表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/75

第48話 浅井家滅亡

時に、元亀四年八月二十六日――


越前を平らげたる信長公、白馬にまたがりて軍を返し、再び近江・虎御前山の砦に姿を現し給ふ。


その御手には、朝倉旧臣の筆頭・前波吉継を召し出して、これに桂田播磨守長俊の名を賜ひ、越前守護代を命じ給ひける。


また、魚住景固をして鳥羽城の守りとなし、朝倉景鏡をして亥山城に籠め置き、明智十兵衛光秀、津田元秀、木下家定の三名を目付としてこれに附けらる。


いづれも、信長公の御意に感泣し、戦後の治定に心血を注ぎ、国の復興に励む間――


信長公はいよいよ、宿望たる小谷城攻めに取り掛かり給ひける。


---


かくて、越前より馳せ戻りしは、柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛、前田利家ら、名だたる将たちにて、各々、小谷の出入口を固め囲みぬ。


されど、城攻めそのものは、ただ一人――


羽柴筑前守秀吉にのみ任ぜられたり。


これすなはち、衆人環視のもと、秀吉が真の実力を問われる刻なり。

もし、ここにて一挙に快勝せば、家老として抜擢も叶ふ。

されど、働き及ばねば、諸将の寄騎として、一生その配下に甘んじるほかなし。


されば、柴田勝家・丹羽長秀・佐久間信盛・前田利家ら諸将、東西南北に陣を張りて囲みし中、ただ秀吉ひとり、正面よりこれを討つ大任を担ふ。


---


秀吉、まず城下の地形を詳らかに調べ、

山陰に潜む小道より密かに兵を進め、夜陰に乗じて木戸口に火をかけ、混乱を誘ふ。


また、城の裏手にて築かれし**大手門の砦(小丸城)**を狙ひ、選りすぐりの兵三百を率ゐて夜襲を仕掛く。


この戦、羽柴軍の勇士、福島市松正則・加藤虎之助清正ら、若き兵も力を尽くし、奮戦せり。


秀吉、味方を励まし、


「いま一刃にて名を挙げずば、いつ天下を取らんや!」


と叫びて、つひに小丸を奪ひぬ。


これにより、小谷城の本丸は孤立し、浅井家の命脈、風前の灯と相成りぬ。


---


さて、かの小谷城には、浅井備前守長政、いよいよ追ひ詰められ、籠城の将兵、疲弊し、糧も尽き、死地を悟りし面持ちにて在りける。


その内にあって、なお花の如く咲き給ひしは――

お市の方、信長公の妹にして、浅井長政の正室なり。


御傍らには、あどけなき御子ら三人。

すなはち、長女茶々、次女初はつ三女江ごう

いづれも天女の如くにて、城中の者、見るにつけ涙を禁ぜざりけり。


---


これを知る秀吉、お市の方と三姫を砦より無事に出すべく、兵を退かせ、道を開けしも、また武将としての器を天下に示したる証とぞ語り伝へらる。


かくて、女子どもは救はれ、浅井長政はなおも戦を続けしが、つひに本丸にて自刃し果てけり。


小谷の城は落ち、浅井家、ここに滅亡す。


戦の後、信長公は秀吉を召して言葉少なに、


「……ようやったな」


ただこの一語を与へられ、秀吉、深々と地に額を擦りて拝しけり。


この一戦をもって、筑前守秀吉の名、諸将の間に鳴り響き、以後、羽柴が一族は諸国にその名を轟かせるに至れり。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