残されるもの
「……この場所が思い出せなくなる?」
研修も残り数日と言ったところになった。
そんな中、日課である夜のミーティングで、隊長が言った言葉で思わず青年は声を上げた。
「いや、具体的にはここの座標だ。」
首を振り、隊長は訂正する。
どういう事かと興味深そうに、まわりの隊員の目が隊長に集まった。
「……考えても見ろ、ここは門外不出の補給地だぞ?」
そう言いながら、ゆっくりと周りを見渡した。
この場所がどういう場所か、思い出させるように目配せする。
「初日で見た通り、ここには最新の魔石兵器も、それに携わる技術者もいる。備蓄もあって補給もできる。――……そんな場所に気軽に行けてみろ、すぐ狙われるだろう?」
重要事項を指で数えながら、顔を上げる。
再び青年の方を向くと、窘めるように言った。
「……でも、作戦で必要になった場合、場所が分からなければ困ることになるのでは?」
「この村は認識阻害の暗示がかかっている。作戦立案に使用される特殊な地図を見ない限り思い出せないようになっているらしい。俺自身もその地図を見た事はないが……。」
そう言いかけて、隊長は頭を掻く。
周りの隊員たちの目が訝しげなものに変わったからだ。
「……言いたいことは分かる。俺もお前らを連れてくるために指示されて、初めてここへ来たんだ。説明では一度ここを出たら、俺もお前らと同じで座標を思い出せなくなる仕組みらしいが。」
経験したことがない事は、説明が難しいと隊長はため息を吐いた。
青年は、眉を顰めた。
説明の中で引っかかる所がある。
自分の中で整理するように、再び隊長に質問を投げかけた。
「……この場所が重要だという事は理解できます。ただ、なんかの本で読んだんですけど、その暗示っていうのは確か……魔法の中でも人は禁止されている部類のもんじゃないんですか?」
その質問に、隊長は目を丸くする。
「ほぅ?魔術師でもないのに、良く知ってるな。確かに暗示ってのは、魔法の中でも魔術師は禁忌として扱っている魔法だ。」
そう説明してから、隊員たちの顔をちらりと覗き見る。
基本的に魔法を使わない兵士たちは、さっぱり分からない顔をしているものが大半だ。
隊長は、苦笑しながら説明を続けた。
「……なんで禁忌なのかって言うと、心や精神に干渉するからだ。魔族や魔物、妖精なんかは平気で使うが、人間っていうのは倫理っていうのがあるだろう?」
部屋が途端に鎮まった。
聞いていた隊員の一人は息を呑み、表情が強張った。
「つまり……俺たちがこの村の座標を忘れる暗示っていうのは、俺たちの心や精神に干渉する魔法をかけられるってこと……ですか?」
「まぁそういう事になるが……本格的なものと言うよりは、村の周りに魔法の媒介として認識阻害の魔法具が設置されているらしいんだが、村を出た時に場所の情報だけ消える。……例えるなら、記憶を水だとする。器に重なったザルを魔法として、村を出ると、座標の記憶だけ濾される。って感じだな。」
「場所以外の記憶は……」
「それは、消えないとのことだ。」
それを聞いた途端、安堵のため息が部屋から聞こえてきた。
「隊長、もし……もしですよ?敵に捕まって補給地はどこなのか、魔法やら自白剤やらで吐かされる危険性はないんですか?」
心配そうな隊員が、隊長に質問する。
「たとえそうなっても、記憶を封じられるのではなく忘れ去られる暗示だから吐くことはない。と魔術師の連中は答えてくれたよ。」
そう言いながら、隊長は皮肉げに口角を上げた。
「よほど彼らは自信があるようで、実際に辿り着く事でもなければ見つからないとさ。」
青年は、隊長のどこか懐疑的な表情で、説明している姿をじっと観察する。
(……最近、上の人間は魔術師を戦力に取り込もうとしているが、この様子じゃ一筋縄ではいっていないらしいな。)
昨今、増え続ける魔族や魔物の被害を食い止めようと、各国がそれぞれ軍の戦力を底上げしようとしているが、まさかこんな機密事項に、今まで争いには忌避的だった魔術師が絡んでくるとは、青年は思いもしなかった。
(俺達みたいに魔法と無縁な人間には、魔法関連なんて魔石を使った生活用品くらいだし、馴染みがなさすぎる。)
隊長の説明が、どこか眉唾物に聞こえるのもそのせいだろう。
「ただ、それも何度も地図を見たり、現地に行けば緩んでくるらしいが……まぁ、そんな人間は上層部だけだろうな。」
そう大きくため息を吐いて肩を竦めると、隊長は言う。
外に目を向ければ、雲の隙間から覗いていた月は、再び雲に覆われていた。
太陽が雲に隠れた風景に、昨晩のミーティングでの話をふと、青年は思い出した。
青年は、天気模様の怪しくなった空を窓から覗く。
それにしても、今日は風が強い。
近所の家に干してある、洗濯物がバッサバサと揺れているのが見えた。
(……こっちの洗濯物も、飛ばされねぇといいけど。)
ぼんやりと考えていると、服の端をくいっと引かれた。
「にーちゃん、これ、教えて?」
服を引かれた方に頭を向けると、鉛筆を片手に女の子がこちらを見上げていた。
「何が分からない?」
身を屈めて、視線を合わせる。
彼女は、「ん」と言うと机に置いてある、紙を鷲掴みこちらに見せた。
すっかり端が皺だらけになったプリントを見て、少しだけ笑う。
「……文字だな?分かった。」
少女に導かれるまま、机の横に移動する。
彼女の手に沿わせて、鉛筆と一緒に抱え込むように支える。
「ここは……こうやって、そう。その書き順、次は一人で書いてみな。」
優しく手を離し、机を黒板に見立てて、お手本の様に一緒に書く。
上手くやろうと、懸命に手を動かす彼女の様子を見て青年は思う。
(……場所の記憶がなくなろうが、この記憶を思い出せればいいのかもな。)
上手くいかない手つきに気づく。
少しだけ手伝おうと、小さな手を再び包んだ。
子どもたちの昼寝の時間になり、すっかり孤児院は静まった。
コポコポとお湯の沸く音、窓からしとしと雨の降る音、わずかに入る外の光。
職員は、暗くなった事務所の明かりをつける。
先程の様子を見ていたのか、青年に話しかけた。
「……君は、先生向いてるかもね。」
青年は、終盤に差し迫った研修資料をまとめている手を止めて、顔を上げる。
驚いた顔で、首を傾げた。
「そっすかね?」
「いや、見てれば分かるよ。子どもの遊びの相手してる時も、勉強見てる時も良い顔してる。」
職員は笑いながら、ふわりと湯気の立つコーヒーを青年に渡した。
「意外と好きでしょ、ここの手伝い。」
青年は、「どうも」と小さく言いながらコーヒーを受け取る。
貰ったカップに目を向けて、コーヒーに映る自分の姿を見た。
(―……好き、か。)
青年は滞在先のコテージに向かう帰り道、職員に言われた言葉を思い返す。
(まぁ、兄貴しかいなかった自分が慕われるっていうのは、なかなか新鮮だった。)
思い浮かぶのは、飴の少年も含め、キラキラとした目でこちらを見る目。
思いっきり戯れて喜ぶ笑顔の子どもたちの顔。
いつの間にか、すっかり吸わなくなった煙草の携帯灰皿をポケットの中でなぞる様に触る。
(……これが、俺の「好き」かもしれない。)
そう気づいたとき、胸が沸き立つように熱を感じた。
すっかり疲れている筈の足取りが、心なしか軽くなる。
青年の口角が自然と上がっていった。




