第48話 浅井家滅亡
時に、元亀四年八月二十六日――
越前を平らげたる信長公、白馬にまたがりて軍を返し、再び近江・虎御前山の砦に姿を現し給ふ。
その御手には、朝倉旧臣の筆頭・前波吉継を召し出して、これに桂田播磨守長俊の名を賜ひ、越前守護代を命じ給ひける。
また、魚住景固をして鳥羽城の守りとなし、朝倉景鏡をして亥山城に籠め置き、明智十兵衛光秀、津田元秀、木下家定の三名を目付としてこれに附けらる。
いづれも、信長公の御意に感泣し、戦後の治定に心血を注ぎ、国の復興に励む間――
信長公はいよいよ、宿望たる小谷城攻めに取り掛かり給ひける。
---
かくて、越前より馳せ戻りしは、柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛、前田利家ら、名だたる将たちにて、各々、小谷の出入口を固め囲みぬ。
されど、城攻めそのものは、ただ一人――
羽柴筑前守秀吉にのみ任ぜられたり。
これすなはち、衆人環視のもと、秀吉が真の実力を問われる刻なり。
もし、ここにて一挙に快勝せば、家老として抜擢も叶ふ。
されど、働き及ばねば、諸将の寄騎として、一生その配下に甘んじるほかなし。
されば、柴田勝家・丹羽長秀・佐久間信盛・前田利家ら諸将、東西南北に陣を張りて囲みし中、ただ秀吉ひとり、正面よりこれを討つ大任を担ふ。
---
秀吉、まず城下の地形を詳らかに調べ、
山陰に潜む小道より密かに兵を進め、夜陰に乗じて木戸口に火をかけ、混乱を誘ふ。
また、城の裏手にて築かれし**大手門の砦(小丸城)**を狙ひ、選りすぐりの兵三百を率ゐて夜襲を仕掛く。
この戦、羽柴軍の勇士、福島市松正則・加藤虎之助清正ら、若き兵も力を尽くし、奮戦せり。
秀吉、味方を励まし、
「いま一刃にて名を挙げずば、いつ天下を取らんや!」
と叫びて、つひに小丸を奪ひぬ。
これにより、小谷城の本丸は孤立し、浅井家の命脈、風前の灯と相成りぬ。
---
さて、かの小谷城には、浅井備前守長政、いよいよ追ひ詰められ、籠城の将兵、疲弊し、糧も尽き、死地を悟りし面持ちにて在りける。
その内にあって、なお花の如く咲き給ひしは――
お市の方、信長公の妹にして、浅井長政の正室なり。
御傍らには、あどけなき御子ら三人。
すなはち、長女茶々、次女初、三女江、
いづれも天女の如くにて、城中の者、見るにつけ涙を禁ぜざりけり。
---
これを知る秀吉、お市の方と三姫を砦より無事に出すべく、兵を退かせ、道を開けしも、また武将としての器を天下に示したる証とぞ語り伝へらる。
かくて、女子どもは救はれ、浅井長政はなおも戦を続けしが、つひに本丸にて自刃し果てけり。
小谷の城は落ち、浅井家、ここに滅亡す。
戦の後、信長公は秀吉を召して言葉少なに、
「……ようやったな」
ただこの一語を与へられ、秀吉、深々と地に額を擦りて拝しけり。
この一戦をもって、筑前守秀吉の名、諸将の間に鳴り響き、以後、羽柴が一族は諸国にその名を轟かせるに至れり。