グラスの中身
――……カラン
グラスに氷の当たる小気味の良い音が、誰もいないコテージに響く。
職員から貰った果汁酒は、この村に自生している果実から作ったものだそうだ。
客人に良く振舞われていると聞いて有難く一本頂いた。
グラスを持てば、明かりが反射して美しい赤が硝子に映える。
「こういう時に誰もいないんだよなぁ……。」
孤児院の視察初日は早めに終わり、青年は誰もいないコテージに一人。
誰かを誘うにも未だに誰も帰ってきてはいなかった。
(まぁ、まさか毒なんて入ってないだろうし、酒の出来も視察の内ってことで頂戴しよう。)
タバコも禁止され、そろそろ口寂しい青年は薄く笑いながら一口含む。
甘い。
だがその後に続くアルコールの刺激が優しく喉に広がる。
思った以上に飲みやすく、喉に通る感覚が滑らかだ。
青年は、グラスを片手にコテージの窓を開ける。
夕闇が空を染めかけている。
風がふわりと流れて、髪を撫でた。
思わず目を伏せる。
微かにざわめく葉の音やどこからか聴こえる鳥の声が、孤児院の子どもたちの声を思い出させる。
今日の事を少しずつ振り返る。
青年は深呼吸した。
「まぁ……悪くない一日だったな。」
空を眺めてそういうと、グラスを再び傾けた。
隊長は村長と共に施設の視察を続け、今日予定していた箇所は全て一通り確認を終えた。
村人たちがしっかりと管理をしていたおかげで予定時刻よりも大分早く切り上げて、研修拠点のコテージへの帰路についていた。
コテージに近づくと暖かな明かりが既に灯っている。
(俺も大分早く終わったんだが……帰ってきているのは誰だ?)
ベランダに目を向けると、人影が見えた。
「あぁ!隊長、お疲れ様です。」
思いがけず明るい声で出迎えられた。
明かりの逆光で誰かすぐに判断できないが、右手に持っているグラスで隊長は察した。
(……出来上がっているな。)
呆れたようにため息を吐く。
歩みを進めれば影が薄くなり、飲酒している人物の姿が見えた。
「……お前か、珍しい。酔っているのか?」
孤児院へ視察に行った青年が顔を軽く赤らめながら、隊長へ締まりのない顔で笑っていた。
持っていたグラスを机に置き、隣に置いてある大瓶を嬉しそうに抱えた。
「職員から貰いまひた。隊長ぉも宜しかったらどうぞ。」
呂律の回ってない口で、そう言うと青年は果汁酒の入った大瓶を傾ける。
「待て待て!まだグラスすら持ってないんだ!傾けるな!!」
隊長は傾く瓶を制すと、大慌てでコテージの台所へ駆け込んだ。
「「乾杯!」」
チンッとグラスの当たる音が響く。
「それにしても珍しいな、お前が酔っぱらうなんて。」
隊長は、未だに飲み続ける青年を見つめながら意外そうに眉を上げる。
数度他の隊員たちと飲みに行ったことはあったが、彼は酒が強いという認識だったからだ。
(……まぁ、果汁酒にしては濃い気もするが。)
喉に爽やかな果汁酒の香りが流れる。
隊長は喉を鳴らして、思わず舌を巻いた。
「というか、美味いな、これ。」
「でしょ?酒の出来を視んのも視察の内かな~と思って飲んでたんですけどぉ、思ったよりずっと美味くってぇ。」
青年はケラケラ笑いながら、覚束ない手つきでグラスを揺らした。
おっとっと、と時折体を揺らしながら、何とか均衡を保っている。
「ハハッ、調子のいい奴だな。」
そう笑いながら、隊長はもう一口酒に口をつけた。
「それで――…なにか酔えるほどいい事でもあったか?」
青年の様子をしばらく見て、隊長は切り出した。
青年はいつもどちらかと言うと暗め、いや不満げな顔をしていた。
彼の経歴を見れば、その理由も察しが付く。
年若い頃から自分自身の意思で動けない。
決められた道を強制的に歩かされている。
反抗期も反抗できない。
そうなれば、こうなることは火を見るよりも明らかだ。
そんな彼が、酒の力とはいえ口角を上げ、嬉しそうな顔をしている。
隊長も思わず口元の笑みを浮かべた。
