恩情
高丸と空、二人が桟橋を去ってすぐに、後を追うようにしてマキスもまた去った。それから【フランチャイルド】を名乗る4人は辺りを探索するが、何かそれらしいものは見当たらない。居たのは黒猫が一匹。それは近所の医者が可愛がっているという【グラッチェ】という名の猫だという。悪戯好きで釣り人をよく困らせるが、猫とはそういうものだとして誰からも愛される若い猫だ。
ひとしきりグラッチェを撫で回した4人組は甚く極めて超絶ホクホクして、探索は終了する。占い師は、『何か居る』とそう言った。曖昧で具体性の無い言葉だが、これをハズレたとするには難しいものだ。
何かは確かに居た。
それは間違いない。そしてそれは確かに奇特で、見慣れぬものだった。疎いマーシーは端的にこう一蹴する。
「あの溝鼠みたいな奴の体臭は確かに化物みたいだったな」
それが勘違いを齎したのだろう、と。マシルスもまた頷いた。
「まぁ何も居なかったなら良かったね」
「そうだな。ま、そういう事だからおっさん。明日からも釣りを楽しめ」
サウジはまだ、納得は出来ていなかったらしい。占い師を一瞥すると、彼女には確信がある。
「私の言った何かは、あの二人の事で間違いありません。此処に、バケモノなんていませんよ」
彼らが去った後に身体から抜け出す緊張感が迷いなくそう言わせていた。しかし、あの男は言った。
『死相が出ている』と。
「…………」
(無理だ……)
あの男の顔が脳裏に過るとバクバクと心臓が弾ける。迫り来る危険。確かに存在した本物【占星術師】という存在が自分を照らせば簡単に明るみに出る贋物という本性が行い続けてきた悪行。詐欺の実態。それを、あの男は目の前に立つだけで突き付けているようにすら感じていた。そして、それは一人だけだとは思えなかった。きっとこれからもああいう人物が現れては、今の立場を脅かすだろう。
「占い師さん的には、どう?」
「……え?」
マシルスが顔を覗き込んでいたのをずっと気付かなかった。彼らの話し声は確かに耳に届いていて、それがマシルスを目の前にして漸く意味として繋がる。
『僕達に死相が出てるって』
『気にすることじゃねぇって。までも、マシルスはまだ俺達の実力知らねぇしな』
『注意する事に越したことは無いけどね。実際、連携だって明日が始めてな訳だし』
『だな。なんでも、魔物の群れが出たって噂は本当らしいし。危険な任務にはなる。俺等には丁度いい。今日は宿でゆっくりしようぜ?』
『ねぇ、占い師さん。……………占い師さん? ねぇ』
『占い師さん的には、どう?』
「あ……。そ……そうですね……」
窮地ほど、人間は頭が回るものだ。頭にチャリンと音がした。野盗が逃げる足音だ。
「明日にでも、またご依頼下さい。此処ではアレですし、バケモノ話も一段落付いたところですので」
マシルスは小金持ちだ。冒険者として名声もあり、実績もあり、噂によれば都市部に別荘もあるという。その真偽は分からないが、少なくとも彼の財布は膨れている。ところがそれは、リッタの想像以上だった。マシルスは懐から財布を取り出して、分厚い札束を広げてリッタの手の中にそっと握らせる。
「君も何かと入り用だろ?」
下唇を噛み締めるほどの恐怖、罪悪感が溢れ出す。そして思い至る。
「…………」
(逃げよう……)
仕事からではない。国からだ。これだけの大金があれば都会に住む事も視野に入る。仮にまともな家に住めなくとも、この張り裂けそうになる気持ちから遠ざかる事が出来る。世の中には、靴磨きでも、チラシ売でもマッチ売でも、沢山の仕事があるのだから。
これが最後だ。リッタは占い師として座り込み、カードを広げてそれっぽい仕草をしてみせる。その、まるで誰も信じていないかのような冷淡な視線を背中から感じ取りながらも、目の前のマシルスは期待している。
「……いえ。明日の冒険はきっと成功し、これからの功績に繋がる。そう出ています」
本当に、嬉しそうに、優しそうに、安堵の息をついて静かに「有難う」とマシルスは呟いて、膝を叩いて立ち上がった。
「行こう。皆」
「ああ」
「マシルスくん、意外と小心なの?」
「違うよ。僕、結構占いが好きなだけ。昔からお世話になった人も多くてね。それじゃあ、占い師さんも、気を付けて帰ってね」
朝の日差しが強まる時刻。リッタの足取りはとても重く、立ち上がる事すら出来ない。
「行こう……。ミハンのところ」
母のような存在に感じていた。話し方、占い方、町の歩き方、買い物の仕方、あらゆる事を彼女から学んだ。マキスの母【アリーヌ】よりも接しやすく、いつしか砕けて話すようになった。彼女なら分かってくれるだろう。そしてもしかしたら気付いているかもしれない。だからきっと頷いてくれる。そう信じて立ち上がった。
町の中央を歩いた。人々はまた金を稼ぐ為に必死になった開店準備を初めていて、忙しく働き始めた頃だ。声が聞こえた。
「すみません! すみません!」
「?」
「ねぇあのさ。アリーヌさんさ。これ何度目? これ幾らになるか分かってる? この魚。これじゃあ誰が買うの? 分かってる?」
視線を向ける。そこには二人の女性が向かい合い、声を上げていた。
箱に詰められた魚が10はあるだろうか。地面に散らばって砂に塗れてしまっている。それを咎められるのは、アリーヌだった。何度も頭を下げながら、ひ弱な身体を労りもしない店主が手酷く叱っている。
いつか、恩を返さなければならない。そんな責務の重圧で吐きそうだ。もしも今、この懐の金があれば何かが変わるかもしれない。だが、その気持ちが傾いてしまっている。
ギラギラのカードが好きだ。
いつも気怠そうだがそれが接しやすいミハンが好きだ。
ミハンと、一緒に暮らせたら。
そんな気持ちが、涙ぐむアリーヌから目を逸らさせた。下唇を噛み締めながら、リッタは路地に消える。




