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15 - I lost in a humorous utopia.

 夢を見た。決して戻ることのできないであろう懐かしき日常の夢を。


 夢の中で俺はリビングに座っていた。上京し、めっきり会う回数が減った両親の住む俺の実家のリビングだった。俺は両足を炬燵に突っ込み、へらへらとテレビを見ていた。四角く角張ったブラウン管のテレビの中では、夢見ていた赤いスーツのヒーローが暴れまわる巨大怪獣と戦っていた。ことりと炬燵の上に置かれる蜜柑の籠、顔にシワが増えてきた母が炬燵に入ってきた。

炬燵には蜜柑よ、そう笑って蜜柑を手に取る母。それを見習って俺もそれを剥き始めた。丁度テレビの中ではヒーローが劣勢に立っていて、蜜柑の汁が少し漏れでて俺の手を汚した。不思議と俺の口からは、頑張れ、負けるな、そういった声が漏れでていて、炬燵の中で丸まる足に力が入った。

 例えば水が高いところから低いところに流れるように、卵を土壁に全力で投げ付ければ割れるように、正義の味方が悪の権化を打ち倒すことはテレビの中では決して揺るぐことのない常識で、俺の目の前でもヒーローが怪獣を打ち倒した。世界に平和が舞い戻り、必ず訪れる次なる災厄が示されたころ、母親に口が開いていることを指摘された。頬が紅潮していくのを感じ、両手に持った蜜柑を口に詰め込んでいくことで誤魔化そうとした。

 そこで気がついた、ヒーローに憧れ、母親に守られるにしては随分と大きいと。両手は母のそれよりも大きく、よくよく感じれば炬燵が窮屈で、何よりも知識と記憶に溢れていた。そして知った、これは夢だと、現実には起こり得るはずのない遠い夢だと。

 しかしながら、夢だと気付いた筈なのにそれは終わらなかった。ブラウン管は次の番組を、音楽情報番組を映し出し、そして父に野球へと変えられた。母は机に食事を並べ、すべての準備が終わったところで俺はよばれる。横に座っていた母がいつ料理をしたとか、ソファーに座ってテレビヲ見ていた筈の父がいつの間にか席についていたとか、そういったことは特に不思議に思わなかった。夢だから、夢ならば人が空を飛ぼうと、脈絡もなしに何をしようとおかしくはないと思ったから。

食卓にはハンバーグとクラムチャウダー、ライスにシーザーサラダが並んでいた。もうもうと湯気をあげるクラムチャウダーを口に含む。舌先を嘗めるような液体、遠く近海を彷彿とさせるような香りが口に広がった。ハンバーグを1欠片、ライスともに咀嚼する。肉汁が溢れ、ほのかな塩味とデミグラスソースの香ばしさが鼻に抜けた。父母は何か他愛のない聞き取れない会話をしていた。それを聞き取ろうと耳を澄ますと、だんだんと俺の座る椅子が引かれていった。机から離され、食事から離され、両親から離されていった。両手を伸ばすも届く筈はなく、子供のような腕だけが求めるように前につき出されていた。ああ、嫌だ、行きたくない、まだここにいたい、暖かな世界にとどまっていたいんだ……


 寝惚け眼で夢を思い返す。ここはどこか、なぜここにいるのか。頭の中は寝起き特有の冷静さを欠く状態で、手探りで記憶を思い出していく。そのなかでついでに思い出す記憶。 随分と生々しい夢、暖かく希望に満ち溢れていた日々、可能性を信じ期待を背負っていた日々。あの日々が懐かしい、もう戻ってはこない、戻れ無い日々。

 なんて嫌味な世界だ、俺を囲むは紅褐色の絨毯。緑はほんの1部、他は全て死にかけた黄土色。生命の息吹の欠片さえも見当たらない大地、糧は底が見え始め、絶望が精神の半ばを浸食している。唯一の救いは、体が少し楽になったこと。昨晩瑞々しい緑を飯と共に食べたのが功を奏したのか、それとも気分的な問題なのか。どちらにしても、マシになったように感じる体調、それを維持していられるうちに作業を済ませてしまおう。

