表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/66

第50話 武田勝頼の若さ

されば――

家康、いまにして、しみじみと感じ入り給ふ。

勝頼が若き血の熱さと、憂き世の苦き立場とを。


しかも、その眼を啓きたるは、誰にてましましけん――それこそ、かの信玄公にてありける。


---


思へば往年、三方ヶ原の戦にて、家康、遮二無二にして信玄に挑みしかば、敗れて命辛うじて浜松に帰還せし折、己が愚を悔い、深く胸を灼かれしことあり。


「ここにて運を試すなり」と己を追ひ詰め、

「もし神仏に見放さるるば、我が命、そもそも甲斐なき生まれ」と思ひ詰めしは、すでにして、八分の敗因を抱きたる愚なりき。


---


神といふもの、自らを助けむとする者をのみ助け給ふ。

運命とは、試みて定まるにあらず。

不断の用意、絶えざる修練、堪忍に堪忍を重ねて、

その一事に徹し尽くすの外、勝ちの理はなきものと、後年の家康、ようやくにして悟り給ふ。


「かの時分、我が身には、なお信長に侮られてはならぬとの見栄ありき」


と、深く恥じて、ただ寡言に生き給ふ。



---


いまの勝頼は、それよりもさらに苦き立場にある。


彼は武威天下に轟かせし父・信玄と絶えず比され、

家臣らの眼を恐れ、主として侮られまいと、焦り、急ぎ、戦を重ねて、その信を得んと欲すれど、そのすべ、いまだ知らず。


若き血は烈火のごとく、己が足もとをも焼かむとす。


---


ここに、勝頼公、焦心を抑へ得ず――

ただ武威をもって信を得んとし、軍をしてしきりに動かし給ふ。


天正元年十月、三河・長篠に兵を向け、徳川を牽制し、


十一月には遠江へと軍を移し、


翌二月には美濃の東部に出でて、城々を攻め落とし、


三月には再び遠江に入り、


五月には天竜川を渡り、野田城を囲み給ふ。


かくの如く、わずか半年に五度の戦。

たとひ一度に千人を失ふとも、六か月に五千の兵を損ずる計なり。


これは軍のみならず、民もまた疲弊す。

夏の戦は地を焦がし、民心を乱し、国を衰へさするものなり。


---


織田上総介信長公すら、夏は兵を休め、秋を待ちて戦を仕掛く。

されば、勝利は戦にあらず、力を養ひ、時を知るにあり。


されど、勝頼公、これを知らずや――

父に劣らぬことを示すべく、ただ猛き刃を振るふことを以て、家中の信を得んと欲す。


---


されば、甲州の軍、日を追ふごとに疲れ、民は田を捨てて逃れ、領国の地は、次第に痩せ細り、その実は、父の代に築かれし根より朽ちゆくが如し。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