表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/74

第61話 謙信の死と信康の切腹

其の人、義を以て剣を帯び、信を以て軍を率い、

越後の虎、また毘沙門天の化身と謳われし上杉謙信。

その威、関東を震わし、その名、京畿までも轟きけり。


されど、諸行無常の鐘の声、盛者必衰の理をあらはす。


――時は天正六年三月十三日、越後春日山の城にて。


謙信公、日々の政を治め、戦の支度を怠らず、兵法の書を捲り、仏前に香を焚き、静かに一日の勤めを終えける。


その夜、厠に入りし折、急に倒れ給ひぬ。


側近、駆け寄りしもすでに昏く、言葉もなく、目も虚ろに、ただ、春の月光のみが、障子の隙よりこぼれ入りけり。


医師、薬師、急ぎ集めらるれど、天地の理、如何ともし難く、遂に謙信公は再び眼を開かず、そのまま二十一日、五十一歳にて崩御せられたり。


家臣一同、声を挙げて哭き、春日山に慟哭の声満ちたり。


彼の死、ただ一国の主の消えしにあらず、義を貫きし時代の、灯火の失せしことなりけり。


---


一方、遠州・浜松城の城中もまた、深き悲しみに包まれておりぬ。


事の起こりは、三河の国にて、信康の母君・築山殿、密かに甲斐の武田勝頼と通じていたとの風聞、尾張の信長公の耳に入りたり。


信長公、筆を執りて、三河浜松の家康に告げし曰く、

「信康、その性、将に不適なり。今のうちに除かざれば、後に大患とならん」


家康、文を開きてしばし無言なり。

その眼には、深き悲しみ湛へり。


「信長の心、底の底まで見通せていたつもりなれど……これは我が油断なり」


信長はもはや、三河の機嫌をとる一国の主にあらず。

天下を治むる者の眼にて、信康の存在をはかりておるなり。


「三郎め、勇気あれども、時に増上慢あらわる。

これを小城へ移すべしと早く申しておれば、或いは信長も逆心なしと見て、庇い給うたやもしれぬ……」


家康、すでに打つ手なく、黙して筆をとりぬ。

「我が命にて、信康、切腹いたせ」


その報せ、岡崎に届きし時、信康は驚かず、静かに笑みをもて答へり。


「これもまた、父上の御覚悟ならば、我、逆らうこと能わず」


信康、自ら胸を突き、潔く果てたり。享年二十一。


浜松にて、家康は密かに灯を灯し、息子の刀に香を焚きぬ。

誰にも見せぬ涙を、硝子のごとく静かに流せり。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