門出
その問題は、想定よりもずっと深刻だった。
「はぁ……はぁ……ひぃ……ひぃ……」
高丸の足は歩き始めて間もなくして限界を迎える。まだ村を出るに至らず、トンネルまでまだ100mほどの距離を残して膝を落としてしまう。
「ほらぁ! 肉食ったろお前ぇ!!」
軽くその尻に足の甲を押し当ててみるがビクともしない。とは言え、肉を食って突然体力、筋力が身に付く訳でもなし、そもそもの基礎的な筋力が無ければこうもなるのも頷けた。空は一度、嘆息混じりに首を振って、高丸の前に出て背中を見せる。
「ほら」
「あん?」
軽く背中を屈めてみせる。
「おぶってやるから」
「…………」
此処でもう一つの誤算が露呈する。震える足で歩み寄り、頭に手を置くと空の肩を踏み付けにして前に跳んだ。
「俺はそんなにチビじゃない」
フンッと鼻息を鳴らして虚勢を張ってまた歩き始めるが、まず根性が無い。足が縺れて一瞬で地面に横たわって仰向けになる。顔は完全に旅を諦めてしまっている。
「…………」
そんな彼の顔に影を被せると、また更に苛立ちを覚えるらしい。
「……」
(さてどうしたもんか……)
「お」
「?」
「そう言えば、俺が船を停めた砂浜に、ボラードがあったぞ」
「ボラード?」
「船と陸をロープで繋ぐ為のやつ」
「……ああ」
「近くに腐りかけたイカダもあった。多分、こっちで人間が作った者だ。向こうから渡ってきた冒険者かもしれないし、君の彼女さんが海へ出るのに作ろうとしたのかも知れない」
「…………」
空の発言に言葉を失う。それは見事に高丸の弱みを貫いて、そこに更に追撃するように「見たら何か分かるんじゃないの?」と確実に高丸の意思を鷲掴みにした。
「…………全く人使いが上手いよ君は」
捻くれ者の心が表情として現れた時、仰向けの身体を転がして、重い腰から身体を起こす。のそのそと空の背中に回り込むと、倒れ込むように背中に乗った。
「揺れは少なめに頼むよ」
「任せろ」と、さも自信有り気に言うが、それは高丸の想像よりも遥かにエグい行動だった。空は、一気に膝を落とした。それを体感的に理解した。
「おい?」
力む足はまるで大木の如く硬く膨れ、空はトンネルを通る事をせず山の頂に向けて跳んだ。一瞬、「ぎゃっ」という声が聞こえたが、そんな一瞬の声は耳元であっても空には届かない。
「バ!! 君!! ちょっと!!」
そんな声は空の卓越した聴力を以てしても届かない。
「馬鹿!! ヴァカ!! 君!! 馬鹿!! は!? なに!? 何処!! なにして!!!」
空を飛んでいる感覚がある。強い風を頬に感じて肉が裂けてしまいそうだ。そうかと思えば内蔵が上に昇って口から出てしまいそうになるほどの浮遊感だが出てくるのは胃の中の酸っぱい汁と、大きな肉塊だ。
「うぶっ!!」
「おい! 俺の背中で吐くなよ!?」
こういう音だけはちゃんと聞こえるらしい。そしてまるでそれを諌めるように、バチバチと植物が頬をビンタする。それも猛烈な往復ビンタだ。その後また、浮かび上がっていた内臓が下に落とされると、枝の弾性と膝の屈伸を合わせ高くに飛ぶ。
地面に降り立った時、それでも内臓が上下している感覚に胃の中の物が全部砂浜に染み込んでゆく。
「うおぉぉ……え……ば…………ば…………か……きんんんッみ…………ばくぁあ……」
高丸は海を体感した事が無い。何処からとも無く磯っぽい風を感じた事があってもそれはすぐに空気に溶けて気の所為なのかどうなのか分からない幼少期。夢に視る事も多かった。そんな海というものが目の前にありながら、人の手も入らぬ美しい砂浜がありながら、感慨を抱くどころではない。それなのに運び屋は大きく背伸びをして自慢げだ。
「どう? 良い空の旅だったろ?」
「はぁお゛ぇ……う゛……ぶぅ……。き……君は……君はな……」
少しだけ、意識が平静を取り戻しつつある。するとそれはもう大地が愛おしい。きめ細かな砂浜を手のひらで振れると肉に埋まる小さな貝殻のクズから強い磯の香りがした。此処で漸く、海の音が耳に入った。
「広がってるのか……。海が」
「ああ。さぁ旅の始まりだ」
「良いか空。君はな。砂浜。大地を目指せ。もっとこう広くて、逞しくて、安定感のある大地になってくれ。それが勇者ってものだ。俺はそれまで君の背中には乗らないからな」
「なら体力を付けてくれ。あ、あっち。イカダがあるよ」
「ムリムリムリムリムリ。動けないって……。もうムリ。ていうか、無理だろ。女の子が、此処まで一人でやって来て? イカダを作る? そんな事が出来る女の子はこの世には居ない」
「出来ると思うが?」
「ああそうか分かった君は化物村の出身なんだな。オーケー理解した……。無理だ……。動けない……。君の船は揺れないんだろうな」
「波に揺れるのが船の楽しみ方だろ?」
「求めているのは楽しみではなく、安心感だ違うか?」
「旅を楽しめ。そうじゃないとやってられない」
「……口八丁の捻くれ者め」
「じゃあ、乗る? 船、ていうか、乗れる?」
「乗る……ちょっと……。は!? イカダじゃないよな!?」
「違う違う!! 分かるだろアレ! ちゃんとした船だよ。手作りだけど。気持ちは籠もってるよ」
「き……君……手作り……? 気持ち? バレンタインじゃないんだぞ?」
襟を掴まれた。そのまま砂浜を引き摺られて、空は小さな船の縁に手を掛ける。ミシッと音がした。
「は!? おい今の音なんだよ」
「もううるさいなぁ……。進めないだろ? 大丈夫だよ俺はこの船で此処まで来た」
「二日くらい滞在したろ。もう海風で腐ってるんじゃないか?」
「大丈夫。俺、こう見えても大工仕事は得意」
引っ張り上げようと更に力を籠めるとまたメキメキと木が軋む。
「待て。待て待て待て待て。占う」
「え? あぁはいどうぞ?」
「…………吉ってやがる」
「はい乗ろー!!!」
抱き抱えられて、そのまま飛び乗った。何処に転がって移動してもメキメキと音がするし、木としては古い物が使われているようだ。床となっている板と板の繋ぎ目に妙な隙間もある。
「どれくらいの旅だ?」
「夕方には」
「…………俺は泳げないからな」
漸く高丸は船の中で安置を見つけて蹲る。空は嘆息一つ、櫂を握りしめた。
「……よし」
空にしてみれば、漸くだ。漸く。漸く、妙に永い時間に感じていた。妙に高丸という存在との関わりが身体に癒着しているとさえ感じるくらい永い時間を此処で過ごしたような気分。晴れやかだった。
「行こう」