 飯を掻き込む。噛むというよりも、多量の水とともに口の中ですりつぶしているといったほうが正しいだろう。粥よりもどろどろとさせたところで飲み込む。苦々しい緑の味すらも今では只の調味料でしかない、ふりかけと混ざり美味に感じてしまう。口の中を埋め尽くすそれを無理矢理飲み込んだ後、咽ようとする喉を、跳ね回る胃を無理矢理力で抑え付ける。吐くわけにはいかない、全身をのた打ち回る怖気を抑え、嘔吐く喉に水を流し込む。そしてゆっくりと深呼吸、太陽の日差しの下体を整える。ここまでしないと食事もできない、困憊しきった体は何よりも休息と栄養を望む。時刻は既に昼ごろ、昨日に続き今日も長い時間置物と化していた。ああ、もうそろそろ限界なのかもしれない。


 視界が擦れていく。それでも必死に木に斧を叩きつける。手元が狂って何度も腕を木にぶつけたことか、それでも続けなければ。昨日運んできた木をいくつかに切り分けていく。そしてそれを石の上に。

 大分目測を見誤っていたのか、昨日持ってきた木を全て切り分けた時点でこれからの予定が霧消していった。十分なほどの木々、屋根としてはまぁ満足できるできだろう。これならば屋根の下で丸くなれば雨は凌げる。床木も問題がない、固く尻や背中がすぐに痛くなってしまいそうだが、それは今でも同じことだ。


 すでに日は落ちかけるような時間になっている。今日も雨は降らなかった、俺としては喜んでいいのか悲しむべきなのかわからない。雨が降らなかったことによって必死に隠れる必要がなく、そして地盤が緩くなることもない。しかしながら雨が降らなければ植物は実らない、生育しない、そして生物も繁栄しないのだ。たった1回の降雨で何が変わるか、十分すぎるほどの変化を与えられるだろう。あれだけの雨ならば、地下に数日は水が保つ、そしてもう1度降れば恐らく植物はそだつのだ。週に1回の水でも育つ植物はある、サボテンなどがいい例だ。

 目を擦る。相変わらず世界はぼやけている、朝と全く変わらない。しかしこれは問題だ、目が見えなくなったらこの世界では生きていけないだろうから。味がわからなくなっても、耳が聞こえなくなっても平気だろうが、目だけは不味い。焦る心、それを嘲笑うかのように目の前には件の少女。くすくすという笑い声が聞こえてくる、そんなに俺を殺したいのか。


 ああ、もう少し待てよ。もう少し足掻かせてくれ。俺は確かに弱い、もう弱りきっている。風前の燈火なんかよりもずっと危うい。鼻紙を乳幼児が握りつぶすよりも簡単に死んでしまうだろう。ただ、それでも生き延びたいという欲求に関しては他と肩を並べられるだろう。だから、もう少し待ってくれ。せめて俺が諦めて、動けなくなるその一瞬まで待てよ。

 幻想を掻き消そうとするように大声を上げようとするも、喉から漏れ出るのはかすれた金切声。それですら喉に痛みが走ってしまうのだ。恐らくもう少ししたら音しか出せなくなるだろう。喉はもう駄目だろう、舌はもうとっくに駄目になっている、目はそろそろ駄目になる間際、腕と足はなんとかまだ動く。臓物はどうだろうか、栄養失調でずたずたになっていること受けあいだが、それでもなんとか動いていられるのだから大したものだ。一応食料は摂取しているとはいえここまで持つとは思っていなかった。もっと早くに駄目になってしまうものかと思っていた。

 ああ、それこそ駄目だ、精神が駄目になっては駄目だ。気を強くもて、まだ生きていける。草を食んで栄養も摂っているんだ、生きていけることだろうよ。まだ生きている、大丈夫、これからも生き抜ける。現実という万力に押しつぶされようとしている自分という生卵、それを守るために必死につっかえ棒を入れていく。決して割れないように、壊れないように、そういった願いを込めていく。それでも長くは持たないだろう、卵の殻にひびが入っているのが見受けられるのだから。


 晩飯を啜り、横になった頭の中では何故だかわからないが1つの事柄がずっと動いている。

 からからと音を立てて回る銀の円盤。その縁に切り張りされた連続写真。円盤を回し、中から1部分を見ると写真が動いているように見える装置。何故か小さい頃の姿の俺が装置の中心で写真を見ている。早く早く回る円盤、素早く動く写真、そして時間が経っていく。段々と落ちる速度、動きに滑らかさが失われていく写真。そしてそれがコマ送りになり、そして止まっていく。

 俺の意識は闇に飲まれていく。

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