第82話 大坂城築城
されば時は、天正十一年八月のことにて候。
羽柴筑前守秀吉(47歳)、己が野心を築かむとて、摂津の地・大坂に、前代未聞の大城を築き始められける。
これぞ、かつて本願寺のあたりにて、浪士や坊主ら騒ぎを起こせし地なれど、今はすべて焼かれて灰となり、ただただ一人の成り上がり者が、天下の夢を地に刻まんとする始原の地となりにけり。
「城を築くならば、誰の目にも驚かすべし」
「奉行ども、急ぎ働け。数年の工を、数月に成せ」
秀吉の命、雷のごとく下りて、人夫は山より石を運び、堀を掘り、橋を架け、天守を高く積み上げたり。
その勢ひ、まこと凄まじく、天正十二年の新春には、すでに第一の工、成り上がりて、秀吉みずからこの城に移り住まわれたり。
さればこの金城、白き壁面には舞ふ鶴の絵を描かせ、屋根瓦には金箔を置き、内は金銀財宝を積み上げ、四方より集めたる南蛮渡りの舶来珍品、床に敷き、棚に飾りて、見るものすべてを眩ませり。
秀吉、この新城にて、京より下向の公卿らを招き入れ、「これが我が夢の証なり」と自ら案内し、誇らしげに語りぬ。
異国の宣教師どももまた、かつて世界一と謳はれし安土城すら、「もはや比較の価値もなし」と本国へ書き送りぬ。
その一人、ルイス・フロイス、
「羽柴の黄金城、地に築かれし楽園なり」と讃へたり。
この頃の秀吉、ただの武辺の士にあらず。
刀を捨てて筆を執り、馬を離れて茶を点じ、礼を知り、道を嗜み、ことさらに京の朝廷に心を寄せける。
官位は従四位下・筑前守、されど己が出自は下賤の者と深く知り、「成り上がりにて終はるべからず」と、日々心を砕きける。
さる程に、京の内裏にも声高く、「秀吉を以て天下を治めしむべし」と、二条関白・近衛大臣らも口を揃へて申すに至れり。
秀吉、夜更けの書斎にて筆を置き、ただ独り、灯を見つめて曰く。
「戦にて世を得るは易し。
されど、世に残るは徳の力なり。
我、この城を以て、武の後に礼を加えん」
あはれ、夢見るは天下、築かるるは城にあらず――
ひとりの男が、時代を超えて残らんとする、威と智との城なりける。




