第73話 秀吉の中国大返し
天正十年六月の初めのことなりけり。
備中高松の城、羽柴筑前守秀吉の軍勢、これを水攻めにて囲みたるとき、早馬、風を切りて馳せ来たり、信長公、京の本能寺にて討たれしと告ぐ。
これを聞きし秀吉、ただちに人払いをなし、参謀・黒田官兵衛と夜更けまで密談す。
「逆賊、明智日向守光秀なり」
「謀反を討ち、主の仇を報ずるは、臣たる者の道なり」
秀吉、時を移さずして和睦の書を清水宗治に送り、
六月四日、宗治、城中にて切腹す。
その首級を弔い、涙を流したるは、秀吉の武威ならず、情けにてありけり。
さればここに、筑前守、旗を返して帰陣す。
その速さ、日ならずして百里を越え、歩を休まず、雨を冒し、険路を突き、昼夜兼行の強行軍。
行く先々の郷村、驚きて道を開けぬ。
兵に糧食を与えんがため、姫路の城にありし黄金をば、惜しみもせずに与えたり。
「一日一国を走破せよ」との号令、士卒、疲労に膝を折るも、主の心に感じ入り、誰ひとり脱する者なし。
その間、洛中洛外には風説ひろまり、「明智光秀、主を討ちて逆賊と成り果てたり」との噂、市井に響きて、老若男女の耳に届く。
秀吉、行くさきさきに「忠義の士、主君の仇を討たん」と触れ回り、人々これに涙して、道中に酒食をもって迎えたる。
かくて十日、秀吉、すでに京の手前、山崎に陣を布きけり。
天王山のふもとに軍を置き、敵の到来を待つ。
この「中国大返し」、ただの急ぎ足にあらず。
主君を失いし乱世にて、義を重んじ、民を導き、風に乗じて天下を掴まんとする、羽柴筑前守秀吉の、命運を賭した大転でありけり。