鬼没
誤算はあった。それもかなり致命的なものだ。どれだけ欲しい物が自分の元にあったとしても、それは柵があればまるで手に入れたとは言い難いものだ。婚約という、小さな村にある帳簿に軽く記録されただけ。それが極めて軽薄なただの紙切れにすら見える致命的な誤算。
二人がまだ想い合っているという事実だ。これを断ち切るには、あの男を適切に処理をするしかない。閉じ込めるとか、監視とか、そんな生温いものでは二人の心は離れない。しかし、それは黒蜜にとって自分自身と一緒にいる理由もまた断ち切られる事を意味している。そうなれば、彼女はもしかしたらこの村を出てしまう可能性すらも時折示唆する。
黒蜜の神出鬼没っぷりはまるで衰える事は無く、夜になれば突如姿を消し、朝になれば突然現れあくびをしながら縁側に寝そべっている。村を練り歩いても彼女を探し当てる事は出来ず、当然とばかりに高丸は毎日のように泣いている。会っている様子もない。
なら、閉じ込めてしまえば良い。
恐ろしかったのは、【悪路王 黒蜜】 彼女は強かった。それこそ、恋をも諦めてしまいたくなるくらい、完膚なきまでに行われる占法は、二度と彼女と対峙したくないと思わせるほどだった。王という立場も危ぶまれ、父も、母も誰も勝ち得ない実力を有している。一体どこでそれほどの実力を身に付けたというのだろうか。知れていた。これをねじ伏せ我先に自分の許婚とした者の実力が恐ろしくてたまらない。彼女が掻き立てればこの村の力関係は簡単に覆るかもしれない。彼女は言った。
『閉じ込めるなんて考えないでね。高丸のスイッチが入るわよ』
最も痛い時に、最も痛い場所を、最も痛い言葉で引っ掻き回してくる。下唇を噛み締めて、血が出るほどの屈辱があってもどうする事も出来ない。彼女は立ち上がり、また姿を消した。
『私の機嫌を損ねる事は、今はまだ眠っている鬼を目覚めさせるスイッチだと思いなさい?』
鬼はその時を待っていた。まるで、金丸と黒蜜。二人の占いが合図のように高丸は二人の気配、二人の占いの結果にもまた気付いた。暗闇の中に、彼女の所在がハッキリと視えたのだ。高丸は歩いた。そこは、あの場所。
木の根が絡み合いドーム状を作り上げ、二人の時間を護っていたあの場所に、彼女は居た。
『ああ……。やっぱり来たんだ』
『黒蜜……』
『アンタね……。家に居ないとアイツらにバレたら、殺されるわよ』
『大丈夫だよ。バレない』
『ハッ。下らない。アンタを捨てて正解だったわ? 金丸はいい人よ? 国の為に動ける立派な人。良い服も、柔らかい布団も、美味しいご飯も食べられる。アンタみたいなゴミクズと一緒にいるよりよっぽど良い暮らしが出来るじゃない』
『刹那的だ』
『いつ覚えたのそんな言葉。アンタの占いなんて全部嘘。刹那的かどうかなんて、それは私達、夫婦二人で決め、維持していくものよ。アンタの言葉なんて聞いてない。私は私の占いを信じ、彼と』『ホントに視えた? それ』『ええそれはもう。素晴らしい未来だったわ』
『じゃあ、試してみる?』
ヒュラッとした生温い熱を帯びた瘴気が舞ったが、黒蜜はカードを握る高丸の手を弾いた。
『いい加減にしてよ。馬鹿で阿呆で変態で? 捻くれ者のアンタの占いなんてね、大きなお世話よ。誰もアンタの言葉なんて信じない。誰もアンタなんぞに頼んでない。私は金丸と生きて行く。もうそう決めたのよ。仮にそこに絶望が待っていようともね』
『………………』
『それだけ言いに来たの。じゃあね。出来損ないのドブネズミ。アンタはこの国の隅で野垂れ死ぬのが定めよ。その時は、まぁ昔の好で私が占ってあげるわ』
高丸を押しのけて、背中を合わせたその時だった。高丸は伝える。
『……年後』
『はあ?』
『4年後だ。この国は終わるよ』
『……何言ってんの?』
『この村に、いずれ病魔が襲ってくる。きっと雨だ。雨と風が病気を運び、最初は十日に一人。人が死ぬよ』
『……ッアンタってさ』『口に布を当て、出来るだけ清潔を保つこと。……それだけだ。俺は、諦めてないから。君との暮らし』
『……フンッ』
あれから高丸は、暗闇の中で一人泣き続けた。
この時、漸く気付く。
もし、デッキの中にカードを忍ばせる機会があればあの時しかない。




