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第62話 石山本願寺の戦い、終息す

天正元年より始まることの起りにて、

本願寺顕如上人、天下を覆わんとする信長公の政に抗し、

石山の地に砦を築き、門徒の力を集め、十余年、これに抗したり。


大坂の石山本願寺は、天王寺・堺・和泉の海辺を押さえ、

陸にては雑賀衆、河内・摂津の国人と結び、

海よりは毛利の大船を招き入れ、木津川の口を扼して、

織田の勢を寄せつけず。


しかれども、時移り、世の風変じて、

信長公の勢いいよいよ盛んにして、

播磨を越え、備中に攻め入るころ、毛利の援けも衰え、

雑賀の衆もまた次第に信長の調略に応じはじめたり。


また、九鬼嘉隆が鉄の船「鉄甲船てっこうせん」を造り出し、

毛利の大船すら火矢にて焼き払ひ、海の道を断たれければ、

石山本願寺、まことに孤立無援の体となりにけり。


顕如上人、これを見て、

「仏法を護るは武ではあらず、慈悲の心なり」

と、遂に和睦の書を信長に送りけり。


信長もまた、顕如の信望の大きさを知り、

強攻を控え、和平の道を受け入れたり。


かくして――


天正八年正月、顕如上人、

十年籠りし石山の伽藍を、ついに退き給ふ。

本堂には火を放ち、金色堂も経蔵も、紅蓮の焔に包まれぬ。


大坂の空、暁に赤く染まり、遠く京の町にまで煙の匂ひただようほどなりき。


顕如は紀伊の鷺森へと下り、門徒の再起を期す。

これにて、石山合戦十年の火煙、ついに終息す。


石山本願寺との戦いが終結したのは**天正8年(1580年)です。この年を基準に、織田信長の主要武将たちのおおよその年齢と知行(石高)**をまとめます。知行は完全に確定した数字ではなく、目安となる推定値を含みます。


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■ 織田家の主要武将(1580年時点)


織田信長 47歳 約500万石超

柴田勝家 52歳 約83万石

明智光秀 52歳 約60〜70万石

羽柴秀吉 43歳 約100万石

滝川一益 47歳 20〜30万石

丹羽長秀 49歳 50〜70万石

池田恒興 45歳 10〜20万石

前田利家 42歳 20〜30万石

中川清秀 42歳 約10万石

細川藤孝 50歳 約12万石


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