悪手
人間かどうかすらも怪しい異質な雰囲気と同時に、鼻を抓みたくなるほどの腐った臭いを纏う男。求める人物像としては全く異なるその人物の周囲を見る。埃に塗れた室内だが、豪奢な花瓶が飾られ、ところどころに気品が感じられる。
「…………アンタは?」
それらと比べてしまうと、似つかわしくもない生きたミイラみたいな男の前までやって来る。
近づく男の左側、暗闇の奥を眺めた。階段から二階に続いているが、踏まれ続けた階段は目に見えるほど歪んでしまっている。いつ抜けてもおかしくないような状況のようだ。視線を逸らしている内に、男は鼻頭が付くほど間近にやって来て、口を開く。
「誰でも無い。此処に君が求めるような物は何も無いし、此処には俺以外誰も居ない」と言ったらしいが、半分くらい聞いていなかった。右の方に視線を置けば、暖簾の奥に台所が見える。石で出来た流し台と、トンネルや建物と同じ材質の床は斜めに傾いて、水はけを機能している。奥にもう一つ扉があって、外に繋がっているらしい。
「…………町の人は」
「気になるなら探せば良い。落胆するだけだが」
既にしている、と言いたかったが、まだ希望は捨ててはいなかった。
「なんでだ。此処に悪路王は居ないのか」
「ああ。君が求める人間は此処には居ない。皆、遠くへいってしまったよ」
沈黙が長く続く。男の言葉に嘘は無い。それはただの勘でしかなかったが、事実、これほど静かな建物の中、ネズミ一匹が動いただけで感じ取る事が出来るだろう。それくらい人の気配が無く、カラカラと乾いた葉が転がる音が鮮明に耳に届く。
「遠くへって、何処に……」
「さあ。俺は何も知らない」
この言葉は、嘘だと思った。彼は何かを知っていて、シンと静まったまま死んだように俯いている。
「じゃあ、悪路王は、居たのか」
「そんな奴は居ないよ。此処に居たのはただの遭難者。悪路の先で帰り道が分からなくなった愚か者達だ」
「俺はそんな冗談を聞きたい訳じゃない。お前、名前は?」
「何者でもない。君はさっさとこの村を出た方が良い。この村はもう終わった場所だ。【いまなき村】 意味は分かるな?」
なんとも、投げやり。手渡されたボールをこれ見よがしに足元にポイ捨てして人を苛つかせる為の言葉を放つ。そのままに苛立ち、膝が震えるほどだった。
「分からないかな。あの文字は、もっと昔に書かれたものだ。5年は経ってる。此処から人が居なくなって多分、2年くらいだろ」
「もうそんなになるか……」
「いつまで人は居たんだ。お前は何だ」
男の前に座り込み、背中に背負う槍を傍らに置く。やはり、想像よりもずっと若い。12歳の自分とそう変わらないかもしれないくらい、間近にすれば幼いというのが推測だった。
「俺から話す事は特にない。知りたい事があるなら、自分で調べてくれ。何度も言うが、俺は何者でもない」
今にも死にそうな声で、多分薄れまくっているであろう手のひらの生命線をじっと見つめて親指をなぞっている。会話はもう、意味のあるものでは無いのかもしれないと察し、懐から葉の包を前に差し出して立ち上がった。
「食べ物。少し腹に何か入れたら話す気にもなるだろう」
男は我慢していたようだ。ジッと欲しそうに疼く手の首を片手が抑え込んでいる。彼はどうやら、此処で命を断つつもりでいるらしい。




