賢くなければ小説は書けないのか?
詩は、極端にいえば、バカにでも書けます。
バカという言葉が悪ければ、たとえば子どもでも、びっくりするような面白い詩を書いていたりします。
世界をまっさらな目で見るような、『言葉』に基づかない『感性』で描かれた詩の世界は、むしろバカな部分を多くもっていたほうが、より奥深くなるようにも思えます。
今朝、ある小説を読んでいて、ふと思いました。
『この小説、面白い。どんどん読ませてくれて、それでいて流し読みなんか決してさせず、興味をもって一語一句を丁寧に追わせてくれる』
これはなぜなんだろう?
考えました。
作者さんが賢いからだ、と結論が出ました。
読者の思考を導くような書き方がしてあるんです。
しかも私の興味をそそる知識が散りばめられていて、作者さんを信頼させてくれる。
たとえば子どもにこれは書けません。
感性だけでこれは書けるものではなく、高度な知性と人生経験がなければ不可能です。
たくさん本を読んだ人間だからこそ書ける、上手な小説とはそういうものなんだなと思いました。
ただ、『過ぎたるは及ばざるが如し』──
これがもし、賢さが過ぎたら面白くない。
自分の知識をひけらかすために書かれた小説には、少なくとも私はうんざりしてしまいます。
面白く読ませてくれるひとって、めっちゃ賢いんだけど、そこに抑えが効いてる──そんな気がします。
私は物知らずで、世間知らずで、昔は読書の鬼みたいになってた時もあったけど、漫画のほうがよりたくさん読んでるし、この10年ぐらいは数えるほどしか活字の本は読んでいません。運送業に従事しているからといって、その経験を活かして小説を書くスキルは持ち合わせていません。『薬剤の仕事に携わっていたからその知識を用いて推理モノを、しかも後宮を舞台にして描く』なんて賢さは、私にはとてもとても真似できるものではありません。
小説を書くにおいて、私に一番足りないものは何か?
『賢さ』だなぁ……と、痛感しました。
流行りの異世界恋愛が書けないという弱点もあるけど、賢かったらそんなのサラッと研究して、いとも簡単に、まるでAIのように出力できるような気がする。
とにかく、小説を書くためには賢くなければいけない。
感性だけでは小説は書けない。
面白い小説は、作者の知性に余裕がなければいけない。
そんなことを今朝、思ったんですが──
合ってますよね?




