第84話 小牧長久手の戦い前夜
されば時は、天正十二年の早春、陽はすでに暖かく、されど世の風は冷たく、天下の政、いよいよ乱れし折なり。
羽柴筑前守秀吉、信雄を誅せんとて、「絶対服従か、開戦か」と、白刃を突きつくる。
これはただ信雄一人に限らず、次に狙ふは、東国三河の徳川家康なること、誰の目にも明らかにて候。
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家康公、浜松の城にあって、この気配を見逃すべきやと、深く心を巡らせ給ふ。
「意地の戦にあらず。面目の争ひにもあらず。
信雄の背後に我が力を見せずば、
やがて秀吉、我が国へ刃を向けん」
かくて、信雄の危機、すなはち、明日の己が運命をも決せんとするものなり。
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されば、家康は密かに思ふ。
「信雄、片づけられし後に、単独にて起つは愚なり。今こそ、共に風よけとなし、力を合せて、起つが利なるべし」
ましてや、家康は信長公の友誼深き者、親類にして盟を結びし者なれば、名分の上よりしても、
「信雄を助け、逆心の秀吉を討つ」とて、天下に対して顔を立つること、少しも躊躇ふところなし。
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かくて、三月七日――
信雄より秀吉に内通せり三家老誅せられし報、つひに家康のもとへ届きける。
これを聞きて、家康はただちに兵を集め、軍を整へ、旗を掲げて、いざ、出陣を決せり。
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一方、羽柴秀吉、この動きを聞き逃さず、八日には、早や先鋒の出陣を命じ、十日には大坂を発ち、京へ入り、さらに十一日には、近江の坂本城へ進みける。
秀吉の総勢、六万二千余と伝はれ、これを八万と号して、坂本より美濃、尾張へと、一気に雪崩れ込まんとす。
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これに対し、家康公、はじめより総動員の構へをなし、その数、三万五千に及ぶとぞ。
されど、智将たる家康、軍を無用に大挙せず、実際に清洲の信雄のもとへ引きつれしは、ただ八千の精鋭なり。
残る兵は、すべて後詰めとなし、三河・遠江の領国へ、細やかに配し置きて、国土の防ぎを怠らず。
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されば、羽柴筑前守秀吉、戦の大才、天の与へし将なり。
人の顔色ひとつを見て、事の機を悟り、その直感、稀代の鋭さを持ち給ふ。
一方、三河の徳川家康、長き経験を積み重ね、物の動き、事の兆しを精細に観じ、敵の心を見抜くこと、鏡のごとし。
この両雄、共にその才、誤り少なく、果断にして緻密、誠に天下に並ぶ者なき英雄なり。
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その二人がつひに、尾張の地にて、全力を尽くし、打ちあふこと定まりぬ。
これすなはち、日の本の覇を決し、幾百年の戦国を鎮め、天下を一つに統べるため、避けて通ること能はぬ一戦にて候。




