8 - Then I arrived there and find a hope, but......
空は段々と赤く染まり、太陽はゆっくりと俺の背後の方向に落ちていく。後ろを振り向けば、太陽が沈もうとしている影響もあって自分の足跡もあまり見えなくなってくる。あと数十分で日没だろうか。そろそろ寝る準備をしなければならないだろう。
世界の光量が落ちてきているのならば、俺の後方が暗くなっている以上に俺の前方は暗くなっている。かなり大きく、近くなっていた塔ももうほぼ見えない。しかしながら、ここまで歩いた中で塔に関してわかったことがある。
まず1つ、それは結構近いということ。1日歩き続けることにより、それはその細部まで見えてくるようになった。大きな塔、そう感じた俺の間隔は間違ってなかったようだ。黒く、そして巨大な塔。しかしながら細部が見えてくるのが早いことから、もう明日にはつけるだろう距離。周りには塔以外のものはないようで、まぁ塔の一番下まで見えているわけではないのでもしかしたら非常に低い建物があるのかもしれないが。
そしてもう1つ、塔は半ば壊れているということ。かなり細く、そして長く感じた塔、もしもそれが人工物であったならばかなりの文明を有していた建物だろうと考えていた。恐らくあれが塔である以上、かなりの文明がこの地に存在していたことは揺らぎようもない事実。しかしながら、残念なことにそれが今も繁栄しているかという点では残念ながら否だろう。わりと鮮明に見えてきたおかげで、今の塔の現状が見えてきた。
巨大な円筒状の塔であろうその建造物は、遠くから見ると天を衝かんばかりの繁栄した文明の象徴であったのだが、ここまで近くなってみるとそれは崩壊と退廃の象徴であることが分かってしまった。円筒状だと思っていた塔は、先端部は不自然に斜めに、まるで崩れているように見える。そしてそれだけではない、遠目から見てもわかるほどに先端部から何かの衝撃を受けて縦に半分崩れ落ちたかのように末広がりになっている。どう考えても何か事故が起きたのか、それとも何か災害が起きたのか、そういった要因によって崩壊しているように見える。
最悪な事実だ、たとえ文明が生きていたとしても、それを作った当初のような輝きを見せてはいないだろう。もしもまだ栄華を誇っているとするならば、それを作り直すこと、建て直すことができるだろうから。故に、それを作ったときよりも文明は退廃していることは確実だろう。希望を捨てないとするならば、文明が一度滅び、そこに誰かが移り住んでいる可能性も考えて問題ないだろう。そうやって希望を持っていないと前に進めないような気がするから。
喉が渇く。水はもうほぼなく、タレの焼き鳥缶を口に含み、ほとんど出てこなくなった唾液で喉を湿らせる。潤す、そういった表現ができないほどの唾液しか出てこなくなってしまった、はたして明日動けるのだろうか。缶詰に小水を排泄し、それを口に含む。水分は捨てられないためそうするしかないのだが、しかしながら塩気の強いその液体を飲むだけで喉が余計渇くような、そんな気がしてくる。いや、これは確実に事実だろう、現に喉に絡み付くような唾液を無理矢理飲み込む最中でさえ、舌が辛味を覚えているのだから。
あぁ、なんでこんな目にあってしまったのだろうか。周りに楽しむような風景も存在せず、ただただ死した大地が広がっている光景を横目に、何度も問うてきた質問。俺が一体何をしたというのか、日々つつがなく暮らし、人様に大きく迷惑を掛ける様な行いもしてこなかったはずだ。
「く……あ……川は……ないのか……」
声を出すことさえも億劫に感じる。喉に力をいれて、舌を形作る、その今まで意識などしたこともなかった動作が今は苦痛だ。喉が擦れ、痛みが少しばかり走る。舌が歯に触れるたびに、吐き気がするほど臭味のある歯垢が舌に纏わりつく。舌に纏わりつくそれを指でこそげ落とすと、伸びた爪の間に黄色くなった舌蘚が挟まってくる。それを服でこそぎ落とし、そして地面に寝転がる。
水分もない状況、体力も無い状況、早く寝てしまうに限る。明朝に起きることができるのかはわからないが、起きることができたのならば明日中には必ず塔につくと空に誓う。
