第3回『心の窓』 (沢木耕太郎著:幻冬舎)
表紙の中央の、人形を抱えた小さな女の子の写真が目を引きます。
服と同じピンクのニット帽を目深に被り、ピンクの衣装を着せたキューピーさんのような人形を抱えているのです。
おめめはパッチリで、穏やかな視線をカメラの方に向けています。
いっぺんに惹きこまれました。
*
この本は、著者が自らカメラを持ち、旅した国の各地で一瞬の表情を捉えた写真を基に、その時の心情をウィットに富んだ文章で表していて、見開きページの右が文章、左が写真という構成になっています。
収められているシーンは81。
どれも印象的なひとコマですが、その中からいくつか選んでご紹介します。
*
①『しかられて』
(フランスのノルマンディー海岸から車でパリへ向かう途中で立ち寄ったカフェテリアでのひとコマ)
なんとも言えない表情の小さな男の子が訴えるような目で誰かを見つめています。
小さな手には紙コップ。
父親が飲んでいたコーヒーのようです。
実は、カフェインが入っているので母親から「飲んではダメ」ときつく釘を刺されていたのですが、母親がトイレに立った時、父親がそっとコップを渡したのです。
喜んだ男の子は口に含んだのですが、何故か母親はすぐに戻ってきて、それを見つけ、『だめでしょ!』と叱ったのです。
男の子は驚きの余り、飲み込むこともできず、上目遣いで母親を見つめました。
その一瞬を捉えた写真がすべてを物語っています。
お人魚さんのような可愛い顔の男の子が固まりながらも、「どうして?」というような表情を浮かべている姿が愛らしくて、思わず見つめてしまいました。
小さな子は大人のすることを真似したがるものですが、なんでもさせてもらえるわけはなく、これからいっぱいこういうシチュエーションに出くわすのだと思います。
寛大な親、
厳格な親、
理解のある親、
理不尽な親、
いろんな親の元で子供は育つわけですが、厳格な母親と寛大な父親の元で、この子はどういうふうに育っていくのでしょうか?
そんなことを考えてしまう写真です。
タイトルも秀悦だと思います。
*
②『心奪われて』
(ニューヨーク郊外の小さな駅でのひとコマ)
木のベンチに座った若い女性が本を熱心に読んでいます。
冬でしょうか、しっかり着込んで、白いニット帽を目深に被っています。
足元にはトラベルバッグが置かれていて、周りには誰もいません。
その中で、脇目も振らず、という感じで読書に没頭しているのです。
最近、駅や電車で本を読んでいる人を見かけなくなりました。
ほとんどの人がスマホに夢中になっているからです。
というより、スマホにお守りされているように思います。
中にはネットで小説を読んでいる人もいるかもしれませんが、多くの人はメールやゲーム、動画に夢中になっています。
お気に入りの本を持って旅行に行こう、というのは時代遅れなのでしょうか?
でも、この写真を見ていると、夢中になって本を読む若い人もいるのだなと、なんだかホッとしたような気持ちになります。
著者は、駅のベンチで心を奪われるように本を読む女性に、しばし、心を奪われたようですが、私も同じ気持ちになりました。
いつまでも本を読む習慣が続きますように。
思わず、そんなことを呟いていました。
*
③『偶然の宝石』
(ブラジルのアマゾンの奥地でのひとコマ)
上半身裸の少女(幼児)が顔をキリっとさせてカメラを見据えています。
天然のカールでしょうか、金髪っぽい髪が顔に掛かり、ある種完成された美しさを持っているように感じます。
著者は、その美しさを『偶然の宝石』と名付けていますが、「様々な種族と交わることで、髪も顔立ちも何系と特定できない不思議な容姿を生みだした結果」と結論付けています。
その通りなのでしょう。
中には、他の種族と一切かかわらず、孤高を守っている純粋な血統の種族がいるのでしょうが、多くは文明の洗礼を受けて、多様性を受け入れた結果、元々の特徴が薄れて、新たな容姿へと変化していったのだと思います。
そんなことを考えていると、日本人はどうなっていくのだろうか? とふと考えてしまいました。
人口減少が進み、人手不足が深刻になっている日本は、外国の人を数多く受け入れていくことになると思います。
そうなると、国際結婚の数も増え、混血の人の数も増えていくでしょう。
今でも日本人離れした容姿の若い男女が増えているように感じますが、それが加速していくに違いないように思います。
もしかしたら、平面的と言われている日本人の顔も欧米人のように立体的になっていくのかもしれません。
となると、日本人の特徴というのはどうなっていくのでしょうか?
