私の帰る場所
お待たせしました。
それでは、どうぞ。
女は揺れる荷台の上で寝返りを打った。手足を拘束されている為、それだけの動作でも体力を使う。すでに魔力も体力も限界まで使ってしまった体は悲鳴を上げたが、自分の体よりも、女の背に額を押し付け泣いている我が子のほうが、女にとっては大切だった。
「……大丈夫よ。お父さんが、きっと助けに来てくれるわ」
女の宝物は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、それでも微かに頷いた。
望みが薄いことは、女にだって分かっていた。女の夫は妻と娘が攫われたと知ったら、きっと救出に来てくれるだろう。だが、男達に荷馬車に積みこまれてから随分時間が経っている。荷台には布が被せられているから外の様子は分からないが、もう遠くへ来てしまっていることは確かだった。
きっと自分は間に合わないだろう、と女は思う。男達の目的は、女の翼だ。目的地に着いたらすぐに翼を捥がれる。それは、女の死を意味していた。
(私はいい。でも、この子だけは……)
どうか、夫が娘の救出には間に合いますように、と女は祈らずにはいられない。
自分が死んだら、もう娘を守れるのは夫だけなのだ。
夫は強い。だから、必ず助けに来てくれると信じて、今は娘が少しでも長く生きていられるように努力しようと心に決めた。
「……今からお母さんの話すことを、良く聞いてね」
荷台に男達はいないが、それでも聞こえないように女は娘の耳に囁いた。
「いい?決して、翼を出してはダメよ。あなたの翼はまだ小さいから、しまっておけば男達にも分からないわ。あなたはハーフだから、翼がなくたって、男達は不審がらないはず。それから、男の子の振りをしなさい」
「どうして、男の子の振りをするの?」
不思議そうに首を傾げる我が子が愛おしくて、これからこの子が味わう未来を思うと不憫で居た堪れなくて、力いっぱい抱きしめてやりたいのに、後ろで拘束された腕ではそれも叶わない。女は浮かんでくる涙をぐっと堪えて、言葉を続けた。
「……どうしても。お母さんの言う事を聞いて」
「……うん」
「良い子ね。……男の子のように、自分のことは『僕』と言うのよ。それから、名前も、聞かれたら『スラ』と答えなさい。本当の名前を答えたりしてはダメよ。いいわね、スラ。あなたは、スラ。そう、答えるのよ」
「……うん。僕は、スラ」
「そう、それでいいわ。お母さんとの約束、守ってね」
頷いた娘は、けれどポロポロと涙を零す。聡い娘だから、きっとこれが母と過ごす最後の時間だと、感じたのだろう。
「泣かないで。泣かないで。可愛い可愛い、私のスラ」
そう言って娘の頭に頬ずりすれば、賢い娘は歯を食いしばって嗚咽を飲みこもうとした。
そんな娘が健気で愛おしくて、なぜこんなに可愛い子を置いて逝かねばならないのかと、女は世界に憤る。
(私が、娘が、夫が、いったい何をしたというの?)
身を丸めて少しでも娘を包み込もうとした矢先、荷馬車の揺れが収まった。
ビク、と震える娘にもう一度頬ずりをする。
馬車の周りから野太い男達の声がして、あぁ、着いたのだと悟った。
これが、本当の最後。
「愛してるわ」
こんなありきたりな言葉しか思いつかなかった自分が少しだけ恨めしかったけれど、それでも精一杯の心を込めて言葉を残した。この言葉が娘を守ってくれるように、精一杯の想いを込めて贈った。
伸びてきた腕に掴まれて、荷台から引きずり降ろされる。
自分を呼ぶ娘の悲鳴に心が張り裂けそうになりながらも、女は卑下た笑みを浮かべる男達を睨みつけた。
屈するものかと女は思う。最後の瞬間まで、決して命乞いなどせず毅然としていると、女は愛する男に誓った。
それが、自分のような女の為に人生を棒に振った夫の、どこまでも気高い男の妻として相応しい最後だと思った。
(……ごめんなさいね、あなた)
これから茨の道を進むであろう男に女は詫びる。
(幸せに、してあげたかった。あなたが私を幸せにしてくれたのと同じ位、幸せにしてあげたかったわ)
幸せにするどころか、自分の所為で男は名誉も富も、平穏さえ無くしてしまった。その上、さらなる苦難をこれから背負わせるのだ。
(ごめんなさい……でも、どうかあの子を、私達の子を、守って)
愛する男に、そして神に、女は祈る。
(お願い。どうかあの子を守って。私の、私達の宝物を、どうか、守って……)
