残されたもの
(……ついにこの日が来てしまった。)
青年は、記憶に刻み付ける様に、ゆっくりと周りを見渡した。
子どもたちの泣き出しそうな顔、既に泣いている顔を見て、罪悪感が襲う。
だが、それを振り払って青年は、息を吸った。
「……お世話になりました。」
そう言って、深々と頭を下げる。
途端に子ども達から、「いやだ~!」「ここにいてよ!!」と抗議の声が上がる。
それを、一生懸命職員が宥めていた。
「悪いな、お前らと別れるのは俺も寂しいが、こればっかりは仕方ないんだよ……。」
困ったように笑いながら、取り囲む子どもたちの頭を撫でる。
もうこの手に触れられないのかと気づき、子どもたちの泣き声はさらに広がる。
そんな混乱の中、年長の女の子がぽつりと言った。
「……ここの先生になればいいんじゃない?」
それに反応して、他の子どもたちは「それだ!」とでも言う様に青年の方を向く。
キラキラとした数多の視線に、困りながら職員に、視線で助けを求める。
しかし、当の職員も「それもありかもしれない。」と言った顔で思案し始めている。
(まいったな……。)
青年は、頭を掻きながら、口を開いた。
「……それも悪くない。けどな――。」
その時、後方で力いっぱい叫ぶ声が上がった。
「ダメだよ!!」
飴を渡した少年だ。
目に沢山の涙を溜めながら、こぼれないように、鼻をすすりながら言う。
「兄ちゃんはっ!オレの作ったカッコいい武器でっ……活躍するんだからっ!!」
両手を力強く握り、叫んだ。
青年は、静かに少年の前に向かうと、優しく抱きしめた。
「そうだよな、俺と約束、したもんな。」
少年の頭を撫でると、堪えていた涙がボロボロとこぼれた。
乱暴に、涙を拭いながら、彼は何度も何度も頷いた。
青年は、そんな少年の背中を擦っていると、服をくいっと引っ張られる。
振り向けば、文字を書くのを教えた女の子が、立っている。
「……おてがみ、書いていい?」
一瞬呆気にとられたが、青年は考える。
(この村には、国から物資が定期的に運ばれている。……その時に持って行ってもらえば。)
もし、駄目だとしても是が非でも頼み込もう。
そう小さく決意する。
「……あぁ、わかった。」
青年が頷くと女の子は目を細める。
女の子は「文字のべんきょう、がんばる。」と微笑んだ。
それを見ていた他の子どもたちは、「わたしも書く!」「おれも!」と青年に詰め寄ってきた。たくさんの小さな手が青年の身体や服を掴み、もみくちゃにしてくる。
(……こんなに、俺自身が求められていたことがあったっけ?)
駒としてしか、見られてこなかった自分が別れが惜しいと言われたのは、初めてかもしれない。
(あ……、やばい。)
涙腺が、軽く緩んだ気がする。
青年はそれを誤魔化すかのように、声を上げた。
「わかった!わかったから!全員分読んでちゃんと返事するから!」
青年はくすぐったそうに笑いながら、抱きしめたり、頭を撫でたりしながら言った。
ようやく解放された青年は、集合場所に向かう。
ふと、一度歩みを止め、孤児院を振り返ろうとする。
だが、すんでのところで、頭を軽く振った。
見てしまったら、戻ってしまいそうだと思ったからだ。
上を向けば、澄み渡る青が広がっている。
軽く息を吸って、吐く。
寂しそうに笑うと、青年は黙って前を向き、歩みを進めたのだった。
研修が終わり、中央の軍の宿舎に戻った数日後、大量の手紙が青年の元に届いた。
(……物資の搬入出で頼むのは、正解だったみたいだな。)
青年は安堵する。
しかし、それと同時に目の前にある手紙の数に苦笑した。
一通一通、丁寧に封を開けていく。
「こりゃあ、結構な時間がかかるな……。」
手紙の山を横目に、困ったような声を上げる。
だが、その顔には笑顔が浮かんでいた。
その日から、青年の生活が一変した。
任務や訓練が終わるや否や、自室に戻り、手紙を読んで返事を書く。
それが日課になった。
「お前、最近どうしたんだよ。」
訓練終わり、使用した用具を片付けながら、仲間の兵士が青年に顔を向ける。
「どうしたんだよって、何が?」
木刀を何本か抱えた青年が、怪訝な顔で首を傾げた。
「訓練終わってから、いつも誰かしらと駄弁ってたのに、最近じゃ速攻部屋に戻るだろ?」
「あぁ……。」
何でもない様に作業に戻る青年に、ますます様子がおかしいと口を尖らせる。
「……例の研修終わってから、そんなんだろ?なんだ?研修先で女でもできたか?」
それはないだろうと、冗談めかして青年に聞く。
しばらく沈黙が流れ、仲間の兵士は口角が歪み始める。
青年は、抱えた木刀を片付けると、振り返った。
