第50話 武田勝頼の若さ
されば――
家康、いまにして、しみじみと感じ入り給ふ。
勝頼が若き血の熱さと、憂き世の苦き立場とを。
しかも、その眼を啓きたるは、誰にてましましけん――それこそ、かの信玄公にてありける。
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思へば往年、三方ヶ原の戦にて、家康、遮二無二にして信玄に挑みしかば、敗れて命辛うじて浜松に帰還せし折、己が愚を悔い、深く胸を灼かれしことあり。
「ここにて運を試すなり」と己を追ひ詰め、
「もし神仏に見放さるるば、我が命、そもそも甲斐なき生まれ」と思ひ詰めしは、すでにして、八分の敗因を抱きたる愚なりき。
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神といふもの、自らを助けむとする者をのみ助け給ふ。
運命とは、試みて定まるにあらず。
不断の用意、絶えざる修練、堪忍に堪忍を重ねて、
その一事に徹し尽くすの外、勝ちの理はなきものと、後年の家康、ようやくにして悟り給ふ。
「かの時分、我が身には、なお信長に侮られてはならぬとの見栄ありき」
と、深く恥じて、ただ寡言に生き給ふ。
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いまの勝頼は、それよりもさらに苦き立場にある。
彼は武威天下に轟かせし父・信玄と絶えず比され、
家臣らの眼を恐れ、主として侮られまいと、焦り、急ぎ、戦を重ねて、その信を得んと欲すれど、そのすべ、いまだ知らず。
若き血は烈火のごとく、己が足もとをも焼かむとす。
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ここに、勝頼公、焦心を抑へ得ず――
ただ武威をもって信を得んとし、軍をしてしきりに動かし給ふ。
天正元年十月、三河・長篠に兵を向け、徳川を牽制し、
十一月には遠江へと軍を移し、
翌二月には美濃の東部に出でて、城々を攻め落とし、
三月には再び遠江に入り、
五月には天竜川を渡り、野田城を囲み給ふ。
かくの如く、わずか半年に五度の戦。
たとひ一度に千人を失ふとも、六か月に五千の兵を損ずる計なり。
これは軍のみならず、民もまた疲弊す。
夏の戦は地を焦がし、民心を乱し、国を衰へさするものなり。
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織田上総介信長公すら、夏は兵を休め、秋を待ちて戦を仕掛く。
されば、勝利は戦にあらず、力を養ひ、時を知るにあり。
されど、勝頼公、これを知らずや――
父に劣らぬことを示すべく、ただ猛き刃を振るふことを以て、家中の信を得んと欲す。
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されば、甲州の軍、日を追ふごとに疲れ、民は田を捨てて逃れ、領国の地は、次第に痩せ細り、その実は、父の代に築かれし根より朽ちゆくが如し。