第51話 守りの信長、攻める勝頼
されば――
浅井備前守長政、北近江・小谷の城に討たれて後、
天下布武の旗を掲ぐる織田右府信長の動き、必ずしも活溌とは申されざりき。
去る元亀四年九月、小谷を囲みて浅井父子を討ち果たし、そののち十一月、河内国若江にて、三好義継を滅ぼしたるほか、京洛にての政務に明け暮れ、軍の旗はしばし影をひそめぬ。
市街の整備、橋梁の改修、舟車の造営に至るまで、
政の礎を定めんと、忙しき日々を送られけり。
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されど、その裏に横たはりしは――
越後の大牙、上杉謙信の去就なりけり。
かの人、常の理を以ては測りがたき風雲の将。
深く禅を学び、兵乱の世に遊び、
「戦はこの世の常、さすれば楽しむのみにて候」と言ひしとぞ。
信玄公とは、かれこれ二十年が程も刃を交へしが、
つひに雌雄を決せず、しかもその子・勝頼をば、眼中にあらざるがごとし。
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「いま一度、面白き敵を得たるか――」
謙信の視線、その先に在るは、まさしく信長公なりき。
これ、信長にとりては、思ひも寄らぬ曲者の出現にてあり。
かかる謙信の目、まことに油断ならず、信長公、軽々しく兵を動かすを慎み、ひたすら力の蓄へと備えに務められける。
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かくてこの半年余、信長の軍勢、東は上杉、南は武田、西に長島・石山本願寺、また大和の雑賀と、いづれの敵が、いづれの線より動き出づるやも知れず、信長、ひたすら風向きを見定めんと、静かなる嵐のごとき日々を過ごし給ふ。
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ああ――
時にあらずして動けば、勝ちを失ひ、信を失ふ。
されば将たる者、時を待ち、鋭きを磨き、強きを忍び、ただ一撃万回を破る刻を待ち給ふべし。
信長の静謐なる沈思は、嵐の前の寂けさにも似て、やがて来たる長篠の決戦の火蓋を切る礎となりにけり。
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一方、遠州の南、駿河と遠江の境に聳ゆる要害、高天神城。
その城は、さながら天嶺を戴くがごとく、四方を断崖に囲まれ、堅牢無比にて候。徳川方に属ししが、武田勝頼、天正元年よりこれを狙ひて包囲を始めたり。
この戦、高天神を巡る攻防において、織田信長、信州よりの動静を注視しつつも、みだりに援兵を送らず、内心、家康の手並みをも測り給ふ。
「家康、信玄が死してなお、武田に挑まんと欲すれば、自力の試練たるべし」
信長公、かく思し召し、あえて後詰を送ること控え、天目山以後の勝頼の出方を見んとし給ふ。
かくして、家康、援軍なき中にて小笠原長忠を以て高天神を守らしめ、しかれどつひに開城す。
「この落城、勝頼の武威にあらず。徳川、今一歩にて力及ばず」
信長、深く頷き、いよいよ次なる策を練られける。