第65話 信長凱旋
天正十年四月二十一日、安土の城に凱旋する信長公――
甲斐信濃の諸将、遠江三河の民、いずれもその栄華に驚嘆し、
「これぞ武運長久の人、まさしく天下布武の主なり」と、口々に称え奉る。
その軍列の華やかさ、見る人ことごとく魂を奪われ、春の野に咲く万朶の花も、かの行列の美には及ばず。
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前駆には丹羽五郎左衛門長秀、
ついで羽柴筑前守秀吉、
そのあとに明智十兵衛光秀、滝川左近将監一益、蜂屋備中守頼隆、
まさに名将列をなして進みたり。
鎧は錦を以て縅し、馬は金の鞍覆い、旗は雲を突き、馬上にて現れ給うは、まことに信長公その人。
緋の陣羽織、黒漆の具足、長烏帽子を戴きて、堂々たるその姿、まるで大日如来の化身か、あるいは将軍地蔵の現身かと見まがうばかり。
安土の城下には万民こぞりて道を掃き、花をまき、
老若男女、手を合わせてその威を拝す。
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城に帰りて、三日の御賀の催されけり。
勅使くだされ、天子の御使より「武功無双」の御書、公卿百官、安土の高殿に列をなし、御酒酌み交わし、鼓笛鳴り響く。
信長公、座を正して盃をとり、
「これぞ天下布武の礎なり」
と、ただ一言のみ仰せられける。
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かたや、徳川三河守家康――
東海道を下り、静かに浜松の城に戻り給いける。
甲州征伐の一翼を担い、先鋒として大役を果たしながら、華やかなる凱旋の列には加わらず、兵を整え、城を守る役目に徹しける。
浜松の館にて、甲斐・信濃の新領国を巡り、
旧武田の遺臣らを召し抱えんと、昼夜問わず談判を続け、その心にはただ、主君信長の覇業を支えんとする思い一つ。
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ある夜、城の楼上にて、家康、月を仰ぎ見て曰く――
「この十余年、我らが身命を賭して斬り拓きし道、
今こそ、殿の天下に通ずる礎となりにけり……。
されど、勝者の栄光の陰には、滅びし者らの無念もあり。
さればこそ、武門の誉れは慎みにこそ宿るべし」
老臣・酒井忠次、傍らにて静かにうなずきぬ。
忠勝・康政・数正らもまた、主の言葉を胸に刻み、
遠江・三河の安寧を守らんと、兵を励まし政を司りけり。
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信長、安土にて大宴を催し、天皇の勅使を迎え、正二位右大臣の栄を授かると、天下はまさにその掌にありと思えり。
されど、静かなる浜松の城には、風の音とともに、いまだ語られぬ時代の息吹が満ちておりぬ。




