、この屋敷に張った(トラップ)も全て確認してきたが、それほど新しい死体はなかった。……盗人がここに来たことは、確実なのか?」


 「いえ……森の中をここに向かっていた、と聞いただけなので、辿りつけたかどうかは……」


 「……言いにくいが、恐らくその盗人はここに辿り着く前に、魔物の餌になったのだと思うぞ」


 そうであったのなら、主の宝はもう見つけられないだろう。この広い魔の森で、恐らく骨すら残さずに食べられてしまっただろう者の残骸を見つけることなど、出来る訳がなかった。


 全身から血の気が引いて、シチューで温まった体からどんどん熱が失われていく。ズルズルと冷たい夜の池に引きずりこまれていくような感覚に、スラは吐き気を覚えた。どこまでも落ちていきそうな、果てのない絶望感。それに抗う力は、もうスラにはなくて――


 ガタガタと、壊れた玩具のように震えだした体。


 自分の震えを支えることが出来ず、椅子から転げ落ちそうになったスラを、温かな腕が抱きとめてくれた。


 見た目に反ししっかりとした筋肉の付いた腕は力強くて、スラは溺れた人のようにその腕に縋り着いた。それに答えるように腕はさらに強くスラを抱きしめて、押しつけられた胸から聞こえる規則正しい彼の心音が、スラに生きている実感を与えてくれた。


 「大丈夫」


 慰めるように耳に落とされた小さな囁きは、深くスラの中に入ってきて、冷え切った体に血を通わせてくれた。


 ぺロ、と頬を撫でる温もりに、スラの目がそちらを向く。心配そうに自分を見つめる薄紫の瞳を見つけて、スラは固まっていた体の緊張をゆっくりと解いていった。


 「ありがとうございます、ジャックさん、ナイシュさん」


 カラカラに乾いた口から出た声は情けないくらいに掠れていたけれど、「どーいたしまして」というジャックの明るい声と「礼を言われることは何もしていない」というナイシュの冷静な声に、スラは微かに微笑んだ。


 異端な人たちだけれど、その心は温かいとスラは感じた。


 (……けど、本当にどうしよう)


 これからの事に思考を向けていたスラの耳に、


 「ねぇ、スラ。一つ、聞いてもいい?」


 スラを腕に収めたままのジャックが静かに問う。




 「何で、スラがその宝物を探しに来たの?」




 こんなに危険がいっぱいの場所なのに、と続けられた言葉に、スラの顔に自嘲が浮かんだ。


 (危険な場所だから、だよ)


 スラは心の中でそう答える。




 危険な仕事は、奴隷の仕事だ。汚い仕事も、痛い仕事も、奴隷の仕事だ。


 スラは幾らでも代わりの利く道具で、はっきり言ってしまえば、死んだって構わないのだ。主たちには、スラが生き物だという認識すらないだろう。


 でも、そう答えるのは憚られた。


 いや、きっとスラは見栄を張ったのだ。仲良くなった二人と、スラは対等でいたいと望んだのだ。せめて、主から遠ざかったこの時だけでも、人でありたかったのだ。


 「……『番犬』は、女・子どもは襲わないって、そう言われていたから」


 それは、嘘ではないし、ここに送りこまれる上でスラが選ばれた理由の一つでもあった。しかしそれを聞いたナイシュの反応は微妙だった。


 「……間違ってはいないが……何せ、女・子どもでここに来たのは、スラが初めてなのでな……」


 「え」


 「……そもそも、ほとんどの者が罠にかかって死んでしまうし……」


 襲う機会が少ない、とナイシュに言われて、スラは絶句してしまう。しかしそれもつかの間でことであった。


 ピリッと空気が震えて、スラの体が大きく跳ねる。理由も分からないのに体が竦んでしまい、自分の体を上手く支えることすらままならない。


 驚き目を見開くスラを見て、ナイシュが咎めるように「おい」と一声発した。


 「……ふーん。そんな理由かー。そうかー。でも変だなぁ。ここはともかく、魔の森は、大人だって関係ないよね?スラは運良く出会わなかったのかもしれないけど、昼だって魔物出るんだよ?そんな中を、でもスラは一人で来たんだよね?普通、送るよね?おかしいなー」


 怖い。


 口調こそ軽いものだったが、その言葉に隠されたジャックの怒りが突き刺さるようで、スラの体から脂汗がにじみ出る。何にジャックが怒っているのかも良く分からず、スラは体を震わせることしかできなかった。


 (ど、どうしよう、どうしよう)


 パニックに陥ってしまったスラ。それを察したのか、クス、とジャックが小さく笑って、スラのぼさぼさ頭を優しく撫でた。


 「何でスラが怯えるんだよ。そんな必要ないのに。……ごめんね?吃驚した?」


 腕を緩められ、ようやく見えるようになったジャックの顔は、今までのようにキラキラと輝いていた。それにほっとしつつ素直に頷くと、ジャックがもう一度「ごめんね」と謝罪を口にする。


 「お詫びに、ここにある宝物、好きなの持って行っていいよ」


 吃驚して固まるスラ。その様子が可笑しかったのか、ジャックは少し笑って補足をする。


 「預かってる物は、さすがに無理だけど。いや、スラが気に入った物があるなら、ぶっちゃけ誰も取りにこないから、持って行っても問題ないと思うけど」

 「おい」

 「分かってるって。まぁ、このように真面目なナイシュが許してくれなさそうだし、預かり物はダメ。でも実は、預かり物じゃない貴金属も沢山あってさ、僕たちはいらないし、それでスラが助かるなら、もってっちゃってよ」


 女性なら誰もが落ちそうな蕩ける笑顔をみせるジャックに、スラは震える唇を精一杯動かして確認する。


 「ほ、本当に?」


 「本当。何なら、今から物色に行く?おいで」


 ジャックに腕を引かれながら、スラは夢のような展開に心も足取りも軽くなったのだった。







読んでいただき、ありがとうございました。

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