危惧
腹を壊すなど余計な心配だった。どうやら胃袋に棲み着くドブネズミは高丸の想像よりもずっと図太かったらしい。その小さな身体にどうやったら入るのだろうかと疑うほどに彼は食べ続け、明らかに血色を取り戻してゆく。
食べ終わると彼はシンと静まったまま死んだように俯いていたが、股の間に置いた手のひらをじっと見つめて、親指が筋をなぞる。空は高丸の身体に身を寄せて彼のこめかみの辺りに頭を押し付け同じ場所を見つめる。
「何か見えるの?」
「……ああ。なんでも視える。手相ってのは、あらゆる世界が広がってるんだよ」とか訳のわからない事を言うが、それもまた占い師であるとただ聞き流していた。
「出会いも、別れも、進むべき道も」
「……そう? 俺には?」
そんな子供っぽい声でねだって手のひらを高丸の手の上に重ねた。高丸はその手のひらを下からすく上げて支えて、空の手相をなぞる。すると座り方を直して僅かに口角を上げて笑う。少しだけ、彼の性格に理解を深めることが出来た。この笑い方は、悪い事を言う時の顔だ。
「太い生命線に? 金運は無いな」
「えー…。しぶとく生きるって?」
「そうだな。ただ、幸福の相はある。君は、貧相でもそれなりに良い人生を送れるよ」
「……そういう時は捻くれないんだな」
捻くれたつもりだったらしい。だから更に笑みを浮かべて手相を掻く。
「俺は後ろの方で金のアクセサリーとローブを纏って玉座に胡座を掻いて君を笑うんだよ」
「そっか。俺はそんな貴族な生活ゴメンだね」
「そうか?」
「大人になったら田舎でのんびり、野菜でも育てて暮らしたいよ。金持ちなんて碌な事は無い」
「…………そうか。悪くないな」
「最高だろ?」
「……そうだな」
心の何処かに、そんな二人で生きる光景が視えたがそこに、愛する者の姿が視えなかった。
完全に夜の帷が下りきった頃だった。空には点々と星が煌めいているが、月は出ていない。こんな夜は、魔物がよく動く。地割れのような遠吠えが地面を揺るがした。横たわる石がカタカタと怯え、木々が軋み危険を伝える。
「!?」
高丸は至って冷静だった。
「いつもの事さ。気にするな」
「これがいつも?」
忘れていた事実だ。此処は【魔王の領域】 人間が未だ禄に開拓する事も出来ない未知の土地の玄関だ。まだ見ぬ、誰も戦ったことの無い強力な魔物が潜んでいる可能性など十分にあり得る。そんな地で呑気に夕食を摂っていた。気付けばいつ背後を取られていても不思議ではない状況に、身体が震える。
鳴り響く轟音は際限無く、何処からともなく二人を取り囲んでいるようだ。もう既に、敵は此処に人間が居る可能性を理解しているかのようでもある。
「心配するな。此処には何者もやって来ない」
「……明日の朝には速攻出ような」
「そうだな。早めに休もう」
夜。魔物の鳴き声は延々と響き続けていた。高丸が何処からか取ってきた布団に包まって耳を塞いで眠るその横で、高丸は一睡もしない。空の頭を撫でて、その手のひらで耳を覆い隠してやる。例え強かろうとも、心までは、どれだけ年月が経とうとも人間は常に星の導きを求めているようだ。
「問題は……、明日……、どれくらい歩けるかだな……」
魔物の遠吠えよりも遥かにずっと怖い声は確かに空の耳に届いてしまった。
「はあ!?」




