第52話 石山本願寺攻め
石山本願寺、摂津の地にて大坂の地を抑え、門徒数万を擁する仏門の砦。 雑賀の鉄砲衆、根来の僧兵を糾合し、河内・紀伊・山城の各地にて勢力を振るい、京洛の安寧を脅かす不穏の火種たり。
「仏を標榜しながら、民を唆し、武を以て我が政道を阻むは、もはや許しがたし」
信長公、かく断じ、天正三年より使者を放ち、諸国大名に対し、
「本願寺討つべし」との布令を示し給ふ。
京・堺・大坂を繋ぐ水陸の路を封じ、兵糧攻めを開始せんがために、津田信澄をして大坂北方に砦を築かせ、 丹羽長秀・筒井順慶らをして周囲の諸砦を固めさせ給ふ。
さらには堺の町に対しても布令を下し、兵糧・鉄砲・火薬の供給を禁じさせ、堺の豪商・今井宗久や千宗易らに勅を仰がせて、物資の流通を統制せしめたり。
「この戦、ただの武の攻めにあらず。商・宗・武、三つをもって攻めるべし」
信長公、かく策を練り、根来・雑賀への分断工作をも進められけり。
一方、本願寺顕如は諸国門徒に檄を飛ばし、加賀・越前の一向一揆を誘発し、東西に乱を広げんとし、信長の包囲を内より崩さんとす。
これに対し信長、明智光秀を山城に派し、細川藤孝を丹波に命じて、包囲の輪をさらに強めんとす。
「この戦は、十年の歳月を要すとも、必ずや果たすべし」
信長公、泰然として石山攻めの総帥たる志を明かされけり。
かくて石山合戦の火蓋、つひに切られたり。
この折、信長は阿波の三好残党、ならびに毛利氏の動きにも注意を払い給ふ。
毛利輝元は、祖父元就の遺志を継ぎて西国の覇者となり、大坂の顕如より援助の使いを受け、兵糧・弾薬を海路より送りしという。
これを防がんと、信長は九鬼嘉隆をして水軍を整備せしめ、堺沖より紀伊・安芸の航路を封じ、伊勢長島の一向一揆を討滅せし勢いにて、海陸の封鎖網を築き上げたり。
雑賀の鉄砲衆も、なお抵抗を続けんとすれども、鈴木孫一らの動きもまた制され、紀州の山深くへと退く者多し。
顕如はなお抗戦の姿勢を崩さず、城郭のごとき本願寺は、堅固なる石垣と堀に守られ、数万の門徒は信心の火を以て戦い抜かんと誓いける。
ああ、この石山の戦、宗と武の交わるところにして、天が試すは人の信と策なりけり。