欧米人と体格で引けを取らない大谷選手ですが、顔はまさしく日本人です。
でも、あの体に彫りの深い顔が付いているとしたら……、
人種なんて、そんなことを考える必要のない時代が来るのかもしれません。
どんどん交流が進んで、どんどん混血していけば、地球人という一つの括りだけになるのかもしれません。
そうなると、国という概念が消えて、国同士がいがみ合うこともなくなるかもしれません。
そうなるといいな、と思います。
*
④『電話ごっこ』
(フランスのリヨン駅で出会ったひとコマ)
二人の幼子が駅の公衆電話で、受話器を耳に当てている写真が目を引きます。
兄妹で電話ごっこをしているようです。
母親がその後ろで電話をかけています。
それを真似しているのでしょう。
楽しそうに遊んでいましたが、突然、妹が泣き出しました。
遊んでいるうちに受話器のコードがこんがらがってしまい、どうにも手に負えなくなったのです。
そこで、文章は終わっています。
でも、続きがあるはずです。
早速、想像の世界に入りました。
泣いている妹を見て、お兄ちゃんはどうしたのでしょうか?
間違いなく助け舟を出したはずです。
「大丈夫だよ」って声をかけて、こんがらがったコードを元に戻したのではないでしょうか。そして、「ほら、直ったよ」って受話器を妹に渡して、「もしもし」って呼びかけたような気がします。
もちろん、妹は大喜びで、ニコニコしながら電話ごっこを続けたに違いありません。
それとも、電話を終えた母親がコードを直してくれたのでしょうか?
それとも、遊びを終わらせて、電車に乗るためにホームへ急いだのでしょうか?
それとも……、
想像が膨らみますが、やっぱり、お兄ちゃんが助け舟を出した方に一票を投じたいと思います。そう思いたくなるほど、お兄ちゃんが優しい表情を浮かべているからです。
「妹は僕が守る!」
頼もしいお兄ちゃんのはずです。
*
⑤『瞳の少女』
(インドのブッタガヤで出会ったひとコマ)
大きくて美しい瞳で見つめている少女に目を奪われます。
でも、その表情には何の感情も浮かんでいません。
喜怒哀楽の欠片もないのです。
読んで、その理由がわかりました。
彼女は極貧の家に生まれたため、満足に教育を受けられません。
そこで、同年代の少年少女と暮らすために、アシュラムという一種の共同体に引き取られたのです。
つまり、幼くして、家族と引き離されたわけです。
不安で仕方がないはずです。
声を出せないほど緊張しているかもしれません。
顔になんの表情も浮かんでいないのは、当然なのです。
この子はこれからどういう人生を送っていくのでしょうか?
