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11 - A oddly man play with his dream.

 汚れた服をすべて脱ぎ捨てる。垢が溜まりに溜まった洋服は黒く染まり、所々皮膚に貼り付いているような、そんな錯覚を覚える。背中、肩口、腿、服を脱ぐ際にぺりぺりと音がするような。そんなにも、体と同化してしまったような錯覚に陥るほどこの服とつきあってきた。

  全身の服を全て脱ぎ、ありのままの生まれたままの姿になる。こんな世界といえども、それでも遮るもののない場所で全裸になるということにはどうしても抵抗がある。下半身を隠しながらも、脱いだTシャツで全身を擦る。元が薄い青色であったTシャツはもうすでに黒ずんでいる。それを手に巻き付けて体を擦る。腹、背中、腰、体の中でも大きな面積を占めるそれらを拭うだけで布は黒く染まる。今水につけたならばその水は瞬く間に黒く染まることだろう。今Tシャツを両手でもみくちゃにしたならば、そこからぽろぽろと垢が落ちてきそうだ。ただ、水につけるなんてことは出来ない。少女は他にもあると匂わせていたが、俺が使うことを許されるかどうかはわからないのだから。新参者でしかない俺と恐らく昔からここにいた彼らでは地位に差があるのだろう、生存のためのヒエラルキー、それはとても大きなものだろう。少女を見る限り、栄養状態は悪くない。俺では何の抵抗もできないだろう、ここまで衰弱してしまっているのだから。

 黒ずんだTシャツをその場に放り、シャツで体を擦る。足、腕、脇、股間、首筋。Tシャツに比べ汚れていなかったシャツだが、拭ううちにそれも真っ黒になってしまった。ふと足元を見ると黒い粉、消しゴムのカスのようなものが大量に落ちている。全て自身の垢、集めたならば人形でも作ることができそうだ。あぁ、これが全て食料であったならば。食べることはできるだろう、ただそれをすることは忌避感がある。飲尿までして今更何をと言われればそうなのだが、黒い塊を、体から出た塵でしかないこれを食べようと思うほど追い込まれてはいない。生憎と食料はまだまだあるのだ。


 頭をぼりぼりと掻き毟ると、それに合わせ大量のフケが地面に舞い落ちていくのが目に入る。指は髪の毛に所々絡まり、少し掻いただけで脂に塗れる。これは、洗ってもどうしもうもないだろうか。髪を洗うのに都合がいいほどの水を掬うことのできるほど大きな容器は持っていない。小さな缶詰の缶か、ジッパー付きのビニール袋か。

 ビニール袋で井戸の水を掬い、頭から被る。温まった体に冷たい水が染み渡る。汗と垢、何層にも何重層にも積み重なった壁に阻まれていた皮膚が新鮮な空気に触れ、そして冷水に触れ歓喜する。ひりひりと自己主張し喜びを表す肌、気分がそれだけで楽になったような。

 皮膚が閉じ込められていた、それは恐らく俺の気分すら閉じ込めてしまっていたのだろう。長々と続いている頭痛もある程度はマシになったような。黄色の肌は擦られた結果真っ赤に染まり、ただ先ほどまでの汚らしくぬるぬるとしたものよりかは確実に人間味のある色に。

 ビニール袋を使うこと5回、6回、頭もある程度はさっぱりとしてきた。依然として指に絡まるような脂っぽさは取れないが、これはもう仕方がないことだろうと割り切る。ぽたぽたと雫を垂らす髪の毛、それの水を切る。頬から人中、顎にかけて繁茂した髭はどうしようもないだろう。見た目は汚らしいが、少しは許してくれるだろう。

 スーツケースから新たな服を取り出し着込む。洗濯済みの綺麗な服、それを着るだけで気分も清涼なものへと変化する。体を洗い、衣類を清潔にしただけでこうまで気分が良くなるとは。知らず知らずのうちに不衛生な、汚れたものは俺の心を蝕んでいたのか。


 「着替え、終わったぞ。」


 喉を震わせ大声を上げる。今出せる最大限の大きさ、それでも日本にいた頃と比べたならば、蚊の鳴くような音量だろう。それでも恐らく昨日、いや今朝に比べると格段に大きな声。水を飲んだことにより、渇き過ぎた結果まるで焼けるような痛みと熱を持っていた喉が潤い、回復したということが大きいだろう。

 塔内部をくるくると見回す。少女はどこにもおらず、ただただ荒廃した建造物の亡骸の内部に突っ立っていることしかできない。よく見れば、細かな彫刻が内部に施されていることがわかる。全く気にしていなかったが、見たところ何か動物をモチーフにした彫刻が天井付近に一定間隔で並んでいる。大部分が砕け、風化し、元がどんな動物であったのか判別することはできないだろう。無事に残っているものを見つけたが、知識と照らし合わせても何の動物だかわからない。この世界特有の動物だったのだろうか、それとも空想上の生物だったのだろうか。


