表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/84

第44話 三方ヶ原の戦い

時に元亀三年十二月、

空には灰雲棚引き、風は吠ゆるが如くにして、

遠江の地、冷え凍てつきて、草も木も、ことごとく霜を帯びぬ。


三方ヶ原――

それは浜松の北、曳馬野に広がるる丘陵地。

山と沼地とに囲まれ、逃げ場なき戦場にてありけり。


家康は、浜松城を発し、五千余騎を率いてここに布陣せり。


その御胸の内には、もはや思慮も策もなかりけり。


ただひとつ、胸に燃ゆるものあり。


「いかなる屈辱あれども、いかなる死地に臨もうとも、武田勢に断じて屈せぬ。その気魄こそが、徳川家康なり」


されば、これは戦にあらず。生死にあらず。

天地に向かいて、己が存在を、叫びし魂の咆哮なり。


男の生涯に、一度は来たるものあり――

血潮、煮え立ちて身を焦がし、魂、天を貫かんと欲すとき。


さる時、もしや家康に憑きしものありとすれば、

それは鬼神にあらず、魔にあらず、怨霊にも非ず。


まさしくそれは――

織田上総介信長、そのものの気魄なりけり。


無二の盟友にして、時に畏怖すべき魔王のごときその人。

されど信長公こそ、この戦に臨む家康の姿を見ずして、すでに見抜いておられたに違いなし。


「家康のみは、裏切ることなし」と――


四面楚歌、味方に裏切られ、京に追われし逆境の只中にあっても、ただ一人、信じる者があったなら、それこそが、徳川家康。


信長公の眼が見抜きしは、理ではなく、運命に刻まれし“男の業”なりけり。


「いかに不利とて、退くは恥なり。進まば勝機あり。」


家康、兜の緒を締め、馬上にて兵を鼓舞し給ふ。


されどその敵、武田信玄――

その威、天下に轟き、しかも今、二万五千を率いて怒濤のごとく押し寄す。


先陣には、赤備え山県三郎兵衛昌景、雷のごとき勢いにて突撃し、高坂弾正少弼昌信、馬場美濃守信房、内藤修理亮昌秀、小山田信茂、秋山信友、続々としてこれに続く。


それ、赤き鎧は火の如く、槍の穂先は光を裂くがごとし。

まさに地鳴りの如く進むさま、天も恐れぬかとぞ思わる。


徳川勢、まずは奮戦し、幾度か敵を押し返すも、軍勢に劣り、地の利にも劣り、ついには左右を包囲されぬ。


忠勝、康政ら、怒涛のごとく斬り結び、敵の波を断ち切らんとするが、将兵、次第に討たれ、あるいは傷つき、ついには防戦一方と相成りぬ。


家康公、馬上より戦局を見つめ、苦渋に満ちた眼にて叫ばる。


「退け! ここにて皆を失えば、徳川の命脈、尽き果てん!」


その声、風に乗りて軍を伝わる。されど、すでに退路は狭し。


ここに、忠臣大久保忠佐、命を賭して殿を務め、槍を横に構え敵を防ぐ。

また榊原康政、馬を返して敵の追撃を断ち切り、家康を救いぬ。


かくて、三方ヶ原の原に敗れたとはいえ、家康が折れしことは一度もなかりけり。

この日の一戦は、血と泥に塗れながらも、徳川が未来へと繋ぐ礎となりにけり。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