とても気になります。
インドでは、いまだに身分制度が厳然と残っています。
カースト制度です。
・バラモン(司祭階級)
・クシャトリア(王侯・武士階級)
・バイシャ(庶民階級)
・シュードラ(隷属民)
の四つです。
でも、これだけではないようです。
シュードラの下にはカーストにも組み込まれないアウトカースト(不可触民)がいるのです。
現在、この制度は法律で禁じられていますが、その風習はいまだに根強く残っており、インド社会に暗い影を残しています。
世界最大の人口を抱え、日本を抜いてGDP世界第4位になろうとしているインドですが、この問題の解決なしには、世界で指導的な役割を果たしていくのは難しいのではないでしょうか。
インドだけではありません。
身分制度のない日本でも気になることが顕在化してきています。
親ガチャ、です。
どのような親の元に生まれてくるかによって人生が決まってしまう、という意味で使われている言葉です。
国民総中流という言葉が消えて久しくなります。
貧しい家の子供は教育が十分に受けられず、その結果、報酬の高い仕事に就けず、みじめな人生を送らざるを得ないのに対して、裕福な家に生まれた子供はその反対で、豊かな人生を送ることができるという格差社会に突入しているのです。
実際、東大に入学した人の6割以上が『親の年収が950万円以上』というデータがあります。親が裕福でないと良い大学に行けなくなっているのです。
親が貧乏なほど、子供の未婚率が高いというデータもあります。
貧乏な家に生まれた子供は結婚もできない状態になっているようです。
すべての人が金持ちになるのは難しいと思いますが、
せめて、『機会の平等』だけは保証される社会であってほしいと思います。
懸命に努力すれば結果が付いてくる、という夢のある未来がすべての人の前に開けている社会になって欲しいと思います。
*
⑥『やさしい手』
(フィンランドのヘルシンキの駅の出口でのひとコマ)
ベビーカーを押している母親と、ブルーと赤のレインコートらしきものを着ている幼い兄妹の写真なのですが、お兄ちゃんの姿がピンボケになっています。動いているところを撮った写真のようです。
読んで、理由がわかりました。
列車から降りてきた親子が立ち止まったと思ったら、いきなり母親が小さな女の子に向かって、何かきつい口調で叱り始めました。わがままなことを言ったのかもしれませんが、母親に叱られた女の子はみるみる表情を歪め、泣き顔になりかけます。
それを救ったのがお兄ちゃんでした。
女の子の背中にそっと手を伸ばし、撫でるように触れてあげたのです。
すると、女の子は泣かずに我慢することができました。
ほんのちょっとしたことですが、自分の味方になってくれたお兄ちゃんの優しさに慰められたのでしょう。
「わがまま言わないの!」
「なんど言ったらわかるの!」
「いいかげんにしなさい!」
親はつい、このような言葉を口にしてしまいます。
でも、それは言ってはいけない言葉です。
幼い心に傷をつけてしまうからです。
子供が小さい時は親も若いので、包み込むような言葉を投げかけることができません。
それは仕方のないことですが、でも、自分がそんなことを言われたらどう思うだろうか? と考えてみると、ぐっと我慢できるかもしれません。
言うは易く行うは難し、ですが、あの時、あんなことを言うんじゃなかった、と将来後悔しないためにも心がけたいですね。
*
⑦『夜のレストラン』
(エストニアの首都タリンの旧市街でのひとコマ)
バックパック姿の若い女性がレストランの前で、真剣にメニュ表を眺めている写真が印象的です。
何を食べようかな、と探しているのでしょうか?
真剣な眼差しが想像できる写真です。
でも、しばらく眺めたあとで、諦めたようにその前から立ち去りました。
お財布と相談した結果、ちょっと高いな、と諦めたのかもしれません。
若い時の一人旅は貧乏旅行です。
限られたお金の中でやり繰りしなくてはなりません。
それはわかっていても、時々はおいしいものを食べたくなります。
でも、お金がない。
でも、食べたい。
現実と欲望が葛藤を始めます。
ほとんどの場合は現実が勝ってしまうのですが、その時に感じる虚しさにため息をついたりもします。
でも、若いっていいですね。
未来の方が長いのですから。
なんでも糧にできるのですから。
若い人よ、大志を抱け!
