第61話 謙信の死と信康の切腹
其の人、義を以て剣を帯び、信を以て軍を率い、
越後の虎、また毘沙門天の化身と謳われし上杉謙信。
その威、関東を震わし、その名、京畿までも轟きけり。
されど、諸行無常の鐘の声、盛者必衰の理をあらはす。
――時は天正六年三月十三日、越後春日山の城にて。
謙信公、日々の政を治め、戦の支度を怠らず、兵法の書を捲り、仏前に香を焚き、静かに一日の勤めを終えける。
その夜、厠に入りし折、急に倒れ給ひぬ。
側近、駆け寄りしもすでに昏く、言葉もなく、目も虚ろに、ただ、春の月光のみが、障子の隙よりこぼれ入りけり。
医師、薬師、急ぎ集めらるれど、天地の理、如何ともし難く、遂に謙信公は再び眼を開かず、そのまま二十一日、五十一歳にて崩御せられたり。
家臣一同、声を挙げて哭き、春日山に慟哭の声満ちたり。
彼の死、ただ一国の主の消えしにあらず、義を貫きし時代の、灯火の失せしことなりけり。
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一方、遠州・浜松城の城中もまた、深き悲しみに包まれておりぬ。
事の起こりは、三河の国にて、信康の母君・築山殿、密かに甲斐の武田勝頼と通じていたとの風聞、尾張の信長公の耳に入りたり。
信長公、筆を執りて、三河浜松の家康に告げし曰く、
「信康、その性、将に不適なり。今のうちに除かざれば、後に大患とならん」
家康、文を開きてしばし無言なり。
その眼には、深き悲しみ湛へり。
「信長の心、底の底まで見通せていたつもりなれど……これは我が油断なり」
信長はもはや、三河の機嫌をとる一国の主にあらず。
天下を治むる者の眼にて、信康の存在をはかりておるなり。
「三郎め、勇気あれども、時に増上慢あらわる。
これを小城へ移すべしと早く申しておれば、或いは信長も逆心なしと見て、庇い給うたやもしれぬ……」
家康、すでに打つ手なく、黙して筆をとりぬ。
「我が命にて、信康、切腹いたせ」
その報せ、岡崎に届きし時、信康は驚かず、静かに笑みをもて答へり。
「これもまた、父上の御覚悟ならば、我、逆らうこと能わず」
信康、自ら胸を突き、潔く果てたり。享年二十一。
浜松にて、家康は密かに灯を灯し、息子の刀に香を焚きぬ。
誰にも見せぬ涙を、硝子のごとく静かに流せり。