 「見てくれはマシになったね、お兄さん。それにしてもよく生きていたね、こんな世界で。」


 彫刻を見ていた途端、脳内に響く声。振り向くと、先ほどと寸分違わぬ場所、らせん階段の中ほどに座ってこちらを見ている少女がいた。服を着替えたのだろうか、見ているだけで暖かくなるような、燃える焔のような赤いワンピースを着ている。そういえば、火というものをどれだけ見ていないのか。文明の最初の発明、人間の英知の結晶とも呼ばれるほど重要な“火”、それを自由に使役できるようになった結果人間の繁栄に繋がったのは周知の事実だろう。

 ここにきて1週間、水や植物、空気や地面など、生物が生存するために必要な様々な要素が少ないながらも存在しているのは確認した。故にどこかには生物がいるのだろう。こんな荒廃した塔の内部に生きた水源があるのだから、どこかにもっと大きな水源が、そしてそこには森林、生物が繁栄しているのは簡単に想像のできる事実だろう。ただ火だけは見ていない。スーツケースにはライターやガスボンベなんてものはなかったし、火打石を見分ける能力も、手作業で火を点けることのできる技術などもってはいない。故に火とは無縁な生活を過ごしてきた。ただ、夜風が体温を奪っていくとき、周りに何もない星明りの中の荒野で独り座っているとき、汗をかいて体が冷えた時、そういったときに火に対する欲求は感じてきた。それに、火さえあれば狼煙を上げることもできる。それを見て誰か生きている人がこちらに気付いてくれるかもしれないのだから。


 「ああ、食料はあったんだ。この前の豪雨で生憎川がなくなってしまって、それで水分を求めて動いた結果ここに辿り着いたんだよ。ひとりなの?」

 「ふーん、食料、ねえ。私たちは沢山持っているよ?ほらこっちにおいで。」


 くすくすと笑いながら、少女は首を傾け手招きを。沢山持っている、何を、どんな食料を持っているのだろうか。缶詰か、それとも栽培した野菜か、家畜でも飼っているのだろうか。


 すん、と鼻が反応する。久しく忘れていた香りを、鈍っていたはずの鼻が目敏く、いや鼻敏く嗅ぎ分ける。肉が焼けた匂い、デミグラスソースのこんがりとした香り、鼻が脳に伝えるのはハンバーグの香り。俺が一番好きだった食べ物、ハンバーグ。小さいころは母親に毎日せがみ困らせていたっけ。少し大きくなって友人や1人で外食をするときも必ず食べていたっけ。そういえば、ここに来る前日の食事もハンバーグだったっけ。

 懐かしく愛おしい匂いは、少女のほうから漂ってきていた。見ると、口を大きく歪めくすくすと笑う少女の手には、何時の間に出したのだろうかハンバーグの乗った皿があって。湯気を立て、その芳しい香りを周りに振り撒く食物。出来立てだろうか、これだけ離れているのに脳に伝わるその香り、その見た目。嗚呼何と美味そうなハンバーグだろうか。少女の掌よりも大きなハンバーグ、付け合わせはブロッコリーとジャガイモだろうか。


 「ほら、おいでおいで。食べたいんでしょう?」


 くすくすと笑う少女。どんどん大きくなっていく笑い声、蒼く澄み切った瞳からは優しげな光が漏れている。1歩、1歩、勝手に進んでいく足。止めようという気は更々無い、すぐに、今すぐにそれを口に入れたい。

 ゆっくりと踏み出した足はいつの間にか早足になり、そして駈足になる。出せる限りのスピードをだし少女のもとに向かう。笑い声は脳に反響し、香りは鼻を狂わせる、口の中は唾液で溢れ、視界にはそれしか映っていない。


 そのまま少女が手に持つハンバーグを抱きしめるように、少女を抱きしめるように飛びつく。柔らかな少女の肢体の感触と、少女の悲鳴と、皿の割れる音と、ハンバーグの香りと、ほのかな熱に包まれた気がして……


 刹那、顔面を、足を、腕を、全身を痛みが襲う。視界は一瞬黒く染まり、耐えがたい激痛が体を支配する。


 「痛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 そのまま下にずり落ちる感覚、そして地面の上でのた打ち回り、転げまわる。何秒か、何分か、痛みがなんとなく治まり、目を開く。全身が鼓動と共に脈動し、何とか立ち上がる俺の目の前には石でできた螺旋階段が。

 少女の姿はなく、飛び散った皿も、ハンバーグも存在しない。それどころか、螺旋階段には誰かがいたような痕跡は一切なく、そして隠し扉になりそうな隙間さえも存在しない。

 ぽっかりと望む空を見上げ、へたりと座り込む自分のぽっかりと開いた口から漏れてきたのは、けらけらという空虚な笑い声だけだった。

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