第43話 信玄、西上す
元亀三年の冬、寒風吹きすさび、甲斐の山々雪の白きを戴く折しも――
武田大膳大夫信玄公、西上の大軍を発し給ふ。
駿河を抜き、遠江に入るや、前衛の如風のごとく進みて、徳川が前哨の城々を、またたく間に蹂躙す。
砦は焼かれ、町は踏みにじられ、落人の影、野山に消えゆく。
さても、浜松の城にては、徳川家康、城楼に立ちて、遠くの煙を望まる。
心中はかき乱れ、御面の色は険し。
「信玄公の威、古今無双なれど……まさか、かくも迅きこと……」
かかる中にて、さらに屈辱は、信玄が浜松を素通りし、あまつさえ京への道を急ぎ給ふことなり。
「このまま素通りさせては、面目が立たぬ……!」
家康、唇を噛みしめ、深く思案す。
「浜松に籠もりて、ただ守るのみは、死を待つに等しきなり。戦わねば、未来は開かれぬ。」
ここに、忠臣本多忠勝、進み出でて問う。
「いかがなされましょうか?」
家康、重々しき声にて宣う。
「出陣じゃ。三方ヶ原にて、これを迎え撃たん! たとえ劣勢なれど、我が武門の意地を見せるときぞ!」
この言葉に、忠勝、榊原康政、井伊直政ら、いずれも膝を折り、声を揃えて曰く。
「御意! 命を賭して、お供仕る!」
陣太鼓打ち鳴らされ、旗風たなびくその下、浜松の城門は開かれ、徳川の精鋭、いままさに進発せんとす。
「いざ、三方ヶ原へ!」
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この報を受けて、信玄公、駒の背より悠然と笑みを浮かべて曰く。
「家康めが、のこのこと出て来おったか。さては、自ら破滅の道を選びしな――」
赤き甲冑、陽に照り映えてまばゆく、風切る武田の大軍、陣列整え、山野を揺るがして進み行く。
「全軍、三方ヶ原へ進軍せよ!」
太鼓響き、軍馬の蹄、地を撃ち、山川鳴動す。
その背後にありし遠江の砦は、黒煙を天に巻き、火柱は空を焦がせり。
かくて、運命の地――三方ヶ原の原野にて、いま、両雄の運命は交わらんとす。




