木村真 Wikipedia
木村 真は、日本のシリアルキラー、小説家、元死刑確定者(死刑囚)。1994年から2003年に東京都で6人の少年、少女が殺害された東京連続誘拐殺人事件の犯人である。
2003年、一連の事件の犯人として逮捕・起訴され、2020年9月5日に死刑判決が確定。2022年10月10日に東京拘置所で死刑が執行された。
生い立ち
幼少期
木村真は東京都〇〇市で生まれた。小説家である父の教育のもと、幼い頃から様々な文学に触れてきたといい、5歳の頃には小学5年生ほどの学力を持っていたことから「神童」と呼ばれることもあった。本人は引っ込み思案な性格だが、祖父や祖母が頻繁に外に連れ出していたため、数多くの着想を得たことが、のちに本人より明かされている。
小中学時代
小学生時代はもっぱら図書館に通い、500冊ほどの本を読み漁った。しかし、そのせいでクラスにあまり馴染めず、友人は一人もいなかった。成績は上位で、特に国語と社会を得意としていたが、授業中に指されても答えられたことはないと、当時の彼のクラスを担当していた教師が証言している。
高校、大学時代
高校生になった真は、執筆活動に手を伸ばした。彼がこの時期に書いたのが「闇夜の疾走」で、これはのちに大ヒット作となる。真は高校にあった文芸部に入ろうと思ったが、他の生徒の文章があまりにも稚拙だったため断念したと、後年語っている。
都内の大学に進学した真は、高校時代に執筆した作品を出版社へと持ち込んだ。しかし、当時は真の表現したい「言葉」の美しさは評価されず、ことごとく追い返されてしまった。このことに深いショックを受けた真は、一時的に作風を過激なものへと変える。ファンの中では、高校時代の真の作風を「第一期」、大学時代から卒業後しばらくまでを「第二期」と分類されている。
第二期の作品として有名なのは「埋葬」「生贄の素質」などであるが、これらの作品は、鬱屈とした世の中において自己を破壊、再構成していく様子を世間を賑わす事件に絡めていくというドキュメンタリー要素を取り入れていて、出版社から大きな評価を得ることになった。真としては、この結果は納得のいくものではないらしく、「生活のため」と割り切っていたと述べている。
大学卒業後
卒業後、真はしばらくは作品を発表していたものの、やがて執筆活動から遠ざかり、叔父の経営している飲食店で働いていたとされる。前述の通り真はあまり人付き合いが得意ではなかったが、気を使うことができる人間ではあった。彼の接客は積極的ではないものの、注文を間違えたり態度が悪いということもなく、好評だった、
ちなみに、大学を卒業する時点で少なくない蓄えがあり、(父以上に)小説家としての成功が約束されていた真が、なぜ執筆から離れてしまったのかというと、第二期の作品に関する著者の人間性批判があったからだとされている。
たとえば「生贄の素質」を読んでみると、様々な猟奇的な思考を目にすることができる。主人公である育志は幼い頃より両親から虐待を受けていたが、それで世界を憎むことはせず、幼馴染の葉子と睦まじい関係を築いていた。しかし、その葉子が事故で亡くなってしまい、加害者が無罪を勝ちとってしまったこと。また、肉体的、精神的暴力を振るってくる両親さえも通り魔に殺されてしまったことから、ついに彼の精神は壊れてしまう。育志は自分の全てを否定し、それらを再構成するために一定の法則に従って人を殺すことを決意。その法則というのは「彼に聞こえる範囲で他人を蔑んだ者」「葉子を死に至らしめた加害者と同じ名前(または読み方)の者」などである。そうして毎月のように殺人を繰り返していく育志だが、ターゲットの中には少なからず人を食い物にする悪人が混ざっていたことで、謎の殺人鬼は称賛を浴びてしまう。その評価に更に混乱する育志は、自分を罰する存在を求めて暴走。徐々に標的を選ぶ理由もこじつけのようになっていく。そんな中、育志は自らの名前にも「生贄」を読み取ってしまい、自ら命を断つ決断をする。これが作品のあらすじであるが、この時点でもすでに、当時の真の苦悩が手にとるようにわかる。悪によって予期していなかった歓声を浴びせられた育志とは、作風を変えたことで大成してしまった真の生き写しといえるだろう。だからこそ、彼が人の名前から関連性を見出して標的にしたり、相手を殺す時にその人物の好きな音楽を口ずさむといった常軌を逸した思考も含めて彼なのではないかと考察されてしまった。だが、作家と作品を同一視する問題は現在まで続いているものであるし、仮に同一視するなら、育志が聞いてしまった言葉に対して報復を行う「言霊主義」のような、ある種の善性を見ることも必要なのではないだろうか。
凶行に及ぶ
2003年、殺人の容疑で逮捕された真であったが、警察の間では、それまで一切、真は容疑者として挙がっていなかったという。しかし、最後に殺された少女と一緒に歩いているのを目撃した(これも証言のみであり、真は当初否定していた)という情報をもとに警察が彼を拘束し、尋問の末に少女の殺害を認めた。以下は、当時の関係者がインタビューで語ったものである。