なんちゃって。
*
⑧『坊やに完敗』
(フィンランドのヘルシンキの繁華な通りでのひとコマ)
赤い風船を左手に持った小さな男の子が、路上のパフォーマー(昔は大道芸人と呼ばれていました)を一心に見つめています。
グレーのニット帽を目深に被った男の子の右手にはウサギの縫いぐるみあり、地面に足をつけるような形になっています。
男の子が熱心に見始めると、ひとり、またひとりと、通行人が足を止め始めました。
そして、瞬く間に人垣ができたのです。
その時、著者は唇を噛んだそうです。
負けたと。
実は、男の子が近寄るちょっと前に著者が1ユーロのコインをボックスに投げ入れたのですが、その時は誰も足を止めなかったのです。
でも、その直後に小さな男の子が見入った途端、人が集まり出し始めました。
通行人を立ち止まらせるという役回りにおいて著者は完敗したのです。
ですが、パフォーマーにとっては喜ばしい状態になりました。
足を止める人が多ければ多いほどチップを期待できるからです。
男の子は、すぐに母親に連れて行かれましたが、その後も人垣は崩れませんでした。
「ありがとう、坊や」
後姿にかけるパフォーマーの声が聞こえてきそうです。
*
⑨『キューピーさん』
(イタリアのヴェニスの小さな教会の前にある狭い石畳でのひとコマ)
最後にご紹介するのは、表紙の写真の女の子です。
ピンクのニット帽を目深に被って、ピンクの服を着せたキューピーさんを大事そうに持っている、目のクリッとした女の子です。
出会ったのは、著者が近くのスーパーマーケットに行く途中でした。
男の子たちがボール蹴りをしているのをぼんやり眺めていると、その女の子がよちよちと歩いてきたのです。
こちらを見つめる口元は、何か言いたそうだったので、「なあに?」と日本語で訊ねましたが、もちろんわかるはずはなく、でも、何か感じたのか、ニコニコと笑ったのです。
著者も笑みを返して見つめ合っていると、道を挟んだ食料品店からイスラムの黒いニカーブを着た女性が出てきて、その子の手を引き、急ぎ足で連れ去りました。
変な男の人に誘拐されるのを警戒したのでしょうか?
でも、著者は別のことを考えていました。
ニカーブについてです。
あの女の子も、成長すると、目以外のすべてを隠すニカーブを身につけるようになります。
宗教的、歴史的な背景があるので、よそ者がどうこう言う資格はないのかもしれませんが、ほんの少し胸が痛んだそうです。
日本もそうですが、世界ではまだまだ男尊女卑の風潮が色濃く残っています。
それが例え女性を守るために始まった風習だとしても、今の時代にそぐわないものは改める必要があるのではないでしょうか?
男女平等が当たり前の世界が一日も早く訪れるのを祈念するばかりです。
✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧
作者をご紹介します。
(本の最後に記載されている著者紹介や訳者あとがきから抜粋)
1947年、東京都生まれです。
1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、85年『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞、13年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞、23年『天路の旅人』で読売文学賞を受賞しています。その他にも多数の著書があります。
✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧
心に沁みる物語、
救ってくれた言葉、
ヒントを与えてくれたビジネスワード、
心を豊かにしてくれる写真と絵と文章、
そんな綺羅星のようなエッセンスが詰まった、
有名ではないけれどグッとくる本がいっぱいあります。
非定期にはなりますが、次回からもご紹介していきますので、楽しみにお待ちください。
✧ 光り輝く未来 ✧
✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧
【公開中の小説のご案内】
下記の小説を公開中ですので、併せてお楽しみいただければ幸いです。
『天空の美容室』~あなたに出会って人生が変わった~
『海の未来』~水産会社に勤める女性社員の仕事と恋の物語~
『ブレッド』~ニューヨークとフィレンツェとパンと恋とハッピーエンド~
『人生ランランラン』~妻と奏でるラブソング~
『後姿のピアニスト』~辛くて、切なくて、でも、明日への希望に満ちていた~
『平和の子、ミール』~ウクライナに希望の夢を!~
『46億年の記憶』~命、それは奇跡の旅路~
『夢列車の旅人』~過去へ、未来へ、時空を超えて~
『世界一の物語‼』~人生を成功に導くサクセス・ファンタジー~
『ブーツに恋して』~女性用ブーツに魅せられた青年の変身ラブストーリー~
✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