∞ - End of my Life
嗚呼、どうしてこうも世は無情なのだろうか。死期を薄々と感じとり、それでも運命に抗おうと昨夕決めたというのに。それなのに、それなのにこの仕打ち、折角の決意を簡単に水泡に帰してしまうとは俺が何をしたというのか。別段大それた行為をしようとしたわけではあるまいに。別にこの世界で栄華を誇ろうとしていない、覇者として君臨しようともいていない。無限の知識も最強の力も持っていない俺では何を成すこともできまいに。俺はただ、生きようとしただけだ。細く長く、薄い希望にすがり付き、泣き、笑い、疲れはて、喘ぎ、絶望し、それでも生に執着しようとしただけだ。それすらも許されないのか、それすら罪なのか?
世界はそこまで傲慢なのか、異分子が調子に乗ったと判断されたのか?生物が生物足り得る、根元足る生という行為さえも赦されないのか?そうか、だからこの世界には生物がいないのか。
まず生を受容していない、受け皿さえもないこの地で生き永らえようとする俺が悪かったのか。神はいないのか、仏は、救いはないのか?
見苦しい、死が俺の行く手に立ち塞がっていたのはわかっていたことだっただろう。それが予想より早まっただけ、何をそんなに発狂しているのだろうか。
相対する2つの意見が脳内で銃撃戦を展開する。西部劇さながらのそれを俺には止める術がない、流れ弾は全て俺へと叩きつけられていく。避ける術はない、戦の舞台は俺の頭なのだから。
狂いそうだ、今すぐにでも頭をカチ割っていしまいたい。違う物事に逃避したい、しかしそれは無理な相談だろう、この現状では。
深い深い眠り、真っ黒な世界から帰還した俺を待っていた非情な事実。目を開けると、視界が既に歪んでいた。なんとなくぼやけた視界、視野はなんとなく狭くなっているように見えた。靄がかかり、目を開くことさえも苦痛に感じるほどの。体を動かそうにもあまりの苦痛と気怠さに体が拒否した。そしてそれを確認して俺は嘆いた。情けない、なんてことなんだろう、と。
かろうじて右腕を動かすが、肩から上の感覚が鈍っている上に、何か抵抗を受けているかのように体力を使う。ゆっくりと、だが必死に腕を持ち上げて目を擦る。ああ、体全身の、特に関節部においての痛みは声が漏れ出そうなほどだというのに表皮付近の痛みは感じないのか。目元を擦っている筈なのに少しばかりの感触と申し訳程度の痛みが細々と伝わってくるだけ。喉は腫れあがっているのだろうか、喋るどころか息をするのも少し詰まっているように感じる。唾液なんてものは舌を動かしてもほとんど出てこない、口のなかはまるで冬場の唇の様。この1週間で細くなった右腕、力を抜くと重力で地面に叩きつけられる。関節と地面が当たったような嫌な音がする、いや、当たり所が悪かったのか、今の音からするとどこか折れてしまったかもしれない。骨が弱っている、体を動かすことすらも辛い今の状態ではどうしようもない。
ぼやける視界をどうしようにも、原因がわからない。できれば目を開けていたいが、開いた塔の天井からさんさんと射す日差しが目に突き刺さり開けていられない。明るい光だけで目が痛む、脳に刺さるようなガンガンとした痛み。腰が寒い、動いていないというのに背骨が軋み痛む。肩と腿の骨が寒い、骨に温度を感じる機能なんてあるはずがないのに。足の指は動かないし、左手を動かすのさえも辛い。結局は明かりに耐え切れずに瞼を閉じる。ぴくぴくと収縮する舌、水を飲もうにもそこまで動くことが苦行だろう。
いつの間にか眠っていたらしい。ふと気が付いて瞼を開ける。さんさんと射していたはずの日光が斜めから射しているのを感じる。ぼやけていても、どれだけの角度から落ちているのかどうかくらいわかる。数時間か、寝ていたというよりも意識を失っていたといったほうが正しいか。眠気は全くない、痛みによって気づかされていないだけかもしれないが。
右腕が酷く痛む。やはり先ので折れてしまったのか。ああ、辛い、本当に俺が何をした?
「そんなとこで寝てるから風邪引くのよ。」
「全く馬鹿だなぁ、ほら飯だぞ。」
「給食の時間ですよ、手を洗ってきてねー。今日は、みんな大好きな……」
「卒業おめでとう、次は大学か。」
「パリ行こうぜ、凱旋門楽しみだわ。」
「お兄さん、もう終わり?」
様々な音が聴こえてくる。瞼を開いてみれば、家族が、恩師が、友人が、あの少女が俺のことを囲み覗き込んでいた。皆それぞれがにこやかに笑い、暖かな視線を向けてくれている。体も洗っていないから臭いだろうに、栄養失調と疲労で酷い姿だろうに、やせ細り、肌は乾燥し、髪も抜け始めている汚れきった俺を囲んでくれている。皆が手を伸ばし、体に触れているような感覚。周りには色とりどりの花が置かれている。エーデルワイスが、キンセンカが、フリージアが、クリスマスローズが、ヒヤシンスが、そして月下美人が。多種多様な艶やか、鮮やかな花が俺を優しく照らしている。月下美人の良い香りが俺を狂わせる、愛おしい日々。
「もういちどあいたい。」
口から出たのはあまりにもたどたどしい音。まるで生まれて初めて喋った乳幼児のような発音、それを聞いた皆は一瞬驚いたような顔をして、そして慈愛に満ちた笑いをこちらに傾けてくれる。
あゝ、なんて幸せな刻だろう、こんなにも贅沢なこと、友人達は励まし、親は体を抱き、少女は頭を撫で、恩師は叱咤してくれる。あゝ、この刻が永遠と続いてくれればいいのに。
瞬き一閃、皆が涙を流す。例外もなく皆が俺の為に泣いてくれている、頬を撫で、体を撫で、手を握り、頭を撫でる。蝋燭に囲まれた暗い部屋、薄明りに照らされた皆の頬に光る筋。それでも皆の顔からは柔和な笑みがなくなることはない、まるで俺を勇気付けるかのように、まるで俺を最後まで見捨てないかのように。
目蓋を閉じて、もう一度開く。澄んだ空が見える、黒い額に縁どられ、丸く切り取られた蒼藍とした空だ。雲は見受けられず、太陽の姿も見受けられない。しかしながら周りに影は見えることはなく、爽やかな風が俺を包み込む。花の匂い、土の香り、森林の吐息、水のせせらぎ、虫の羽音、葉々が擦れあう音、生命の息吹が俺を優しく抱きしめる。あゝ、眠くなってきた。暖かな日差し、柔らかな大地、流麗たる音の響き、清涼なそよ風、目蓋が、体が、心が眠気に支配されていく。
段々と落ちていく目蓋の隙間から覗く空。手を延ばせば届くような気がして右腕を伸ばす。空を握る拳、それでも何かを掴めたような気がして満足げな気分になる。
目蓋と目蓋の間に見える一条の空、その中央には月下美人が燦々と咲き誇っていた。
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