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10 - The fragile kid play with me.


 目を擦りもう一度確かめる。あぁ、たしかに少女だ。50メートル以上は離れた階段に座る少女。年齢はいくつくらいだろうか、10代かそれよりも小さいか。らせん状になっているであろう階段の中ほどに座り込み、こちらをじっと見つめている。まるで新緑のような緑色のワンピースを身に着けた少女。肌色は白く、だからと言って血色が悪いわけではない。髪の毛は長く、胸元まで無造作に下ろした薄く澄んだ水色の髪の毛が風になびいている。どうやらあの螺旋階段の上空から風が吹き込んでいるのだろう。その逆ならば髪の毛はまた違うなびき方をするのだろうから。


 「お兄さん、こんなところで何をしているの?」


 くすくすと笑い声が聞こえる。空に声が伸びてしまっているのだろう、くぐもった印象は全く受けない。美しく澄んだ声、泉から漏れ出る清涼な水を何故か心に連想させるような。かなり離れた場所に座っているのに、その声は減衰と言うものを感じさせずに頭に反響する。1週間、人の声を全く聞かない日々を過ごした俺の頭に響く音、何と綺麗な言葉だろうか。風が吹き付ける音と自身の歩く音、そして生活音、それらのみを聞き続けてきた、それらのみしか聞くことができなかった。そんな日常では全く感じることのできなかった音に俺の心は泡立つ。

 あぁそういった無機質な音と声という有機質な音はこうも違うのか。抑揚のある、感情の籠った音はこれだけ違うのか。そういった感情が鎌首を擡げる。何故だか酷く喉が渇く。


 「お兄さん?」


 くすくすと笑い声が塔に響く、頭に響く。心が渇いているのか、喉が渇いているのか、心に染み込む人の声。あぁ、俺はこれにも飢えていたのか。首をかしげる少女を見る、儚く今にも消えてしまいそうな少女、まるで霞でもかかったかのように一瞬で少女の姿が滲む。

 心がざわめく、行かないで、独りにしないで、藍色の感情が心を埋め尽くす。両頬を伝う水分を感じ、視界を歪めたものが涙だと気が付く。声だけで、姿だけでここまで心が揺さぶられるとは、今までの生活がどれだけ精神を傷つけてきたのだろうか。そうだ、今俺は問いかけれらている、答えなければ。だから少女は首をかしげているのだろうし、あまりにもじっと見続けていては不自然だろうから。


 「お兄さん?」

 「あぁ、ごめん。人の姿なんて久しく見ていなかったのだから、少しばかりボーっとしてしまったよ。」

 「お兄さん、どうしたの?こんな世界で。」


 此方の声は届いている、彼方の声も届いている。意思疎通は出来る、日本語を話せているのだから当然だろう。嗚呼我が母国語、この死した大地でもう一度聞く日が来るとは夢にも思っていなかった。それならば話が通じるだろう。口を歪めて笑う少女に問いかけを。

  何故こんな場所に1人座っているのか。年端もいかぬ少女が1人生活するにはこの世界は過酷過ぎる、周りには家も存在せず、水も食料も存在していない。こんな世界に少女が1人なはずはない。この世界で生まれたのあらば、彼女以外の人が必ずいるはずだろう。無から有は生まれない、猿から人は生まれない、世界の理はいつも1から1が生まれることだけ。0から1が生まれることは決して起きえることではないし、1から2が生まれるなんてこともない、1から0になるなんてことは起きえるのだが。ただもしも、この世界で生まれたのでなければ彼女は1人で生きていたことになる。それにしては服が綺麗すぎるのだ、髪が綺麗すぎるのだ、姿が穢れていなさすぎるのだ。染み1つ見えない服、破れや解れもあるはずがなく、そんな細部まで見ても蒼く澄んだ目が絶望に染まっているなんてこともない。

 どちらにしても、少女は日本語を話している。日本語を話す文化圏に住んでいる、言語は消えてなくならないものだ、使う人がいさえすれば。ならば、彼女が言葉を話す土台だってあるだろう。この世界で生まれたと仮定したならば、日本語圏の村があるだろう、もしかしたら街かもしれない。この枯れた世界、一面見渡しても褐色の大地と空、赤茶色の山しか見えないが、どこにあるのだろうか。あゝ、地下という選択肢を忘れてしまっていた。地下ならば、地上よりも冷涼だろう、地上よりも湿潤だろう。日の光はないが、地下に住めるのだ、それをカバーすることのできる技術力はあるのだろう。つまり、高度な文明なのだ。


