ファンタジーは良くてもホラーは無理です
書けたので上げちゃいます。
緩いですが、暴力・グロ表現があります。苦手な方はご注意ください。
ジャックがスラを引っ張って来たのは、2階の西側に面した部屋の一つだった。
すでに陽は落ちていて、明りを灯していない屋敷の中はひどく暗い。構造をよく理解していない上にあちこちに罠があると思うと怖くて、スラはジャックの歩が止まってからも彼の背中にしがみ付くようにしていた。対するジャックはなぜかご機嫌で、鼻歌交じりに部屋のドアをノックする。
「おーい、駄犬!開けるぞー」
許可を得ることなくジャックがドアを開いた瞬間、月光と共に巨大な火の玉がこっちに飛んできた。
「わぁ!」とスラが悲鳴を上げるのと、ジャックが自分の背中に張り付いているスラを突き飛ばすのとは同時だった。
すぐに大きな衝撃音が轟き、辺りを焦げ臭さが漂う。
床に倒れ込んだ拍子にしたたかに背中を打ったスラは、息苦しさを耐えてどうにか顔を上げた。
そして、涙の滲むスラの視界に、ふさふさの毛で覆われた太い足が映った。
スラの腕の3倍はあろうかという程の太さの足の先には、見たこともないような鋭い爪。獲物を斬り裂くことだけを考えて備わったそれに、スラの背筋が凍る。見たくないのに、見たら後悔すると分かっているのに、スラの視線は不安からそのたくましい足を辿って――そして、その獣の全容を捉えた。
(……オオ、カミ)
オオカミ――それは絶滅してしまったと言われる伝説の生き物。高い魔力と戦闘能力を持ち、ドラゴンやユニコーンと並び人々から畏怖の念を抱かれている存在。
当然、スラはオオカミなど見た事なかった。しかし、その獣を見て、スラはそう理解したのだ。
刃物のような鋭い眼光。ピンと立った耳。馬すら仕留めてしまいそうな大きくたくましい体躯。白銀の、美しい毛並み――
何よりも、その圧倒的な存在感。
その佇まいの、なんと美しく崇高なことか……
スラは、恐怖も吹き飛んだジャックのことも忘れて、その美しい獣に見惚れた。
スラから熱い視線を受けるその獣は、スラには目を向けずに黒こげになった男の残骸を睥睨していた。
そして
「貴様には学習能力というものがないのか?それとも、そんな体になった拍子に脳みそを何処かに忘れてきてしまったのか?」
鋭く光る牙を剥きながら、獣は耳に心地良い低音でそうしゃべった。
確かに、しゃべった。
スラはただ、茫然と美しい獣を見ていた。その目は先程までの陶然とした物ではなく、まさに点と呼ぶに相応しいものだった。
だがしかし、スラの受難は続く。
「いててて……危ないだろー?お客さんに当たったらどうするつもりなんだよ?」
むくり、と火の玉を喰らって吹っ飛んだ黒こげの塊が起き上ったのだ。
あんな物が直撃して、生きていられる訳がない。薄情なようだが、スラは彼の生存を諦めていた。もしや奇跡的に避けることに成功したのか、と思って彼の顔を良く見れば首から胸にかけては皮膚が赤く焼けただれ、顔面に至っては炭と化していた。高かった鼻はひしゃげ、片目は溶けて無くなってしまっている様は、どう見てもゾンビである。
元の彼を知っているだけにその醜悪な姿の衝撃は大きく、スラのそこそこ図太い神経も限界を迎えた。
(も、駄目……)
スラは、意識を手放したのだった。
湿った何かに頬を擦られる感触に、スラは目を覚ました。そして、目の前に凶悪な牙がずらりと並んでいるのに気が付いて、「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
「起きたか」
スラを丸ごと飲み込んでしまいそうな大きな口に並ぶ牙は、スラの柔らかな肉を斬り裂くことなく離れていった。そうしてようやくスラはオオカミがどうやら自分を舐めたらしいことを知った。
近くで見たオオカミの瞳は薄い紫だった。どこか知的な雰囲気を持つその瞳に、突然ガブリとやられることはなさそうだ、とスラは少し安心した。
「起きた!?良かった~。いきなり倒れるから、吃驚したよ」
そう言いつつオオカミを押しのけて、ジャックが顔を覗き込んできた。トラウマになりそうな姿ではなく、輝かんばかりの美青年がそこに居て、そのことにもスラは安堵した。
「ごめんね。そりゃ、犬がいきなりしゃべったら吃驚するよね」
「貴様の醜態に驚いたのであろう。それから何度も言うが、私は犬ではない。オオカミだ!」
「はいはい、妄想もいい加減にしておこうねー」
低い唸り声を上げるオオカミと、それを鼻で笑う美青年……とりあえず止めた方がいいと判断して、スラは寝かされていたベッドから上半身を起こした。
「すみません。オオカミさんがしゃべったことにも驚きましたし、ジャックさんが黒焦げになったことにも驚いてしまって……ご迷惑おかけしました」
頭を下げるスラに、オオカミは「ほう」と感心した目を向けた。
「中々、礼儀を弁えた幼子だ」
「可愛いだろ?」
「貴様が自慢するようなことではない」
「僕が最初に見つけたんだから、僕の手柄だろ?」
「貴様が見つけたのではなく、幼子が貴様を見つけたのだろう。まったく、何と目出度い頭か」
ジャックは鼻を膨らませて、けれどどこか勝ち誇ったように唇の端を持ち上げると言った。
「ふん。無意味な罠を毎日毎日張ってる暇なワンコに言われたくないね」
「無意味だと?!アレは侵入者の9割を排除しているのだぞ?!そのお蔭で貴様は日々怠惰な生活を送っていられるのだろうが!」
「この子、一個も罠に引っかかんなかったんだって」
「なっ……!」
絶句したオオカミの驚愕に見開かれた目を向けられ、スラの肩が小さく跳ねた。
「……本当か?本当に、一個も?」
「…………はい」
悔しそうに歯を軋ませるオオカミに、スラは何だか申し訳なくなってしまう。
申し訳なさに小さくなっていると、頭に温かな手が乗った。
「とりあえずさ、なんか食べない?お腹空いたでしょ?」
ふんわりと、頭上から下りてくるジャックの問い。
答える代わりに、スラの腹の虫が大きく鳴って。
朱に染まるスラに、ジャックとオオカミは柔らかな目を向けたのだった。
読んでいただきありがとうございました。