いや、私も最初は彼がやるわけがないと思ってたんですよ。まぁ小説家なんていう職業で売れている人だから、私たちみたいな凡人にはわからない何かがある可能性はありますけどね。それで実際に罪を認めちゃったんだから、もうなにがなんだか。最初はしっかりと否定していたんですよ。でも、だんだんと問い詰められることに疲れてきたのか、次第に「実は私がやったのかもしれません」てな具合に匂わせてきて、やがて「そうだ、私がやったんだ」に変わっていったんです。そこからは早くて、どうやって少女を殺したのかを詳細に語り初めました。その描写が妙にリアルすぎるっていうか、実際にやった人にしかわからないことを言ってるんですけど、何か引っかかるっていうか……。とはいえ、その後に彼の家を調べたら、犯行に使われた刃物なんかが出てきたので。
(少し間があって)
あぁ、そこで終わりではないんです。私の知り合いがその、彼をメインで担当していたわけなんですけど、「多分こいつはもっとやってるはず。手口が鮮やかすぎる」って言って、尋問を続けたんです。机の上に色々な未解決の殺人事件の資料をひっくり返して、「これはどうだ」「これは違うか」って聞き始めました。すると、なんて言うんだろう……面白いことに気付いたように「これはこうやりました」と自白しだしたんです。ここで私、ゾッとしましてね。真は自分が殺した相手のことを、すっかり忘れていたんです。
刑事裁判
真は控訴中、突然執筆を再開した。その理由について被告人質問で「もう何も気にすることはない。自分は歪められてしまったのだから」と答えた。
彼がこの時期から死刑執行までに執筆した作品は十にのぼり、これらの作品は「第三期」と呼ばれている。これらの作品の特徴として、人の悪意に対する対抗が挙げられることがよくある。とりわけ真は「社会によって存在を消されてしまった人」を取り上げることが多く、彼らのことを「透明人間」と表現して大いに憐んでいた。以下は、真が実際に遺した文である。
透明人間というのは、物理的なものである。しかし人々から忘れ去られた人ではなく、忘れ去られるように仕向けられた人である。言葉には言霊が宿っており、それが人間の行く末を決めてしまうことがある。私にはそれが許せない。自己というものは、人間が自分で作り上げていき、自分で破壊し、組み立てていく。そうやって人間は確固たる自分を作り上げていくものなのにも関わらず、他人の言葉に傷つき、それが本来の自分なのだと思い込んでしまう欠陥を備えている。私はその矛盾に起こっているのではない。そうと決まって生まれてきてしまったのだから、それに恨みを抱くのは筋が違う。憎むべきなのは、それを知ってか知らずか実践する人々である。私はそれらが許せない。歪んでしまった。私は歪んでしまった。私だけではない。他人の言葉で歪められてしまった。その言葉が深く心に突き刺さるほど、それはナイフよりも深く血管を傷つけ、見えない血が吹き出す。見えない血は確かにある。もし、私がもう一つの認識を得ることができたのなら、この世界は血に塗れているだろう。どうか、言葉を信じるあなたたち。あなたたちにはそんな道を歩いてほしくない。もう手遅れだとしても、赤い道ではなく黒い道を歩いてほしい。最後に、私は証明してみせよう。私は消える。煙のように、泡のように、雨上がりの虹のように、消える。
木村真 初公判
第一審 初公判
2005年、東京地方裁判所刑事第3部(吉田弘裁判長)において、木村真の第一審初公判が開かれた。傍聴席は満席となり、多くの報道陣が詰めかける中、午前10時30分、裁判長の開廷宣言とともに審理が始まった。
被告人席に立った真は、細身の体をわずかに揺らしながら前を見つめていた。罪状認否を求められると、弁護人の指示を待つように一瞬間を置いた後、静かな声でこう述べた。
「間違いありません」
ただし、真は犯行の外形的事実を認めたものの、計画性や殺意については否定し、「自分の意思ではなかった」と繰り返した。検察側は、被害者の誘拐・殺害の手口が冷酷かつ周到であり、明確な計画性があると主張。警察への自白の際も、その出来事を楽しんでいたかのようだったと述べた。一方、弁護側は、被告が事件当時、心神喪失または心神耗弱の状態にあった可能性があるとして、精神鑑定を求めた。
坂本鑑定
同年、弁護人の請求により、東京医科大学の精神科医・坂本和彦教授による精神鑑定(坂本鑑定)が開始された。約1年間の鑑定期間を経て、2006年に鑑定結果が公判に提出された。
坂本鑑定では、木村が幼少期に母親から虐待を受けていたこと、精神的な問題点を指摘したが、事件当時の精神状態については「完全責任能力を有していた」と結論づけた。
死刑求刑
2007年、東京地裁(和田淳裁判長)において、論告求刑公判が開かれた。被告人質問で真は「もう終わりにしてください」と呟いた。同日、検察官は山のように分厚い論告書を数時間かけて朗読し、死刑を求刑した。法廷内は緊張した沈黙に包まれ、真は表情を変えずに前を見つめていた。裁判長は判決言い渡しの日程を告げ、審理を終えた。翌年、死刑判決が下された。
死刑確定・執行
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