落ちつ堕ちる
「ねぇ、また他の子のことを考えてるの?」
突如として彼女の顔が俺の視界へと入り込んでくる。そこには潤いを放つ唇があった。
それが徐々に近づくにつれて重さを感じてくる。
「重いな。どけよ」
「そんなこと言ったらダメ」
彼女の唇が徐々に近づき、俺の唇との間にほとんど隙間がなくなると、今ままでに感じたことのない"嫌な予感"脳裏に浮かんだ。
浮気がバレることでも、仕事をサボったことによる罰でもない。
これは死だ。
まるで水面に浮かんでいる風景を見ているようにぼんやりと揺れた頭の中に複数の槍を持った天使が近づいてきている。
俺は彼女を押し退け、急いで上着を羽織る。
「どこ行くの?」
「誰かが来たら俺はこの部屋にいるって伝えろ。おそらく寝ているって必ず言えよ」
「えー。また修羅場?」
「とびっきりのな」
俺はそう言うと家の裏口から出る。
今日も相変わらず天気は良好、そして虹が出ている。
それもそのはず、ここは天界なのだから。
もし、ここの天気が荒れる時は……
おそらく、誰かしら消えるだろうな。
やはり家の向かい側の天気は曇り始めている。
これはイケナイ予感を嗅ぐわせる。
「降りるしかないか……?」
極楽から脱して自我を得るか、それとも良い思いだけをして消えるか。
そりゃあもちろん、俺は生きることを選ぶな。
なんてたって俺はまだ誕生してから100年は経っていない。まぁ仮に200年、300年経っていようが容姿は変わらないのだがな。
焦りながらも俺は手際良く必要なものを集めていた。
運良く近くにあるものだけでなんとかなりそうだ。色々な者が不必要だと言うものを家で預かっていたおかげでもある。
「あとは……天楽蝶の粉か……」
天楽蝶など俺の家の近くにいるわけがない。
そもそもの蜜をすべて俺が取ってしまっていたからだ。
困っていると、豪快で、聞き心地の良い活発な声が聞こえてくる。
「アシュラン!何をそんなに慌てて辺りを見渡している。女は草むらにいないぞ」
「黙っとけ、この馬鹿デカブツ」
「ハッハハ。馬鹿はお前だろう」
「冗談言ってる暇はねぇんだよ。首絞めるぞ」
「助けになろう。言ってみろ」
俺は必要なものを彼に伝えた。
「それならちょうどライカさんから貰っていたんだ。綺麗だからって小瓶に入ってる」
「なんかこれ……光が強くないか?ホンモノか?」
「いるのか?いらないのか?」
「ありがたく貰っておく。必ずお返しはする」
「……まさかここから降りるのか?」
「なんで分かった?」
「お前がお返しするときはここから去るときか消えるときだけだ」
「悪かったな。絶対に恩を返さないやつで」
「絶対に、返しにこいよ」
「ああ。必ずな」
俺は彼に貰った最後のピースを手に取ると急いで集めた物を小さな鍋に入れる。
多種多様なそれらが混ざった鍋の色は奇妙で禍々しい色をした液体へと変化する。そして周りには光る粉が舞い散っている。
俺は意を決してそれを飲み干すと、背中が焼けるような痛み共に眩暈がしてくる。
俺は酔っ払っているような状態を利用して、天高いそこから恐怖心を持たぬまま、引き込まれていった。
うっすらと見える遠くには光り輝く槍を持った奴らが見えた。だがもう遅い。俺はひと足先に行かせてもらう。
落ちた先は天国か、はたまた地獄のような場所か。
一応、落ちつつ考えてみたが次第に飽きてきた。
まぁいい。
どこにしろ、俺は好きに生きるだけだ。




