第41話 比叡山延暦寺
元亀二年九月十二日 比叡山焼討の事
これより先、織田上総介藤原朝臣信長公、天下静謐のために兵を振るい、近江の浅井備前守長政、越前の朝倉左衛門督義景、摂津・大和の三好三人衆、ならびに松永弾正少弼久秀、また石山本願寺の顕如法主と、四方に敵を受けて合戦に及び給ふ。
されど、比叡山延暦寺は、天台の道場にして、千年の法燈いまだ絶えず。高僧碩学を抱き、諸国の信を集むる霊場なり。しかるを、さる聖域に、敗走の浅井・朝倉の兵、身を潜めて匿れりとの報、坂本の陣に届きけり。
信長公、書状を読み終え、太刀の柄に手をかけて曰く、
「比叡山、義を見て動かず、敵に与して我が背を突かんとす。これは法を口にしながら、剣を持ちて戦に加わるものなり。是非を論ずるに及ばず」
明智日向守光秀、ひそかに諫め奉る。
「延暦寺は、天子の御祈願所にして、年来の霊場に候。しかるを攻むるは、世の顰蹙を招きましょう」
然れど信長、眼を光らせ、
「義を欠きて名を守らば、万民の道乱れん。千年の歴史も、理なき者の隠れ蓑と成れば、これを焼くのみにて、天下の警めとなさん」
かくして、元亀二年九月十二日、信長公、坂本より軍を発し、延暦寺山門を包囲す。
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その夜、天台の堂塔伽藍より、火煙立ち上り、紅蓮の焔、天を焦がす。
僧兵ども、法螺を吹きて抵抗すれども、織田軍の焔と鉄には敵すべくもあらず。堂宇焼け崩れ、金堂・根本中堂、いずれも灰燼に帰す。
「南無阿弥陀仏……!」
「天台の灯、今ここに絶えぬるか……!」
鳴き叫ぶ声も虚しき中、女人・童子、老僧までも焼け死ぬる有様、筆にも語るに忍び難し。
信長公、山下に陣を敷きて、その光景を見下ろし給ふ。
「千年の山も、一枝の焔に焼かるるのみ」
その御顔、冷然たること氷のごとし。人の情けも、仏の慈悲も、このときは届かざりけり。
かくて、延暦寺、栄耀の夢より覚め、山上の都、つひに灰と帰す。
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さればこそ、諸行無常の響きあり。盛者必衰の理、目の前に現れたりける。