「ふふ、俺、分かっちゃったんです。」
目をとろりとさせて青年は隊長を見つめた。
「俺、ず――っと決められた道しか歩けなかったんです。軍に入るのも全部、全部。他人の決定ばかりで、自分の意思なんてほとんどなくって。」
夢見心地で、時折頭を揺らしながら青年は続けた。
「でも、この村もここから出れなかったり、俺と一緒だなって思ってたんですけど……でも初日に会った孤児院の子どもが言ってたんです。」
前のめりに頭を倒して、グラスを軽く揺らした。
揺らいだ水面が波打ち、宝石のような輝きが、青年の瞳に反射する。
「その子、武器を扱うのが好きだって。手先を使うのが好きだからって、将来は武器を作りたいって。……閉ざされた環境でも、そうやって好きなものを見つけて、夢があるって、なんか……すごいなって、思ったんですよね。」
隊長は、酒を置く。
「そうだな。」と相槌を打った。
「……俺も、この軍に入ることは決められただけだと思ってたけど、ここで好きなものを見つけて、それを力にして歩いていけるようになりたいなって……。」
青年の声はだんだんと小さくなり、最後の方はおずおずとした響きになった。
それを聞いた隊長は、肩の力を抜く様に、大きく息を吐いた。
「……それに気づけただけでも、ここに来た意味はあったんじゃないか?」
青年に目を向けて、眩しそうに目を細めた。
そのままグラスに目を向けると、ぐいっと果汁酒を煽った。
その様子を見た青年は、果汁酒の瓶を取り、隊長のグラスに注ごうと動く。
「少しで良い。」と隊長は苦笑いしながら、グラスを傾けた。
酒を注ぎ終わると、青年は、照れ隠しの様に隊長に話題を振る。
「隊長もそんなもの、ありますか?」
話題を振られた隊長は、持ち上げかけた手を机に戻す。
先ほどまで浮かべていた笑みが消える。
沈黙が短く流れた。
やがて、ぽつりと呟くように言う。
「……家族だよ。」
静まり返ったコテージに響く。
「あいつらの為なら、俺はなんだって出来る。」
青年は、隊長の表情が険しくなった事に気づき、返事が遅れてしまった。
「……そう、なんですね。そりゃあ、『家族思いのいいお父さん』ってやつだ。」
冗談めかした言い方で、少しの笑顔を添える。
重い空気にならないように、わざと調子を崩す。
青年が、今まで幾度と行った処世術だった。
(……何かありそうな口調だ。)
そう青年は思う。
だが、せっかくの酒が不味くなるだろうと押し黙った。
その時だった。
コテージのドアが開く音と、持ち場から帰った隊員たちの声が聞こえる。
隊員たちは、疲れた足取りで部屋に入り、目線を上げた。
酒を飲んでいる二人の様子を見て、目を見開く。
「ずりぃ~!」「なんだそれ!」等の不満の声がギャアギャア上がった。
「隊長まで!」
隊員の一人が唇と尖らせる。
隊長は、否定するように腕を振った。
「違う違う!そもそも、コイツが先陣を切ってたんだ。俺が来た時にはもう出来上がってた!」
そう弁明すると青年を指さす。
青年はニヤリと笑う。
グラスを顔の横に持って行き、見せつける様に揺らした。
「……酒の質を視んのも、視察。だろ?」
他の隊員は一斉に隊長を見ると、一人が口を開いた。
「隊長!自分たちも視察に参加してよろしいでしょうか!!」
敬礼しながら、礼儀正しく尋ねる。
隊長は一口果汁酒を飲むと、ため息を吐いた。
「……許可する。台所からグラス持ってこい。」
その言葉に、彼らはしおしおしていた表情から一変し、喜びに溢れる。
歓声を上げながら、足早に台所へなだれ込んだ。
中には勢いあまり走り出すような足音もある。
「走るんじゃないぞ!!」
隊長の一喝が飛んだ。
隊員たちの背中を見送ると、隊長は青年の方を振り向いた。
「……お前にも見つかるさ、大事なもんが。」
「酒もその一つですかね?」
青年は、イタズラっぽく笑う。
「そっちは程々にしろ!」
隊長は苦笑しながら、青年を軽く小突いた。