「まぁ?」
一言だけ答えると、すぐさま「抜け駆けかよ!!」「裏切り者!!」と叫ぶ兵士を笑いながら軽く受け流し、青年は宿舎に戻った。
――もじのれんしゅう、がんばってる。にーちゃんもへいしのべんきょうがんばってね。
(前よりずっと字が綺麗になったな。お前を見習って俺も頑張るよ。)
――今日の職場体験で工房のおじさんに褒められた!兄ちゃんに会えるのも、すぐかもね。
(すごいな。俺もお前の武器を扱えるように、訓練しとくから焦んなくていいぞ。)
手紙を読んでは、返事を書く。
それをひたすら繰り返してみれば、やがて手紙は分厚くなる。
あっという間に一か月過ぎ、いつの間にか反省文でも書かないような、分量になっていた。
それでも、孤児院での日々を思い出し、手紙を受け取って、喜ぶ子どもたちの顔を思い浮かべながら、彼は最後まで手を抜かずに書き続けた。
すべての手紙の返事を書き終えた日、青年は足早に軍施設にある発送受付へと向かった。
居ても立っても居られなくなり、朝一番で来た青年以外誰もいない。
窓から差し込む光に照らされ、廊下の床が鈍く輝いている。
麻ひもでまとめられた手紙を受付の台に置いた。
「すごい量ですね。どちらにお送りいたしますか?」
にこやかに受付の女性は、手紙を受け取った。
「えっと……これで良かったですか?」
初めての手紙の発送に、戸惑いながら青年は、懐から発送依頼書を渡す。
「はい、それで……。」
しかし、受け取った依頼書を見て、女性の動きが止まった。
申し訳なさそうな表情を浮かべて、首を横に振る。
「えっ?」
青年は、最初女性の言っている意味を理解できなかった。
「……襲われた?」
呆然とした表情で、青年は呟く。
「はい。先日、この村は賊の襲撃を受けたそうです。報告では壊滅的な被害だったそうで、現在こちらの村への配送は受け付けておりません。現在調査中とのことなので――……」
それから先の説明は、青年の耳に全く入ってこなかった。
頭の中が真っ白になり、心臓の鼓動が早くなる。
息が苦しくなって、胸が締め付けられるような痛みが襲う。
「壊滅的……。」
小さな声で、青年は呟いた。
戻された手紙の束に添えた手が震える。
受付の女性が、心配そうに声をかけるが、その言葉は彼の耳に入らなかった。
「……わかり、ました。」
ただ一言、そう言うとフラフラしながら青年は自室に戻って行く。
子どもたちは無事なのか、どうしてそんなことになったのか?
そんな疑問が頭の中で繰り返される。
地面に足がちゃんと着いているかさえ、わからない。
指の間から、するりと手紙の束が落ちた。
その落下音で、現実に引き戻された青年は、身を屈めて手紙を拾う。
視線を上げて、自然と窓に目線が向った。
青年の心中とは裏腹に、今日は素晴らしい快晴だった。
一面の青空に、手紙を掴む手に力が入る。
(……あの日と同じ色だ。)
孤児院を去った、あの日の青を思い出した。
窓に映った青年の顔は、眉を顰めて、強張っていた。
自室に戻った青年は、椅子に座って、机に置いた大量の手紙を呆然と見つめていた。
いつもは気にもしない、秒針の進む音が耳につく。
音が進めば進むほど、信じられない気持ちと焦りが募っていく。
「嘘、だよな……?」
カーテンも開けず、薄暗い部屋の中、言葉がぽつりとこぼれる。
呼吸が苦しくなり、頬に一筋涙が伝った。
机に置かれた手紙の一通、一通に子どもたちが自分に伝えようと、拙くても懸命に書いた思いが込められている。
そんな彼らの無事を確認したいのに、例の暗示で村の座標が頭の中から消えていた。
「思い出せよ……クソッ!クソが!!」
何もできない自分に、どうすることもできない自分に腹が立つ。
青年は歯を食いしばりながら、膝を拳で何度も何度も殴りつけた。
どうにかしたいのに、その手段がないという事が青年を追い詰めていく。
ふと、手が机の端に置かれた携帯灰皿に触れた。
その感触に、青年は久しく忘れていた感覚が蘇る。
震える手でふたを開けて、煙草を一本取りだした。
一か月ぶりに煙草を咥えて、火を点ける。
荒くなった呼吸を誤魔化す様に、煙を思い切り吸い込んだ。
「あー……。」
肺の奥まで広がる煙で、胸の苦しみが薄れる気がした。
けれど、これは一瞬の事で子供だましだと青年は分かっている。
こんな誤魔化し方は、良くないという事も分かっている。
けれど、こんな事でしか気が紛れない弱い自分が情けなくて、情けなくて、手で顔を覆った。
目からボタボタ流れる涙は止められそうにない。
静かな部屋には、青年が泣きじゃくる音が響いていた。