「……僕が、この翼から読み取った記憶は、そこで終わりだ」
静かに、ジャックはそう言った。ジャックは、魔力を通して記憶を覗くことが出来るという。「趣味の悪い力だから、普段は使わないよ」と前置きをしっかりしたのは、この力を好いてはいないからだろう。
スラは、ジャックが話し終わった後もしばらく木箱を眺めていた。扉は開けていない。開けたらまたスラに影響が出るかもしれないと、止められたのだ。
でも、扉を閉じていても聞こえてくる、自分を呼ぶ声。昨日と同じ声は、必死に自分を呼んでいて……
スラは扉に手をかけて、一気に開け放った。
木箱に納まる、4枚の翼。降り注ぐ黄金色の光は、ただただ優しかった。流れ出す魔力は、ひたすら温かかった。
もう忘れてしまったけれど、きっと自分の母はこういう人だったのだろうと、スラは思った。思うと同時に涙が溢れてきて、スラの視界がぼやけた。もっとしっかり目に焼き付けておきたいのに、止めようと思えば思う程、ポロポロと流れてきた。
グスグスと鼻を鳴らすスラを、後ろから躊躇いがちにジャックが抱きしめた。
「……あのさ、スラ」
「グス、?」
「あのね、前、スラに『番犬か』って聞かれた時、僕は違うって答えたけど……これからは、ちゃんと番犬やろうかと思うんだ」
後ろから抱きしめられている為、ジャックの顔は見えなかった。しかし背中から伝わる体温が上がった気がして、スラは不思議に思った。
「だからね、これからは番犬として、ちゃんと預かっているものを守ろうと思う」
そうですか、としかスラは返せない。
ジャックが何を言いたいのか、スラにはまったく分からなかった。少なくとも、ここまではそんな深刻そうな声で言うような内容には思えなかった。
「……君のお母さんは、君を守ってって、願ってた。私達の宝物を守ってって。……それは、今までここに来た人達と同じ願いだ。『金庫』への依頼と、同じだ。だから……だから、僕は君を預かろうと思う」
一瞬、スラは何を言われたのか分からなかった。驚きのあまり、止めようとしても止まらなかった涙が止まる。
息を飲んで、それっきり沈黙してしまったスラを、ジャックはゆっくり離して自分の正面を向くように回した。スラの顔は事態を飲みこめずに固まってしまっていて、ジャックの顔は若干赤みが差して目が怖い位に真剣だった。
「…………あの……」
「スラは、嫌?ここで僕たちと暮らすの」
「そ、そんなことありません。でも、僕なんかがいても、何の役にも立てないと」
「役に立つ必要なんてない。だって、スラは預かり物なんだ。ただ、君を守らせて欲しい」
「……僕に、守る価値なんて……」
「あるよ」
「ある」
力強く二人同時に肯定され、スラは驚きに目を見開く。
「スラ、お前はお前が思っている以上に、尊い存在だ。私を恐れず、ジャックを恐れない。それがどれ程稀有な事であるか、スラには分からぬだろう。それがどれ程私達を救ってくれているか、スラには分からぬだろう。……スラよ、そなたと過ごした短い時間は、私達にとって掛け替えのない時間だった。そんな時間をくれたそなたを、どうして価値がないなどと言えるだろう。そんな事、誰にも言わせぬ。例え、スラ自身であろうとな」
「……ナイシュ、さん」
「そうだよ、スラ。それに、君はご両親にとても愛されているじゃないか。傷だらけになりながら、君のお父さんはお母さんの翼をここに届けた。翼だけになっても、今なお君のお母さんは、君の幸福を祈ってくれている。二人の強い愛情が、きっとスラをここに導いてくれたんだよ。こんなに愛されている人が、この世界にどれだけいると思う?思い出して、『金庫』の中を。600年かかっても、あれだけしか集まらなかったんだ。君には、あの『金庫』の中の『宝物』にだって劣らない、価値があるんだよ。……ねぇ、スラ。僕が『金庫』で言ったこと、覚えてる?」
言われて、スラは記憶の中へ意識を飛ばす。あの時、あの甲冑の話をしながら、ジャックは何と言っただろうか。
(「ここにある『宝物』は、皆そうだ。一見ただのガラクタのようだけど、でも持ってきた人にとっては、かけがえのない『宝物』なんだ」)
(「ねぇ、スラ。僕は思うんだけど、きっと『宝物』ってそういう物のことを指すんだよ。思い出とか、想いとか、愛とか、そんなものが沢山詰まった物を『宝物』って言うんだって、そう思う」)
(本当、に?)