 「気がついたら、ここに居た。本当なんだ、空港行きの急行で転寝をしたんだよ、そしたら起きたらこのザマだ。電車と俺だけ、他には人っ子1人いやしない。食べ物はないし、水もない。それでも小川を見つけて生き延びていたんだ、缶詰だよ。そうだ!缶詰食べるかい?もう数は少ないけれど、食べていないだろう?あぁ、ごめん話がずれてしまったね。川があったんだけど、この前の大雨!大変だったんだ、其方は被害とかないのかい?それでさ、川がなくなってしまったんだ。それで仕方なくこっちに歩いてきて見たんだ。遠くから見えたからね、これが何か知っているか?何かの遺跡?住んでいるの?君は1人かい?それとも家族といるのかい?皆はどこに住んでいるの?まず人はどれだけ生き延びているの?何があったの?…ッごめん、嬉しすぎて、人に会えるとは思ってなかった。しゃべり過ぎたね。」


 壊れたラジオのように、トリガーを押しっぱなしにしたマシンガンのように、彼女に問いを叩きつけてしまう。そんなに深い内容を聞かれているわけがないのに、べらべらべらべらと境遇を説明してしまう。そして息を吸って気が付く、こんなにも言葉をぶつけてしまうなんて、突然見知らぬ人にこうも質問攻めにされたら辟易していまうだろう。平気だっただろうか?嫌われてしまっていないだろうか、面倒だと思われてしまっていないだろうか、どうか頼む。

 ここまで考えて、あぁ、俺は本当に人に会いたかったのだな、ここまで弱っていたのだなとも思う。あまりにも過酷な現実を突き付けられる、かつよそ見をすることも許されないということがここまで人を弱らせるなんて。精神安定剤となりうる物もない状況、ついでに心の支えからも切り離され、世界に押しつぶされそうになってしまった俺に射す一筋の光明、それに咬み付かんとばりにしがみ付く。滑稽な図だろう、子供を質問攻めにするなんて、いくらなんでも無礼が過ぎる。

 頭に響く笑い声。少し身じろぎをしつつ、くすくすと少女は笑う。まるで世界から切り離された美のように、決して絶世の美とは言い切れない少女だがそれでも灰色の世界から見ればそこだけ浮いている。まるで質の悪い3DCGのように、黒いキャンバスに垂らした白の絵の具のように、彼女の周りの色は崩れて汚れて見える。


 「大変だったの?ふふ、そんなに焦ったって何も変わらないよ?」


 少女は喋る。その内容に胸を撫で下ろし、嫌われていなかった、よかったと心から安心する。あまりに一気に話し過ぎたのだろう、少し落ち着いてもう一度問おう。


 「すまん、なんとか落着けたさ。近づいていいかい?何もしない。ただ遠すぎて話しづらいんだ。」


 こんなに遠くては、一言一言向こうに告げるのでさえ声を張り上げなければならない。弱った喉にはそれは辛いことであるし、体力もない為体に負担がかかる。それに折角ならばもっと近くで話したい。言葉を交わす人と人との距離が互いの心の距離、関係の親しさを如実に表している。確かに見ず知らずの他人だが、こんな死した大地に共に生きる人だ、もう少し近づいてもいいだろう。せめて3メートル、そのくらいまで。


 「むしろなんでこないの?あ、ただ、折角なら体を洗ってよ。話すことは別に構わないのだけれど、その土まみれの垢まみれの汚れた服、見てくれが非常に良くないわ。それに、ここまで離れていてもね、少し汗が、ね、その水使っていいから、別に他にも水はあるのだから。」

 「あぁ、すまない。じゃあすぐに洗うよ。」


 配慮が欠けていた、いくらなんでも少女は少女だ。うら若き乙女に汗まみれの臭く汚い体で近づくなんて馬鹿にするにもほどがあるだろう。例え女性でなくても失礼だ。


 「うん、わかってくれてありがとう。じゃあ私は見ないように離れているから。少しだけ目を瞑ってほしいな。良いよっていうまで。」


 言われた通りに目を瞑る。恐らく隠し扉か何かで違う場所に行くのだろう。部屋か、家か、どちらにしても部外者には、危険人物かもしれない人間相手なのだ、警戒しても問題はないだろう。

 了承したとの声を掛け、目を瞑る。そして2秒ほど、良いよとの声が脳に届くと共に目を開けると、既に彼女の姿はどこにもなかった。座っていた場所でさえもその痕跡はなく、あぁ、あそこに扉があるのかもしれないな。

 どちらにしても、だ。まずは言われた通り体を洗おう。服を変えよう。清潔にしているということは人間としての最低限の嗜みであるし、衛生面でも利あって害なしだ。

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