背骨に感じる地面の感触、頭は缶の蓋を使い集めて柔らかくした枕がわりの砂の山の上に置く。体の上にかける布は存在しない、肌寒いが耐えるしかない。
この世界に無理矢理移動させられて初めて見る夜空。電車のガラスからは時折見ていたとはいえ、しっかりと肉眼で見るのはこれが初めてだ。夜というのは、非常に暗い想像をしていたのだけれども、それは地球があまりにも明かりに溢れていたから。街灯なり、信号灯なり、ネオン管であったり、広告を照らす明かりだったり、どれだけの明かりが世界に溢れていたのか。この世界にきてみれば、あれがどれだけ不自然なものであったのかということに遠回しに気づかされる。
空には大きな月が浮かび、その周りに少し離れて少ないながらも星が瞬いている。月のかたちも、空に浮かぶ星の様相も地球でのそれによく似ている。ただ、こんなにも綺麗な景色を見たのは初めてだろう。手元は指の皺まで見えそうなほど明るい、月の明かりがここまで明るい物だとは知らなかった。柔らかな光の中で目を閉じる……
暖かな日差しが体を焼くような感触を覚えて目を覚ます。寝汗でもかいたのだろうか、体が少しぬるぬるとしているような、そんな感覚。地面の上に寝ていたためだろうか、節々が痛む体を無理矢理起こし、缶詰を開ける。あぁ、もうタレの焼き鳥缶もほとんどなくなってしまった。
柔らかく煮込まれた鶏肉と、凝固した味の濃いタレを口に含みつつ、体をぼりぼりと掻き毟る。皮膚の全てを剥ぎ取ってしまいたいような、血が噴き出ようとも爪が剥がれようとも止めたくないような。この世界に来て1週間が経とうとしている頃、体中の水分が減り、栄養不足で新陳代謝が悪くなってきてもなくなったわけではない。昨日の行軍においての汗、夜寝ている間の汗、それらが皮膚の上に何重にも重なった結果がこの垢の量。掌程の人形でも作れてしまうのではないのかというほどの垢をそぎ落とし、爪にこびり付いた黒いそれを地面に擦り付ける。それでも全て取れ切るわけでもなく、爪も結構黒ずんできている。
立ち上がり、少し足を動かす。重い、そして酷い筋肉痛。流石に1日の行軍は辛い物だったようで、大臀筋でさえも筋肉痛になってしまっている。ゆっくりと、ただ筋を切ってしまわないようにストレッチを。腰が、肘が、膝が、指先が、様々な関節がボキボキと音を鳴らす。全身に走る多幸感、凝り固まった体をほぐすという行為がこんなに気持ちが良かったとは。
缶詰に注いだ液体を飲み干す。時間の経過、慣れとは恐ろしい物だとつくづく思う。多少の忌避感は残りこそすれ、飲むこと自体を体が拒否しなくなってしまったのだから。飲み干したところでスーツケースを片手に歩き出す。
それから歩き続けること数時間、ついに黒き塔までたどり着く。
太陽はとっくに頭上を過ぎ去っていて、缶詰を開けて中身を貪る。今までゆったりと味わっていたそれを、黒き塔のすぐ近くまでたどり着いたということで知らず知らずに興奮していたのだろう、数口で食べきってしまう。ほぼ空になりかけたところで気がつくも、もう後の祭り。缶を袋に入れスーツケースに放り込み、塔に向かって歩いていく。
あと数百メートルほどにまで近づいた塔、やはり半分崩れ落ちている塔のようで、周りにはがれきのようなものが散乱している。色は所々赤色をしており、もしかするとあれが元の色なのかもしれない。高さは100メートルほど、少し遠い今だからわかるのだが、最盛期はもっと高かったのだろう。先端が崩れ落ちているであろうことは一目瞭然、周りに散らばる大量の岩塊からもそれはわかる。この距離から見てもわかる大きさ、1つ1つの岩塊はどれだけ大きい物なのか。
普通ならばこの光景を見て、恐らく落胆するだろう。むしろ落胆し絶望しないほうがおかしいというものだ。ただ、俺は震え倒れ込みそうになる体をおして足を速める。1歩1歩が辛く、頭が少しふらふらとしている、完全に脱水状態に陥っているだろう体に鞭打ち、1分でも1秒でも早く塔までたどり着かんと歩みを進める。
俺の視線は、岩塊が転がり、朽ち果てた雰囲気漂う塔の中心部に生える、少しばかりの緑で一杯になっていた。