そんな価値が自分にあるのだろうか。
自分はただの子どもだ。自分一人では生きていけない、弱く脆い存在だ。自分の命が大切で、死んでいく他の奴隷を見ても安堵しか覚えないような、汚く穢れた存在だ。そんな自分が、本当に『宝物』に当たるのだろうか。
それだけの価値が、あるのだろうか。
救いを求めるように二人を見れば、そこには春のように優しい微笑みがあった。
スラの頭の上に手を乗せて、ジャックは諭すようにスラに告げた。
「君は、沢山沢山、愛されているんだよ」
視界が急速に歪んでいく。鼻がツンとして、震える唇を噛みしめた。でも、そんな程度の抵抗はすぐに無意味になった。
自分の涙腺は壊れてしまったようだ、とスラは嗚咽を零しながら頭の隅で思った。涙でぐちゃぐちゃになった顔を見られたくなくて、スラは袖口で涙を拭うけれど、それでも間に合わなくて腕で顔を隠す。頭を撫でる手は温かくて、どこまでもスラを甘やかしてしまいそうだった。だけど。
(言わ、なきゃ)
二人が言葉を尽くしてくれたのだから、それに自分も答えなければならないと、スラは嗚咽の止まらない口を開いた。
「っく……ったい、です……ぅ……ここに、いたい……ふわぁっ!」
急に襲ってきた浮遊感に、スラは思わず情けない叫び声をあげてしまった。気付いた時には目の前にジャックの端正な顔があって、碧の目に涙が浮かんでいる事に気が付いて、スラは泣くことも止めてマジマジと見入ってしまう。
「本当?本当に、ここに居てくれる?!」
噛みつきそうな勢いで聞いてくるジャックに押されて、スラは何度も首を縦に振った。
スラの返事を見て、ジャックは俯きプルプルと震えていたかと思うと
「~~~~~~~~~やっったああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
雄叫びと共に空中に投げだされる小さな体。
(え?)
どんどん迫りくる天井。
あぁ、自分が上に向かって放り投げられたんだな、と理解したスラ。
しかし、昇りきってしまえば、その後に起こる事態は……
「ふええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!?」
落下、である。
この地下室は、元々は魔法の研究に使われていたというから、天上がかなり高かった。恐らく地上3階分と同じ高さがあるだろう位置から、スラは重力のままに落ちて行く。
翼の事など、こんな緊急時に思いつくはずもない。それでなくとも、出さない生活に慣れていたのだから。
ぎゅ、と目を瞑り、激突の衝撃に備えたスラだったが――しっかりとした二本の腕で抱きとめられた為、その衝撃を味わうことはなかった。
「ご、ごめん、スラ!!あんまり嬉しくて、その」
放心状態のスラに、ジャックは慌てて謝罪するが。
「こんんんの、大馬鹿者がっ!!」
ナイシュの後ろ足によるダイビングキックが決まり、壁際へと吹っ飛んでいく。再び放り出されたスラは、しかしナイシュのもふもふの毛の上に落ちて無事だった。
「スラよ、怪我はないか?」
「は、はい……何とか……」
「……げほ……お、おま、本気でやりやがったな……」
「当たり前だ!……まったく、貴様は何を考えている?!スラが怪我をしたらどうするつもりだ!!ただでさえ安静が必要な身体だというのに……貴様は今後一切スラに触れるな!この気違いめ!!」
毛を逆立てて怒るナイシュに、スラが「あの、僕は大丈夫ですから」とフォローを入れたが、ナイシュは良しとしない。
「ジャックを甘やかすな。あれは甘やかすと図に乗るだけなのだ。……ところでスラよ、もう『僕』でなくとも良いのではないか?」
思わぬ提案に、スラは一瞬言葉に詰まった。スラは、「僕」という言葉が馴染み過ぎて、もうその言葉の意味を深く考えてなかった。男が使う言葉、という認識が抜け落ちてしまっていたのだ。
その間を違う風に解釈したのだろう、ナイシュが「勿論、スラがそのままが良いなら」と言い始めたので、スラは慌てて首を横に振った。
「いえ、嫌とかそういう訳じゃないんです。……そうですね。もう、男の振りをしなくても、いいですよね。……これからは、『私』と、言うようにします」
そう宣言すると、蹲りながらもこちらへ戻って来たジャックが「いいね!」と明るく賛同した。
「じゃあ、ついでに敬語も止めない?これから一緒に住むんだし、固っ苦しいのはなしにしよう!ね?」
「えぇ!?で、でも」
「ナイシュも、敬語じゃないほうがいいよな?」
「うむ。スラにならば、親しげな言葉を使われても良い」
「だろ?大丈夫だって!スラたまに敬語外れてたし、その内慣れるよ」
「ぼ、いえ、私、タメ口を使ってました?!」
「たまーに、ね」
ナイシュにも視線で問えば、しっかりと頷かれてしまった。
自分ではまったく気が付かず、スラは茫然としてしまう。敬語は、生きていく為に絶対必要なものだ。それが無意識の内に外れてしまうなんて、よっぽどここは居心地が良かったのだろう、とスラは他人事のように思ってしまう。
ぼう、とするスラに笑いながら、ジャックが手を差し出してきた。
それに首を傾げれば、一人と一匹は当然のように言葉を紡いだ。
「「おかえり」」
ぎゅ、と顔を歪めて、泣きそうになりながらもスラははっきりと大きな声で応えた。
「ただいまっ!!」
今まで読んでいただき、ありがとうございました!
これにて、一応完結にさせていただきます。
あ、もう一話おまけで付けるとはおもいますが、本編はこれで終わりなので。
続編も考えてはいますが、すぐには書かないと思います。
ただでさえ遅筆なので、一遍に複数の話は書けないんです。すみません。。。
またいつか、ジャックやナイシュが皆さんの前に現れるよう、私も頑張りたいと思います。
最後に、このような稚拙な文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。




